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歩兵の上位概念でしか無い兵士が、何故泰将棋に入ったのか(長さん)

泰将棋に始めて導入された駒は、ざっとで約十種類前後であるが、
その中で、もっとも妙なのが、表題の”兵士”である。
歩兵より強い駒のように錯覚して、泰将棋の兵士を見ると、兵士は、
兵や兵卒の上官の事かと感じられるのであるが、実際にはたとえば、
中国シャンチーの兵と、泰将棋の兵士とは、同じ意味である。
 諸橋徹次の大漢和辞典を引くとやはり”兵卒は兵士の下級のもの”
と、兵士が歩兵の上位概念のように、記載されている。つまり、こ
のような名称の駒を、入れるというのは、日本の将棋に、”将”と
いう名の駒を、玉将や金将、銀将とは別に、入れるようなもので、

将棋の駒の名称としては、一般にはとても変

なのである。
なお、泰将棋を拡張した大局将棋は、兵士を発展させて、騎士を導
入した。が、士、つまりこの場合は”仕える”の意味の、士の字の
付く駒は、この程度で行き止まりだった。士業には専門家が多いが、
戦争の戦力になる職業は、少ないためであろう。
 そこで今回は、

将棋には歩兵が有るのに、泰将棋の作者が類似語で、それを包含す
る”兵士”という、奇妙な名称の駒を導入した理由

としてみた。
 そこで、最初に回答を書くが、この論題に対する解は、今までの
論題の中でも第一級の、解明困難性を示したものである。前置きが
余計だったが、次に答えを書く。

当初”奇犬”のすぐ後ろの升目に、兵士を導入しようとしたため

であると、私はみる。根拠は、動きからみて”兵車”等を書き間違
えたものでも、特に無さそうであるからである。つまり、兵士は、

わざと、導入された

のである。
 では、次にその説明をする。
 泰将棋では兵士は、端の車列に、車駒に挟まれて存在する。
動かし方のルールは、松浦大六氏筆者の将棋図式(象戯図式)では、
摩訶大将棋の奔龍と同じである。しかし、水無瀬兼成の、

将棋纂図部類抄オリジナルでは、この動きでは無い。

いわゆる横龍の動きになっている。これは、シャンチーの成り兵卒
やチャンギの兵等を、走りに変えて、後ろへ一歩、後退もできるよ
うにしたものである。従って、

兵士の動きとして、一応尤もらしく、兵車等、別の名称だったもの
を、将棋纂図部類抄で、書き間違えたとは、やや考え辛い。

そこで、次のように私は考えた。
 泰将棋では、端列の歩兵の後ろの升目に、奇犬を配置している。
所で、泰将棋は、駒を並べる際に、大大将棋のパターンを明らかに、
模倣していると考えられる。根拠としては、水無瀬兼成作が、
大将棊畧頌で、端列の走車を、反車と間違えて書いている点を、一
例として指摘できる。すなわち、

水無瀬兼成は、泰将棋を作成するときに、端列に駒が足りないので、
大大将棋に準じた、作りかけの泰将棋の最下段から、走車を端列に
移動させたのだが、その事をうっかり忘れて、駒を反車と間違えた

と考えると、このミスの説明がつきやすいのである。つまり、この
点でも、水無瀬兼成は、泰将棋の作者。泰将棋の作者と、大大将棋
の作者は、知り合いであると、疑われると言う事でもある。
 なお、水無瀬は、端列駒が更に足りないので、横に動きが無い

奇犬を持ってきたが、奇犬の後ろの升目には、大大将棋の習慣から
”兵”が必要

と、そのとき、考えたと見られる。所が歩兵は前列の駒であり、
大大将棋では、その更に前の、最前列にあった奇犬を、泰将棋で
歩兵列の後ろの方に移動させたので、兵は別に作る必要が発生

した。つまり当初は、奇犬の直ぐ後ろの升目に兵士のある、作りか
けの泰将棋を考えていた

と疑われる。だが、大大将棋には、端列の歩兵直ぐ後ろの升目は、
左車と右車であり、これらの駒を端列に置くと、奇犬と兵士の間に
左・右車を挟んだときが、体裁が良く、結局、現行の泰将棋の端列
の形になったのではないかとみられる。この推定は、根拠は乏しい。
だが、状況から見て明らかに、

兵士を作成したのは、奇犬のせいだった

と考えるのが、実はこのケースは最も自然なのである。
 端列に奇犬が無かったとしたら、訳が判らなかったところだった
のだが。

水無瀬兼成には、兵も兵士もいっしょ。兵で下級な者が、歩兵部隊
を形勢しているという事は、完全に判った上で、とぼけて兵士を、
また別に、作成した疑いがかなり強い

と、以上のように私には思える。(2018/06/16)

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