SSブログ

中将棋等の金・銀・銅の成り駒の謎(長さん)

 中将棋と江戸時代以降の後期大将棋では、金将、銀将、
銅将が、それぞれ飛車、竪行、横行に成る。
このうち、金将が最も上位の駒であるため、飛車に成る
のは不思議ではないにしても、銀将が角行ではなくて、
竪行なのは、やや不思議である。銀将の動きが斜め隣接
一升目と隣接前升目のため、金将に比べるとやや弱いが、
斜め動きの割合が多いため、”金より良く動く駒”との
イメージがあるからである。これは、飛車と角行の関係
に良く似ており、よって、銀将の成りに角行が当てられ
ていた方が自然とも思える。
 このことは、鉄将が中将棋の製作過程で無くなり、
獅子が12×12升目の、この将棋に加わって、かなり
経ってから、金将、銀将、銅将の中将棋における、飛車
、竪行、横行成りが発生・確立された事を、示している
のではないかと私には予想される。たとえば平安大将棋
の銅将、鉄将が有った時代に、走り駒を成りに充ててい
たとしたら、金、銀、銅、鉄が、それぞれ飛車、角、横、
竪となっていたのは、ほぼ自明だろうと、私には思われ
るからである。なぜなら、銅将の横歩みを、走りに延ば
せば、中将棋の横行だし、平安大将棋の鉄将は、中将棋
の猛豹と違い、金将より明らかに弱いからである。

そして逆に中将棋成立の、意外なほど初期段階の、たと
えば南北朝時代には、”獅子を獅子で取ったとき、次の
手で別の駒で取った獅子が、取り返されてしまうときに
は、獅子を獅子では取れない”という程度の、獅子に関
する”特別規則”は、文献には、はっきりとは残ってい
ないものの、既に出来ていた可能性が高いのではないか
と私は推定する。

 そう考えれば、前回示したような金、銀、銅、盲虎を、
成り易くして、西洋チェス型にゲームの改善をする、
駒数多数型将棋の進化が始まる前に、獅子の特別則で、
ゲームの改善をした中将棋が成立し、駒数多数将棋界を、
先に制圧してしまうだろう。すると”成り易くして西洋
チェス型の小駒無し将棋化の改善をした大将棋”の芽が、
摘まれてしまって、伸びないと予想する事が、当然出来
るからである。
 何れにしても、日本の将棋駒はその形から、裏に好き
な成り駒名が、原理的には幾らでも書けるのにもかかわ
らず、金以外の文字を成りとして書いたのは、驚くほど
後の時代からであり、逆に言うと、”金成りは、原始的
な平安小将棋の時代から有った”と疑えるほど、始原的
な存在だったという、何とも不思議な謎が、全体として
ある事が浮かび上がって来るのである。(2016/12/11)

13×13升目100枚制現代大将棋試作2のまとめ(長さん)

 前回、前々回と、表題の仮想の将棋についていろいろ
述べたが、ルールをまとめてみて、結局全体としてどの
ようなルールの将棋になるのか、下記に示してみたいと
思う。
まず、盤升目は13×13、169升目盤を用い、下段
より4段が自陣で、駒を双方5段目まで次のように配置
する。

一段目中央より玉将、金将、銀将、銅将、空升、桂馬、香車
二段目中央より酔象、麒麟、盲虎、空升、角行、横行、反車
三段目中央より奔王、龍王、龍馬、飛龍、方行、竪行、飛車
四段目中央より歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
五段目中央より空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升

なお、上記は左辺の図で、右辺については、二段目中央より
2番目に、麒麟の代わりに鳳凰を置く。

動かし方のルールは、
銅将が、縦横隣接一升目で、縦と斜め前の中将棋の銅将
ではなく、平安大将棋の銅将とする。
桂馬は日本将棋の桂馬の動きで、元々中将棋には無い。
盲虎は、中将棋の隣接前升目以外の、隣接7方向で良い。
飛龍は、角行の動きとする。
方行は、大大将棋の方行の動きである、”縦横四方向走
り+斜め前隣接計2升目歩み”で、この駒も中将棋には
無い。
残りは、中将棋のルールで、角行も含めて良いと思う。

これらの駒は、次の条件にて成るとする。

①動かすか、使うかする前か後に、相手側4段目より奥の
相手陣に侵入していたとき、任意に。
②相手の駒を取ったとき任意に。
③その列で自分の駒のうち、最も奥に侵入していた駒につ
いて、その列に他に自分の側の駒が全く無いか、2番目に
最奥にある自分の駒よりも、4段以上奥に、動かす前か後
に進んでいるとき、動かすか使ったとき任意に。

①~③につき、一つでも当てはまる場合には、いつも任意
に成れるとする。

特に③の条件が、既存の日本の将棋とは大きく異なり”横
歩き”するだけで、成れる場合が多々あるため、双方大い
に注意が必要である。

 そして、成った駒は、初期配列の駒の位置に対応させて
駒をひっくり返して現れる字を書くと、次のようになる。
一段目中央より不成、飛車、竪行、横行、空升、横兵、白駒
二段目中央より太子、獅子、飛鹿、空升、龍馬、奔猪、鯨鯢
三段目中央より不成、飛鷲、角鷹、不成、不成、飛牛、龍王
四段目中央より金将、同左、同左、同左、同左、同左、同左
五段目中央より空升、空升、空升、酔象、空升、空升、空升

