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大宰府条坊遺跡木簡の、駒名同士の間隔(長さん)

前回本ブログに於いて、”松岡信行氏は「解明:将棋伝来の謎」の中で、
京都、一条帝宮廷サロン発祥説を展開する中で、発明された将棋駒が、
最初期には長方形と、想定しているようだ”との指摘をした。つまり、
最初期の将棋駒を細長い、板状木簡等から作成するときに、五角形の先
の出っ張り分の

小さな三角山型部分を、考慮に入れずに、横に木簡を切ってゆくような
将棋駒の作成方法が取り得た

と、みられるという事である。彼は特に、その著書の中では、本ブログ
とは異なり、経帙牌については、触れて居無い。つまり、松岡氏言うと
ころの、長方形の最初期将棋駒の、作りかけの木簡がもしあるとすれば、
駒の字と駒の

字の間隔が、三角山部が無い分だけ、詰まっていた

とみられると言う事である。実は、京都からは、そのような作りかけ品
を連想させる木簡は、まだ発見されていない。だが、彼の説によれば、
京都よりも、駒制作では後発なはずの、九州福岡県大宰府条坊遺跡から、
作りかけ駒とも、習字の練習とも考えられる、12世紀(伝来100年
後)の木簡が、既に発見されている。「将(?)桂馬香車歩兵」と書か
れた木簡である。実際に、この木簡を一瞥して判る事は、

上記の三角山部の分だけ、駒名と駒名の間は、離している

と言う事である。桂馬の桂と馬、香車の香と車、歩兵の歩と兵の字の間
には、隙間がほとんど無い。が、互いの駒名の間には、桂馬と香車は、
いっぱいいっぱいに見えるものの、五角形駒とすれば、三角山分の、間
隔がある。つまり、

大宰府では将棋伝来後、約100年で、四角形駒が、ほぼ駒師の意識か
らは、完全に消えていた

と、少なくともこの駒からは、推定できるのではないかと思う。もし
四角形駒の発祥地が、九州大宰府や博多付近なら、

この木簡の、駒名の字と字の間は、その記憶から、詰まって来る可能性
が、結構高いのでは、あるまいか。

 つまり、博多近郊からは、この大宰府の木簡の他、鎌倉時代とみられ
る、博多遺跡の玉将駒等、この地域は出土将棋駒等の遺物が、過去発掘
された事の多い所である。むろん、この程度では、全国平均に近く、突出
しては居無いのだが。だから、この地域から、ひょっとすると、上記木簡より
も古い、出土駒が将来発掘される期待も、あると私は思う。しかし、今
述べた木簡の様子から見て、

この木簡出土物は、博多から長方形駒が将来出土する可能性が、少ない
事を既に示唆

しているのではないか。つまり、九州大宰府の伝来100年程度後の木
簡は、

大宰府に将棋が伝来していた時点で、五角形駒の形は、確定していたと
見られる兆候

を示しているもの、なのではないかと私は思う。だから逆に言うと、

将来京都府から、平安時代の長方形駒が、ある程度まとまって出土する
と、松岡氏の一条帝宮廷サロン将棋発祥説にとっては、相当に有利

になると私は想定する。他の場所からの遺物の出土にも注目したいが、
京都府からの古い遺物の出土には、特に注目したいものである。
(2018/04/09)

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