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古猿の成り駒”山母”。初出は室町初期の謡曲”山姥”からか?(長さん)

日本の南北朝時代に成立の異制庭訓往来の”多い将棋”は一般に、
摩訶大大将棋か、研究者によっては、泰将棋を指すという意見が、
現在の定説のようである。 それに対して本ブログでは、泰将棋は
安土桃山時代末期の水無瀬兼成作、摩訶大大将棋は、後期大将棋と
形が類似であるため、室町時代初期の作であるとの意見である。
 しかし、本ブログが異制庭訓往来の”多い将棋”が指すと見てきた、
日本の平安時代院政期の晃補之の”19升目98枚制広象棋”は、
前回述べたようにゲームらしいゲームであって、歴日を連想させる
ような要素が、欠けるという問題が残っていた。
 そこで再度、定説に戻って、摩訶大大将棋が、19升目で総升目が
361目なため、”一年の日数にちなむ将棋”が、これを指すとして
矛盾が何処にあるのかと、私も考え直してみた。
 以前書いたように、後期大将棋との類似性のほか、疑わしい要素と
しては、私に言わせると以下の2点が、前から見えていた。ちなみに、
私は摩訶大大将棋の、酔象の成りの王子は、中世、特に室町時代前期
には若一王子信仰が、熊野詣等で各地で盛んであって、王子は、民間
では中世、ポピュラーな熟語であったとみている。そのため、増鏡等
に熟語として”王子”載って居無い等があるからといって、王子が中
世に廃れた、古代の熟語とは見て居無い。武蔵武士の豊島氏によって、
鎌倉時代末期に勧進された”王子”神が、地名の由来であるという、
東京都北区王子は、周辺の、東京都北区”豊島”1~6丁目とともに、
現在でも著名な地名である。

1.飛龍が4段目にあり、角行の動きがシャンチーの象/相のような、
2升目になってからの、新しい時代の将棋を強く示唆する。
2.猫叉が”猫また”と記載されたのが、鎌倉時代末期の吉田兼好の
徒然草からであり、比較的新しくできた駒名である。

ただし、2については、あまり欲張って、摩訶大大将棋の起源を早く
しなければ、南北朝時代には、間に合うのかもしれないと、これまで
は、私も見ていた。なお、鎌倉時代初期に藤原定家が、”猫股”とし
て、曖昧だが、同義語を記載している。
 しかし、最近になって、表題のように、摩訶大大将棋の早い成立説
にとって、更に都合が悪いのではないかという事実が、新たに見つかっ
た。すなわち、

3.古猿の成り”山母”は、南北朝時代にその概念が存在しなかった

というものである。そもそも山姥という語の初出が、”怪異の民俗学
5 天狗と山姥”折口信夫ほか著、河出書房新社、(2000)と
いう成書によれば、室町時代初期の謡曲”山姥”が初出だという、
やや不確かな情報が、まずあった。そこで、日本国語大辞典(小学館)
等を当たると、”山姥”の熟語の使用例として、

中楽談儀(西暦1430年)の”曲舞の音曲”が、最も早い例

として出ていた。

”由良の湊の曲舞、やまふば、百万、是らはみな名誉の曲舞共也”

と書かれた”やまふば”が、文献の山姥や山母の語句の初期の例との
事である。これだと、

摩訶大大将棋の成立は、曼殊院の将棋図が成立した西暦1443年の
少し前、

という、本ブログの今までの主張と、ほぼ合ってしまう。つまり南北
朝時代では、囲碁の路数と同じ、合計361升目の摩訶大大将棋が、
たまたま”山母”が含まれていたために、成立できなくなってしまう
のである。
 なお、山姥が山姥ではなくて、山母になっているのは、音で山姥は、
”サンボ”なのだが、訓読みの”やまうば”が定着したため、類似漢
字の”母(同じく音読みでは”ボ”)”をのちに当てて、将棋の駒名
が音読みになるように調整したためと、みられる。
 尤も、山母は成りであるから、摩訶大大将棋でも、成りは時代によ
り、多少変遷したと、仮定できないわけではないのかもしれない。た
とえば本ブログでは、

老鼠の成りが、大大将棋と摩訶大大将棋では、ひっくり返されており、

元々の摩訶大大将棋の老鼠の成りは、蝙蝠ではなくて、古時鳥であっ
たのではないかと、前から疑っている。もしかすると、南北朝時代に
摩訶大大将棋は存在したが、古猿の成りは、山母ではなくて、例えば
”悟空”では無かったとの、証拠も無いと言えば無いのかもしれない。
蛇足だが、悟空を孫悟空とすると、やはり室町時代になってしまう。
 とりあえず本ブログでは、異制庭訓往来の”多い将棋”は、今の所
晃補之の”19升目98枚制広象棋”との説をとるが、幾ら調べても

何を指すのかぴたりとは、はまらない、謎めいた古代教科書の唱和句

であることには、依然変わりが無いように思われる。(2018/06/05)

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