なお、右側だけに有る、鳳凰は奔王に成るとする。
すなわち。
 中将棋と、ルールを変える必然性が大きくない場合、
駒は佐藤敬商店作製品等が、中将棋で普及しているので、
もったいないので、使えるものは、同じ駒を使えるよう
にした方が、良いと私は思う。結局、
新たに必要なのは、不成りの方行と、飛龍、それに、
日本将棋には有るが、成りが弱いので天竺大将棋の横兵
へ成りを金将から変えた桂馬と、足りない歩兵2枚の
計14枚である。
なお、この将棋では、中将棋の猛豹と獅子2枚、計6枚
は使用しない。増減を合計すると、駒数はちょうど
100枚となる。

ちなみに、駒が同じでも、成りについて動かし方のルー
ルが、中将棋とは違うものは、次の通り。

横兵は、横行と前への動きだけが違っていて、残りの
方向は同じであり、前へは中将棋の角鷹の前への動き
をするものとする。
太子は奔王と、同じ動きとする。また、この将棋では
中将棋等と違い、”玉将の代わり”の機能は無いもの
とする。
獅子と角鷹と飛鷲と横兵の2升目動きについて、全方
向の隣升目が、自分の駒で塞がっていても、じっとの
手が指せるとする。これは”最初から獅子”という駒
等が、この将棋では存在し無いためである。
また、獅子の特別規則は設けない。これも獅子が麒麟
が成ることにより、双方主として中盤に、気まぐれに
生じて、余り対峙しないためである。
残りの成り駒は、中将棋のルールを変える、大きな
必然性は、無いように思える。

ちなみに、他の日本の駒数多数将棋と同じく、この
将棋にも、持ち駒ルールは無い。取り捨て型である。

なお、入玉規定は無し、行き所の無い所まで進んだら
強制成りで良いと見られる。千日手は、中将棋の規定
で良く、駒枯れ持将棋も、中将棋に準じて良く、成り
の条件は、日本将棋並みに自由にして簡単にするにし
ても、その他元々駒数が多いので、ステイルメイトに
なるのは、自分のせいであるので日本の将棋の形式と
同じで良く、中将棋から変える必要も今の所無いよう
に思えた。
以上のルールを決め、
一局、駒を並べてテストした所では、竪行が遊び駒に
ならないように、銀将を考えて成らせる必要があると
いう”癖”がやや気になったが”成り麒麟が、終盤で
使われすぎる”という、このタイプの将棋に、有りが
ちな欠点は「金飛車」や「奔猪」等の終盤の活躍によ
り、ほぼ克服されていると認識された。結局、方行と
飛龍と桂馬の駒を作り、後は既存の中将棋の駒を使い、
13升目盤だけ、大将棋全般の研究のためと思って、
ベニア板等で作成すれば、簡便的にはゲームが、これ
だけでできた。以上のように普段中将棋を指す方には、
特にゲームの用意が比較的楽であり、その割には、
まずまずな出来ばえと思え、皆さんにも、この大将棋
ゲームは、充分お勧めできると考える。(2016/12/10)

金・銀・銅等を早く成らせる、成り規則(長さん)

 前回および、前々回に於いて、平安大将棋を西洋チェス流
に改善するためには、大駒の追加と同時に、金将、銀将、銅
将等を、敵陣入り成り以上に中盤早く成らせる、
「未知の成り条件則」が必要である旨を述べた。
その成り条件則が、記録に無く、痕跡も無い事は確かとして、
それ以前に、そのような成りを適宜作成する事が、できるの
かどうか、ここでは思考実験する。ひとつは、大大将棋等の、
「駒を取ったら自陣に居ても成る」というルールは、既知で
ある。その他、3段成りはしないように改善すれば、京都
将棋のように、「使ったらただちに成る。」という、極端な
成り則も、21世紀の現在時点までには知られている。
ただ、私の評価では、大大将棋等の成り則は、小駒が成らな
いように、小駒で紐の付いた相手駒を取らないようにして、
避けられてしまう傾向が強く、期待する効果が、完全に出る
とまではいかないと思う。対して「二度と元の駒に戻れない
ように”改善”した上での京都将棋の成り」は、いささか、
極端すぎて、金将や銀将の存在が、奔金や奔銀に対して、か
すんでしまって、日本の将棋を指す人間には、余り好まれな
いかもしれない。
 大大将棋の成りと、改善京都将棋の成りの”中間的”な
ルールとしては、シャンチーの兵のように、敵陣ではなくて、
中央をすぎると成れる等、成る段を、調整したものも考
えられる。
たとえば、後期大将棋の金や銀が、「6段目に上がったら、
日本将棋で、敵陣に入ったときと同じパターンで成れる」、
というルールで、後期大将棋を指してみたことが、私にも
ある。
自陣を出たら成れるは、小駒を中盤には大駒に変えるため
の成りの規則としては、ほぼ、ちょうど良いものであった。
何れにしても、

ゲームのルールは、所詮人為的なものであるから、原理的に
調整は、いくらでも可能だと私は考える。

ちなみに、最近私が考えたルールで、升目が無限大の将棋に
まで使えそうだと思えた、皆さんにお勧めのルールとして、
次のようなものがある。

任意の列で特定方の先頭の駒と、味方の2番目の駒の段差が
4段目になる升目で、日本将棋の相手陣に入ったパターンと
同じように先頭駒が成れる。更に、2番目の駒が存在しない
列については、どの段に居ても日本将棋の成りルールと同じ
パターンで、孤立駒が成れる。

というルールでも、行けるのではないかと考えている。特に、
このルールの場合、成れる駒を種類訳けする必要が、自陣
を出た所で成るルール等と違って、いらない為、成り条件
則のルール自体が簡単になる利点も、有るように思われた。

むろん、その他条件に合ういろいろな成り条件則が、複数
考えうると私は確信する。

 以上の事から、もともと金将や銀将等、チェスに無い小駒
の存在が足かせとなり、日本の将棋では、西洋チェス型の
改善が、しにくかったという事は、有ったのかもしれないが、

