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宝応将棋や原始平安小将棋は、中国シャンチーの成立に無影響(長さん)

本ブログの、日本の将棋、中国南部伝来説の根幹は、日本の将棋ではな
くて、実は、中国の将棋の性格に関する認識が重要とみる。具体的には、
中国シャンチーの成立に必要な、既成のゲームが、イスラムシャトラン
ジただ一種であって

宝応将棋や原始平安小将棋は、中国シャンチー成立には無影響であると、
仮定している

所にある。つまり、宝応将棋や、原始平安小将棋は、中国シャンチーの
形成原材料ではないのだから、特に後者すなわち、

原始平安小将棋が、中華人民共和国内で、11世紀末までには指されて
いても、その内容は、中国シャンチーとは全く似て居無い、日本で最も
初期に指された日本の将棋と、全く同じゲームであって特に問題は無い

という認識から、出発しているのである。つまり、宝応将棋や原始平安
小将棋は、どちらも中華人民共和国内で、11世紀末以前に指されてい
ても、12世紀初めに成立した、中国シャンチーの材料には、全くなら
なくてよい、と見ていると言う事である。
 では以下に以上の論を、もう少し詳しく解説する。
 そもそも少なくとも、中国シャンチーの成立前の、既成ゲームとして、
中国国内(本ブログの推定では、北宋の首都開封付近)には、イスラム
シャトランジが有ったとする認識は、現在の中国のゲーム史研究家には、
自明であると、考えられているのであろうと、私は見る。根拠としては、
李松福著「象棋史話」に、”中国の象棋は、唐代には(具体的ゲーム名
を挙げて)チェスのように、形で駒を表現していた”と記載されている
点が、挙げられる。これは、イスラムシャトランジから、中国シャンチー
が分かれて出来た事を、”宝応将棋”という意味に解釈できる語句を、
文中に挿入したとしても、半ば認めているようなものである。すなわち、
これと唐代には、アラブ・イスラム教徒が、大食人として一定数、国内
に居住していたとの、中国史の常識と組み合わせると、中国の象棋のゲー
ム内容が、イスラムシャトランジを知った上で、形成されたものである
と、中国のゲーム史家が現在見ていると、前記書籍の内容を読み取るの
は、ごく自然であると、私には考えられる。
 なお、今回の論旨からは少し外れるので、「象棋史話」の解説のため
の蛇足だが、指摘のチェス型の立体駒(たまたま鉱山地帯なため、実は
ネフライトと純金と銀)が、中国シャンチーの成立時点で、それとは無
関係に、カマボコ型駒とは別に、まだ残っていたとしても、それも一向
に構わない事だと、本ブログでは見ている。つまり、円筒形への変化は、
首都開封付近の方が、地方よりもずっと早かったと言う事である。
 そこで更に、本ブログの見解の特色は、

具体的に、中国シャンチーを作るには、イスラムシャトランジを知った
上で、炮という、跳び越え駒を、ゲームの中に取り入れようとする努力
以外に、必要な原材料が、実質的に存在しない

と、認識している点にある。必要なのは、以上の駒種メンバーだけを
使って、塞馬脚や塞象眼、王不見王等、駒の行きや一部ルールの制限と
変更、兵で駒を取った際の、斜め動きを、成りで擬制する等の細則を加
えた上で、そもそも盤路を、8×8ではなくて、どうするのか、その上
で、材料をいくつ、どう配置するかという点を実質的解決すべき課題と
する、ルール整備の問題に、集約されるとするのである。個人的には、
このルール集約の難易度が、炮を要素に加えるという条件では、元駒と
して

駒の格とか、升目数の制限の無い、大きな動きの跳び越え駒を、駒要素
として加えるという、ゲームのデザイン方針が、チェス・象棋系ボード
ゲームとしては、常識はずれだったために、桁外れに難しくなった

と考えている。私なら、こんな

開発の失敗のリスクの大きなゲームのデザインは、最初からしない

と明言しても良い。ただし、開発担当者は、以上の開発テーマに集中し
さえすれば、それで良く、

当時雲南に存在した、日本の将棋と同じゲームの事など、開発の途中に
全く考えなくても良かったはずだ

と、私は断定する。従って、日本に伝来する中国の将棋が、シャンチー
の先祖では、全く無いのだから、それは、シャンチーとは似ても似つか
ない、

何々将という名称の、2文字で呼ぶしか、表現しようの無い駒が、3種
類も存在する、世界に類の無いゲームであって、なんら差支えが無い

と私は考えるのである。むしろ、象/相が、イスラムシャトランジの象
ではなくて、イスラムシャトランジの車の動きだったり、車が飛車では
なくて、香車の動きだったりする宝応将棋や、象が一匹だったり、角行
の動きだったり、馬が桂馬の動きだったり、歩兵が相手の陣の歩兵段で
成ったりする原始平安小将棋(大理国・含象駒型)の事を、開発の段階
で考える事は、

シャンチーの開発担当者にとっては、思考の集中にとって、邪魔以外の
何者でもなかった

はずだとさえ、私には思えるのである。
 他方、従来の日本の将棋の中国伝来説は、シャンチーの起源を、イス
ラムシャトランジ一本と、言い切る事ができ無かった。そのために、
宝応将棋→日本伝来将棋→中国シャンチーと、暗黙の内に進化を一本線
で並べてしまい、いたずらに、中国シャンチーへも移行可能な、原始的
な将棋を、日本への伝来将棋と仮定しなければ、ならなくなってしまっ
たのである。そのため、”日本での進化の時間が、それでは足りない”
と、私に言わせると批判の側はみなして、単に議論を、複雑化させてい
ただけなのではないかと、私には疑われるという事である。(2018/04/04)

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