絶対、克服無理だったという所までは行かないと私は思う。

 中将棋の獅子の特別則も、”ごく単純な物である”とまで
は言えないから、多少手が込んでしまうと、特殊な成り条件
則のあるゲームは、絶対に後に残らない、とまでは言えまい。
しかし、現実には、”少し特殊な成り条件則を持つ、大駒の割
合が特に多い、チェスのような大将棋”は、現代に伝わって
いない。よって大将棋の種々の謎は、謎すべてについて、完
全に解けたとまでは、現時点で言えないことだけは、確かで
はないかと私は考える。(2016/12/09)

中将棋の成り駒と西洋チェス型のゲーム改善法の比較(長さん)

 日本の将棋類に、西洋チェスのように、王様と兵を除くと
最弱の駒が八方桂馬だという将棋は無い。しかし、相手陣に
すべての駒が突入して、成った時点でチェスの類だと、仮に
考えるとすれば、中将棋はそのケースに当たっている。従っ
て中将棋の成立の中に、西洋チェス型の要素も、あったので
はないかと、一応疑えるかもしれない。しかし、私見では、
改善に、西洋チェス要素の部分的な存在の可能性も、否定し
えないものの、中将棋の製作者が「西洋チェスの方式で、
ゲームを改善すれば、将棋が面白くなるのではないかと
言うことを、作成の主眼点にしていた」とまで言える、
はっきりとした証拠は乏しいと考える。この私の考えが、
間違いだとすると、

平安大将棋と比較して、中将棋の猛豹の追加が謎だと思う。

元々平安大将棋に於いて、成らせる事によって、走り駒等に
しないと、八方桂以上の強さにならない、玉と注人と歩兵
以外の駒は、

金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、猛虎

の6種類である。中将棋では、このうち鉄将と桂馬は減らし
ているので、西洋チェス化の方針に合致するが、猛豹を新た
に加えて、角行という成り駒を、考えなければならないよう
にしている点等が、いささか余計である。
更に、中将棋の成りの規則は、不成りで敵陣に突入した時に、
再度成れるのが、相手駒を取ったときだけで、弱い点に目を
つぶっても、

相手の陣内に入れば成れる、という平安小将棋の時代の成り
規則を、より成りやすいように進化させたという形跡が無い。

よって、成り状態の中将棋で玉将、太子、酔象、金将
(と金)以外で、最も弱い駒が、横行であって、チェスの
八方桂馬には勝つとしても「中将棋の成立の中に、はっきり
と西洋チェスの手口を感じる」という所までは、行かないの
ではないかと思う。つまり、
 恐らく中将棋の多彩な成りは「ゲームが進んだ時点での
駒の数の減少を、駒個々の強度を強めて補う」という意味
合いの範囲に、依然留まるものではないかと言う事である。
なお、他の駒数多数将棋には、中将棋に比して、猛豹以外
にも、「成ってやっと強くなる小駒を含んでいる」という
点で、中将棋よりも更に、チェスの手法から遠いと思う。
 ただし、摩訶大大将棋に関しては、相手の法性や教王に
ついて、味方の駒で取ったときに、自分自身のではないが、
少なくとも成れる(相手の)という特殊な成りルールがあ
る。そしてこの成り代わりルールは、敵陣に突入して成る
規則よりは、より成り易いルールとして存在するという点
で、しばしば注目される。しかし以下は私の考えであるが、

 実際には成りルールで、安土桃山時代以前で、敵陣入り
条件以外のケースについて、記録が、これ一種しか残って
いないという点が、西洋チェス型の未知の、駒数多数将棋
の存在を推定するには、現状ちょっと苦しい所だと思う。

 もともと法性や教王の元の駒の、無明や提婆は小駒であ
るから、それが中段へ繰り出してくれば、走り駒・跳び駒
等こちら側の大駒で取られるケースが圧倒的であり、摩訶
大大将棋に於いては、金、銀、銅、鉄、瓦、石、土等の、
小駒の奔駒への成りには、このルールは余り寄与しないの
ではないかと疑われる。更にこのような、西洋チェス型改
善にとって、取り入れることが出来ない、”失敗ルール”
だけが記録に、運悪く残っていたしても、いろいろなルー
ルが、複数伝わっているのなら、中将棋と組み合わせて、
西洋チェス型の改良が、有った痕跡と言えるのかもしれな
い。しかし実際には、安土桃山時代に記録されたルールは、
私が確認した限りでは、これ一つであり、成りのルールに
ついての、中世の遺記録は、多様性が無さすぎだと思う。
 なお「大大将棋の駒取り成り規則」も、遡れても、発展
中の大将棋の存在し無い、江戸時代の記録よりのものと、
私は認識する。
 従って以上の事から、玉の段に隙間を作った将棋が、日
本の古将棋に見当たらないこと、成りの規則に多様性の記
憶が残っていない事、中将棋以上には、平安大将棋に対し
て更に追加した余計な小駒が存在する事等から、大将棋の
西洋チェス型改良路線は、西暦1300年頃の、普通唱導
集時代の大将棋までが主流で、それ以降は、主に獅子の特
別則の機能に期待する、中将棋路線に、次第に取って代わ
り、それだけに一本化されてしまったと、今の所考えざる
を得ないのではないかと、私は疑っている。(2016/12/08)

大駒を増やす大将棋の改善コンセプトに本来限界は無いのかもしれない。(長さん)

 平安大将棋から普通唱導集の大将棋の時代へ向かう
大将棋の変化は”走り駒の割合を増やす、改善であり
進化と言える”と、以前私は私見を述べた。仮に私の
考えが正しく、普通唱導集時代の、定番定跡の発生を
たとえば”方行”を加える等により、乗り越えていた
としたら、更にその、走り駒等の大駒の割合増加と言
う、改良路線を堅持する事によって、性能の良い「架
空の大将棋」が生まれる可能性は、はたしてあったの
かどうかについて、ここでは更に考えてみたい。
 すなわち、本質的に玉と兵以外が、八方桂馬よりも
強い大駒ばかりの大将棋を、西洋チェスのように、作
っていたなら、現代でも生き残れるゲームに、なり得
るのかと言う問いである。以下も私見であるが、結論
を言うと、

チェスのキャッチアップだけでは、ある要素が不足と

私は見る。
なお、ここで仮想の大駒ばかりのゲームというのは、
私の前回提案した、方行入り104枚制普通唱導集
改良型大将棋では、酔象、猛虎、金将、銀将、銅将、
鉄将、桂馬、香車は、初期配列時にはそうであるに
しても、敵陣に入るだけでなくて、摩訶大大将棋のよ
うに、相手駒を取るだけでもチェスの女王、奔虎、
奔金、奔銀、奔銅、奔鉄、前升目に角鷹の動きをする
(改善)横兵、白駒に成れる等、成りと、その条件は
適宜調整することにして、結局、

中盤を過ぎると、玉将以外の小駒が、歩兵と仲人を
除いて、事実上存在しないような将棋にする事である。

なおこの将棋を、以下「駒104枚制現代大将棋
試作1」とでも呼ぶことにする。
この13×13升目制の、駒104枚制現代大将棋
試作1の欠点は、相手により、中盤以降、中央列から
縦走り駒の集中攻撃を受けるような将棋ばかりが、
定番で、指されるようになると見られる点である。

 なぜなら、駒数の少ないチェスと違って、玉に直接
縦に走り駒で狙うという「玉筋にトンネルを掘って玉
を討つ」という攻め形が、駒数の増加によって、より
くっきり見えるようになってしまう。つまり袖の駒を
余り動かさないうちに、勝負が付く傾向が強くなる
という、

駒の動きの面白い、チェスとは違う結果になってしま
うと思われる、からである。

そもそも、将棋が駒枯れを競い合うゲームなら、チェ
スと駒104枚制現代大将棋試作1とは、根本的に類
似のゲームになるのではと私は思う。しかし、どちら
も”王様を詰ます”を勝ち負けの条件にして、勝負に、
一ひねりを加えている、将棋ゲームの類のため、列8
升目のチェスの場合には、それが面白い結果を生むに
もかかわらず、列13升目へ増加した大将棋の場合に
は、中央筋だけの、撃ち合いになるように見えるとい
う、ネガティブな結果に、なってしまうと考えられる
のである。

実はこの問題は、玉将を初期に横方向に、移動しや
すいように、

1段目と2段目の駒について、
①駒の配列を変えて、25%程度の割合で空隙を作る
②玉が移動できるように、これらの駒は、横方向の動
きが存在する駒を、出来る限り多数派にする、

という①と②両方を施すという、”新たな要素”の
追加が必須で、たぶんそれで解決すると、私は考える。
具体的にはたとえば、

①は、最下段から、鉄将を取り除き、玉将の横列には
空き升目を、左右に1升目程度づつ、新たに作らなけ
ればならないと考える。なお2列目には猛虎と角行の
間に空き升目が、このケースについては元から有る。

②は、銀将、銅将、桂馬、香車に、左右
隣接する升目にも移動できるように、動きを改善する
か、別の駒種に取り替えるかした方が良いと思う。
また、麒麟、猛虎、も横の隣接升目にも動けるように
同様に動きを改善した方が良いだろう。更に角行も、
横に動けた方が、本当は良いかもしれない。なお、
実際に駒を並べてやってみると、銅将を平安大将棋の
縦横一升目のままにする事と、猛虎を中将棋等の盲虎
の動きに変える、以上2点については必須と見られる。
逆に、銀将の動きを、21世紀になってから突然変え
るというのは、歴史的な習慣から見て、かなり困難か
もしれない。

以上①と②の変更は、ようするに玉将が、中盤の時点
で、相手の攻め方によって、中央から、どちらかの袖
に、駒がたてこんでいる時点で、より速く逃げやすく
する為の変更である。

たとえば上の①、②のようにすると、
仮称駒100枚制現代大将棋試作2は、同駒104枚制現
代大将棋試作1の中央直線攻撃の定番定跡化の問題
を、一応解決するのではないかと、私は予想する。さて、
以上の思考実験をしたのちに、歴史的な駒数多数の将
棋を再度眺めてみると、玉将を中盤横に逃がすよう
な工夫、例えば玉段とその上の段に、隙間を作ってい
る将棋等は、日本の現実の将棋種には見当たらない。
それ以前に、そもそも歩兵・玉以外の大駒100%化
を、チェスへの進化の手法の拡張として、目指したよ
うに見える形跡の有る将棋種も、駒の初期配列形や、
動かし方ルールを見た限り、多いとは言えない。若干
疑われるのは、法性や教王に関する特殊な成り規則が
あり、かつ成りに奔駒の多い、摩訶大大将棋位である。
 よって、わが国に於いては、中将棋の出現によって、
棋士が室町時代の初期に、それに一極化した疑いがあ
ると思う。そして逆に、中将棋、小将棋以外の、実
戦的な第3極目の将棋種の、真剣な作成が目指される
流れが、少なくとも主流として、本当に有ったかの
かどうか、なおも議論が必要なのが現状と、見るべき
ではないかと私は疑う。すなわち、
 130枚15×15升目制の後期大将棋も含めて、
安土桃山時代までに生き残った多くの、駒数多数の
将棋種は所詮、中将棋有っての亜流物に、その時代
までには、少なくとも、落ちぶれてしまっていたの
ではないかと、個人的には疑っているという事であ
る。(2016/12/07)

大将棋の衰退は必然だったのか(長さん)

 今まで述べたように、私の推定では、中将棋に取って
代わられた、普通唱導集時代の大将棋は、13×13升目
盤に、駒を104枚並べるものであって、12×12升目
盤に、駒を92枚並べる、現在の中将棋とさほどの、規模
の差は無く、
①獅子を入れる隙間が無い
②袖の配列に難があり、そこから崩される戦術が定番の
 ように指されて、ワンパターン化していた。
という、致命傷になる2つの弱点を持っていた。
ここで、①については、12×12=144升目程度が、
獅子の活躍を、最大限引き出せる升目数だと仮にすると、
獅子の存在で、面白さを出せる大将棋は、作れないという
事になる。そこでそれ以外に、駒数の多数のゲームで、
面白さを、それと同等、もしくはそれ以上に、出す手法
が無い事が、もし証明されると、144升目の中将棋が、
大将棋を滅ぼす事になるのは、必然という結果になろう。
ここでは、手始めにその①の問題は問わない事にしよう。
つまり「袖の配列に難があり、そこから崩される戦術が、
その当時の大将棋ではどうやら、定番のように指されて、
ワンパターン化してしまっていた。」という問題だけで
も、104枚制の大将棋の範囲で、どうにか出来なかっ
たのかと、考えてみる。
 むろん、現実には大きく手直しして、15×15升目、
駒数130枚制の後期大将棋にして行くうちに、飛龍・
猛牛列を増やすことによって、いつのまにか角筋が、反
対側の、反車には、当たらなくなっていた訳だから、中
将棋へ変化する過程で経たとみられる、かなり大規模な
変更だけが、「解」では無い事は確かである。
 ただし、後期大将棋の段数、小駒数を増やす方法は、
こっちの方も、手直し箇所が多いわりに、ゲームの面白
さの改善にもなっておらず、「解」であっても、適解と
は到底いえまい。ここでは、定跡防止という点だけから、
見た、適解に近いものを考えてみたい。
ここで出発点は、仮に、私の考えた次の将棋とする。1
段目から記載するので、左辺半分を相手側から見ている
と考えると、判りやすいと思う。

一段目中央から、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、嗔猪、飛龍、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
四段目中央から、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
五段目中央から、空き、空き、空き、仲人、空き、空き、空き

という配列の13×13升目の、走り駒の密度が高い
将棋である。
なお、二段目2番目の麒麟は、右側の対応する位置が、
鳳凰に変わる。なお、ここで飛龍は角行の動きとする。
 さて、普通唱導集第2段目で唄われるような、「仲人
の支え」は、本質的には、第三段目端列手前の横行に、
「相手角筋に対する『反車の遮蔽駒』としての能力が、
ほぼ無い事」から、手数が余分に必要になる手筋である。
もっと問題の本質まで考えると、こうした将棋が、全体
として中央に厚く、袖が薄く駒を配列する、慣わしが
あるために起こる問題である。

つまり、袖の列の駒の強さまで、ほぼまんべんなく同じ
強さになるように、駒を揃えれば、大体の場合は解決す
る問題

と私は考える。そこで、いろいろ方法はあるのだろうが、
一例として、私は以下のようにして、普通唱導集で、定
跡の唄われない、大将棋を最短で作成してみた。

一段目中央から、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、角行、横行、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、飛龍、方行、竪行、飛車
四段目中央から、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
五段目中央から、空き、空き、空き、仲人、空き、空き、空き

ここで、新たに大大将棋の「方行」を三段目端から3列
目に導入した。
方行は、飛車の動きに加えて、隣接斜め前の計2升目へ
歩める、飛車類似の走り駒である。
ちなみに、角行と飛龍は、同じ動きで、龍駒、行駒を、
それぞれ集めて覚えやすくするのを狙って、配置を換え
ている。つまり2~3段目は、
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、飛龍、横行、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、角行、方行、竪行、飛車
でも、同じルールの将棋になる。こちらのほうが、移動
数は少ないが、駒名の類似な物が集まっているので、上
のほうが記憶しやすい、それだけの利点は有ると、私は
思う。つまり、改善点は実質、

方行を入れ、竪行、横行、飛龍をそれぞれ隣接升目に
動かして、最後に嗔猪を取り除いただけである。

 この将棋では、△が上図には示されていない、右辺の
△の(新)飛龍で▲の反車を狙っても、▲としては、
自分の▲竪行と、△飛龍の交換には、竪行には横行ほど
の守りの価値が無いため、素直に応じられる。よって
結果として、▲の4九位置の仲人を、苦労して「支え」
なくても、▲の右の反車は、消失しにくいのではないか
と私は考える。
 以上の事から、少なくとも私は、大将棋は南北朝時代
に中将棋の時代になっても、本当なら、もう少しはがん
ばれた、はずだったのではなかったのかと思う。感情論
もあるが、私は大将棋の南北朝時代以降の衰退を、少し
残念に、思っている。(2016/12/06)

猛牛はいつ発生したのか(長さん)

後期大将棋では、斜め升目に対し正行度2踊り駒の飛龍の
対として、縦横升目に対して正行度2踊り駒の猛牛が存在
する。この駒は記録としては、後期大将棋より駒数多数の
将棋にしかなく、飛龍と異なり、平安大将棋に含まれない。
 将棋部類抄において、飛龍駒に対応して、次の動かし方
のルールを持つ。

縦横4方向の動きを前、後ろ、右、左に4分解した動かし方
の成分一つ一つ、それぞれについて、
①着地が空き升目か、相手駒の場合に出来、着地地点に相手
 駒が有る場合には、強制で取る、日本の将棋の通常の、
 着地条件の駒であって、
②自駒も相手の駒も、経路に当たる駒は、跳び越せ、
③相手の経路途中の駒については、取らなくても、取っても
 どちらでも良く、
④常に同じ方向に、元の位置から、隣接する升目に、一歩
 一歩進む正行度タイプの踊りであって、
⑤常に元居た升目から離れる方向に向かう、後戻りのきかな
 い動きをし、
⑥2歩について、限定的に進める、踊り数ピンポイント型の
 ”二踊り駒”である。

 この動きについては、起源が、平安大将棋の銅将を使った、
「縦横1升目歩みの駒の2回繰り返し動き」が一見予想され
るかもしれない。すなわちそれは、上の形式で、ルールを書
き出せば、恐らく次のように表現されるものである。

①までが同じで、原始形は②からが違い、
②相手の駒だけ、経路に当たる駒は跳び越せ、自駒を跳び
 越す事は出きず、従って自駒が有るとその方向には跳べず、
③相手の経路途中の駒については、必ず取らなければならず、
以下④と⑤は同じであって、
④常に同じ方向に、元の位置から、隣接する升目に、一歩
 一歩進む正行度タイプの踊りであって、
⑤常に元居た升目から離れる方向に向かう、後戻りのきかな
 い動きをし、
ただし⑥は違い、
⑥1歩でも2歩でもどちらでも良く、踊り数に範囲(1か2)
 の有る”二以下踊り駒”である。
と表現される。

つまり、これだと、「銅将2回繰り返し動き」から、
②自分の駒も跳びこせるようになり、
③相手の経路途中の駒については、取らなくても良い選択肢
 が発生し、
⑥踊り数は範囲(1か2)から2だけになった
という事になる。
しかし、以下私見であるが、

猛牛は正行度2踊りのモダンな動きで、後期大将棋の時代
に近くなってから、その時になって初めて確立された駒と
して、存在しただけなのではないかと、

私は今の所思っている。
 もし今述べた進化仮説のようだとすれば、「銅将を2回繰
り返す動きで、カーブしない方を選んだもの」が猛牛の、も
ともとの動きという事になるが、

「銅将を2回繰り返す動きのうち、カーブする方」は、その
ような駒が残っていない上に、もともと、
考えにくい動きのルールだから

である。つまり、それは存在したとしても、「玉将」と、
行き先が同じだが、隣接する斜め升目には、踊り駒の法則で
進んだり、斜めに進むときには、隣接する升目で、元の位置
から見て、前後左右の相手駒が、途中取りができる結果、
2枚取りできる、特殊な駒という事になる。
 つまり上の仮説の、「原始猛牛」には、「原始飛龍」と
違って「原始麒麟」にあたる駒が、少なくとも簡単には
イメージできない。そのため、普通唱導集の西暦1300年
ころの大将棋には、安易に猛牛を大将棋に加える可能性が、
前々回に述べた飛龍の猛虎を使った動きのルールの変更より
も更に、可能性が少ないように私には思える。
 ただし、鎌倉時代末期の遺跡から将来、猛牛とともに、
熊眼とか毒狼といった、平安大将棋の銅将のカーブ、Uター
ン型の動きを示唆するような名称の駒が将来出土したら、私
は上の考えを、素直に改めたいと思う。(2016/12/05)

補足・なぜ13升目列の大将棋は成立し得たのか(長さん)

 だいぶん前の所で、持ち駒ルールの無い将棋の場合、
9升目行将棋では、桂馬が1段目初期配列のケースは、
ぶつかり合う配置のため、ゲームの廃れの要因になる
との旨述べた。平安小将棋を9行型に、院政期に変化
させたために、一時的な小将棋系の廃れを招き、大将棋
系の、世界に類例の無い「隙をついた発展」に繋がった
と、私は考えているというわけである。
 しかし、桂馬を初期に1段目に配列して、ぶつかり
合うのは、行升目が、5+4nで、nが0,1,2・・
のケースだから、5行、9行、13行、17行将棋が
それにあたっており、そこに含まれる13行の
平安大将棋が、その後も存続し続けたとすると、
論理的にはちょっとおかしいと、言うことになる。
 この点について私は、9行将棋の場合と違って、
13行(以上)になると、たとえば初期に2一地点に
桂馬を配列する方の、仮に△の側の立場で見ると、

△5十一地点という、中央筋以外に、桂馬の攻め地点
が、13升目行の場合は生じて、攻めの幅が広がる

ため、9升目行小将棋と、陣が3段組の類似のパター
ンの場合も、状況が違うと考える。
 9升目行型の小将棋の場合、△4五に、桂馬が伸び
た後、3七の地点で、▲が2九の地点に置いたままの、
相手の桂馬に、当たりにならないようにするためには、
中央筋の5七の地点に出るしかなく、初期配列で、金
を例えば、▲5八金右と進められると、簡単に受けら
れてしまう。現在の日本将棋でも、桂馬で序盤すぐに
攻めて行く将棋が、余り見られ無いのはそのためだと、
私見する。
 それに対して、平安大将棋のような13升目型の場
合、△4九や△6九に、相手▲の桂馬の当たりを避け
ながら延び出した、△側の桂馬は、△7十一の中央筋
でなく、△5十一の▲側猛虎の頭を、狙う選択肢があ
るのである。なお7十一の地点は、▲側は、平安大将
棋三段組仮説をとる場合は、7十の位置の注人が効い
ている。それに比べて▲側にとって、5十一の地点は、
あらかじめ、▲側の5十三に初期配列された銀将も、
繰り出して最初の位置には居なくなっていると、
3十三配列の鉄将は攻め駒であるため、もともと繰り
出していていない可能性が高く、よって守りとして
存在せず、平安大将棋の▲側4十三配列の銅将は、
5十一の地点には、そのまま▲4十二銅将と上げても、
効かず、▲側6十三配列の金将を▲6十二と上げるの
も、囲いの乱れ感が出るので、結局5十一地点を守ろ
うとすると玉が手薄になって、△側の攻め筋になる焦
点となり、この地点の△側の桂馬による攻めは、将棋
として成立する可能性も、大いに存在するのではない
かと、私は見るのである。
 このように、「中間第5筋に攻め込んでゆく桂馬」
という作戦が、13升目将棋には有って、すでに、
5筋が中央筋の、9升目の持ち駒ルール無しの将棋で
は無理筋になる等、盤が大きいと、桂馬の使い道が
増加する為、13升目の将棋だけが、鎌倉時代
草創期ころ廃れず、指され続ける要因になったと、
私は考えて矛盾は無いと見ている。
 むろんその他の要因としては、13升目×13升目
将棋盤を所持しているセレブは、家柄の良いのを誇り
として、鎌倉時代には代々、平安大将棋の将棋盤を
伝えたであろうから、大将棋の升目の数は、おいそれ
とは、変えにくかったと言うのも、あるいは有るの
かもしれないと思う。
 よって、鎌倉時代末期の西暦1300年ころ、
普通唱導集の大将棋が13×13升目将棋だという説
にとって”桂馬のかち合い条件の問題”は、最悪でも
致命的難点とまでは、ならないのではないかと、いま
私は考えているのである。(2016/12/04)

安土桃山時代における、大将棋の飛龍と中将棋の鳳凰の差(長さん)

 安土桃山時代に書かれた、将棋部類抄の中将棋の図後
のコメント部によれば、「中将棋の鳳凰の斜め四方向の
動きは、飛(跳)越(超)えであって、後期大将棋の図
で2つの点を打った飛龍の斜め動きとは、例えられない
ほどに違う」と言う。さて、
今まで私が述べた考えが正しいとすると、鳳凰は、西暦
1300年より少し前に、普通唱導集大将棋に現れた駒
で、安土桃山時代の中将棋と同じく、斜めは跳び、それ
に対して飛龍は、後期大将棋では猛牛と隣接して配置さ
れている事から、この時点では斜め四方向それぞれの動
きについて、踊り駒であると推定される。詳し比べてみ
ると、
斜め4方向で、鳳凰と飛龍どちらも対応する方向の動き
について、以下比較する。すると、
①着地は空き升目か、相手駒升目で可能でかつ、相手駒
升目である場合には、その相手駒を取って進むのは、
歩み駒、走り駒、踊り駒は共通なので、鳳凰と飛龍で
共通であり、踊り駒も、跳び駒も、間の駒を、跳び越え
るケースが存在するという点では共通である。
②鳳凰も飛龍も、間の駒が自分の駒でも相手の駒でも、
跳越える、通常の跳び越え型と新式の踊り型だったとみ
られる。

③ただし、鳳凰だけ途中の相手の駒をぜんぜん取れない。

飛龍は、跳び越えた駒が相手の駒なら、取らなくても良
いし、取っても良いというルールだったと考えられる。
④鳳凰は、一手で2升先の斜め升目に跳ぶ跳び駒と認識
されるが、
飛龍は、斜めに一定方向に、元の位置から遠ざかるよう
に、隣接升目に一歩づつ移動する、踊り駒と認識される。
ただし、方向は対応する4成分のそれぞれについて、
互いに同じ方向で、あり続ける。
⑤鳳凰は斜めは跳びなので、Uターンは無い。
後期大将棋では、
飛龍もUターン無しの、正行度の踊り駒だったと考えら
れる。
⑥鳳凰は跳びであるから、隣接斜め升目へは移動できな
い。
飛龍は踊り駒であるが、この時点で2升目だけ踊りと、
踊りの数限定型の踊り駒だったと考えられる。従って、
隣接斜め升目へ行けない点では、鳳凰の斜め動きと
同じだったと思われる。

つまり、以上をまとめると、鳳凰だけ途中の相手の駒を
ぜんぜん取れない点だけが違うだけで、その点だけ
指摘すれば、

互いに「相手の動きのように」と例えても、罰は当たら
ない程度の微差だろう

と私は認識する。
実は飛龍は、その発生が平安大将棋からで、定説では、
その時点で角行の動きだとされている。(異説もある。)

なお西暦1300年の普通唱導集の大将棋の時点で、
飛龍はまだ走りだと私は考えるが、良くわかっていない。

例えば、普通唱導集大将棋の時点で、平安大将棋の猛虎
の動きの二回繰り返しで、私の言う「古式麒麟の踊り」
とは違って、2回目にはカーブしないまっすぐ斜め動き
と、考えようと思えば、考えられないでもない。
もし、そうだとすれば、この直線的猛虎2回動き古式
西暦1300年ころ踊り時代の飛龍と、
後期大将棋、西暦1580年ころ安土桃山時代の正行度
飛龍とを比較すると、

②が相手駒だけから、自駒でも良いに変化、
③が昔は強制取りだったが、任意取りに変化、
⑥が隣接斜め升目へ、昔は行ける、1つか2つの踊り
 だったが、1つのケースは禁手となった。

と、3箇所変化した事になる。
また、折れ曲がらず猛虎2回の方が、正行度2踊りより、
鳳凰との差が大きい事もわかる。これだけからすると、
昔をこっそり思い出して、水無瀬兼成が、「この2者は
とても違う」と、目くじらを立てて見せたようにも思え
る。
ただ、そうだとすると、13×13升目104枚制の1300年
の大将棋の場合、①飛龍は2段目2列に置かざるを得ず、
隣が端側に反車、内側に嗔猪となって、元ネタの猛虎
から3升目離れている点に不自然感が残る。また、
②2升目動き系の駒が、麒麟と並ぶのは自然だが、
平泉遺跡の出土駒が不成りとなっている以上、いまの
所、飛龍は、大将棋の歴史の中で常に不成りと仮定
せざるを得ず、成りがより、強い踊り駒になるような
工夫、たとえば(仮称)古式動きの「白象(ただし縦
横隣接升目へ行けない)」に成るといった記録が無い。
③徳島県川西遺跡から出土した、奔横駒が示唆する
ように、1250年の川西駒の大将棋の時代には、私の
説によると、横行、猛虎は2段目に並存していたはず
で、大将棋の2段目に、2升目動き駒を集めなければ
ならない、強い根拠が見あたら無い、
以上、3つの点から、私は「猛虎2回直線動きの飛龍」
という駒は、存在が疑わしいのではないかと、今の所
考えている。
そもそも、安土桃山時代の後期大将棋の正行度踊り駒
の飛龍と、平安大将棋の走りの飛龍とは、動きがぜん
ぜん違うから、水無瀬兼成が、跳びの鳳凰と比較する
飛龍として、走り時代の飛龍の昔をこっそり思い出して、
「この2者はとても違う」と、目くじらを立てて見せ
たとしても、このケースはおかしくないのかもしれな
い。ちなみに、走り駒時代の飛龍と跳びの鳳凰は、

①着地は空き升目か、相手駒升目で可能でかつ、相手駒
升目である場合には、その相手駒を取って進むのは、
歩み駒、走り駒、踊り駒は皆共通。
②鳳凰は、間の駒が自分の駒でも相手の駒でも、
跳越えるが、走り駒はどの駒も全く跳び越えられ無い。
③鳳凰は途中の相手の駒をぜんぜん取れない。走り駒は
跳び越える駒が無いので、間の駒を取ることがない。
④鳳凰は、一手で2升先の斜め升目に跳ぶ跳び駒と認識
されるが、走り駒の平安大将棋の
飛龍は、斜めに一定方向に走る駒である。
ただし、方向は対応する4成分のそれぞれについて、
互いに同じ方向では、あり続ける。鳳凰には3升目先
から先への動きが無いが。
⑤鳳凰は斜めは跳びなので、Uターンは無い。
走り駒もUターンはしない。
⑥鳳凰は跳びであるから、隣接斜め升目へは移動できな
い2升目先だけ、1ケースだけ可能。それに対し、
この飛龍は走り駒であるから、2升目どころではなく、
その方向が空き升目なら、1~14升目まで制限無く
走れる。2は含むが1も3~14も、場合によっては
全部含まれる。また、別の自分の駒が有れば、極端、
隣接升目にも進めない。相手の駒の向こうへも行けない。

となる。言うまでもないだろうが、動かす方向が、
斜めで一緒という点が、同じなだけである。
 何れにしても、水無瀬兼成らしき著者が、間駒取
りの有無程度の差にすぎない、新式正行度2踊りと、
1升目跳びとを、意外なほどに「大差」と評している、
この記載部分については、いっけんして不思議な記述
として、記憶にとどめておきたいと私は常々思って
いる。(2016/12/03)
 

大将棋の成りの条件則(長さん)

 何れにしても中将棋は、何らかの大将棋が親である事は
間違いないであろうから、中将棋の成りの特徴である、
「敵陣に進んで不成り選択の後の、相手駒取りによる、成
不成り再選択則」は、大将棋時代からの受け継ぎであると
考えるのが、いっけん自然である。しかし、その可能性は
否定はしないものの、

上記の現在の中将棋の「成り条件則」は、中将棋の成立に
より、新たに出来た規則、の可能性もある

と私は考える。上記の日本将棋を基準にして「特殊な再成
り選択則」は、たとえば、金将が飛車に成るというよう
に成りが確立された中将棋と、江戸時代の、成りが中将棋
に準じるようになった、新後期大将棋にしか、適用されな
いのではないかと、私は疑っていると言う事である。中将
棋の方が日本将棋より古いため、「特殊な再成り選択則」
が先ず有って、日本将棋の「自由な再成り選択則」へ
後世に進化したと考えがちであるが、その「進化イメージ」
は、ひょっとすると錯覚があるのかもしれない。
 元々は二中歴の将棋成り規則を読む限り「敵陣進入時に
成り」しか規定はなく、強制とも任意とも、明文化されて
いなかったとしか、考えられない。当然「銀不成り」が、
許されるかどうかが、平安小将棋では、指し込めば、問題
になってきただろう。
 それ以前に、平安大将棋にはもっといろいろな種類の駒
があるから、敵陣入り成りが任意か強制かが、大将棋の方
で先に問題になるのではないかと、思われるかもしれない
が、意外にも

 平安大将棋には、成りの任意性が問題になる駒種が、
平安小将棋よりむしろ少なかった可能性が強いのではない
かと、私は推定する。

 私の考えでは、類似の戦法を、小将棋と大将棋で取った
とき、大将棋の攻め駒に銀将が恐らく含まれず、小将棋で
攻め駒の銀将の役割を担っていた駒が、鉄将、銅将となり、
その両者ともに、金将から一部の動きを取り除いた動きの
駒になっていたと思う。しかも、西暦1300年時点で、
飛車が金に成る等、南北朝時代の金成り過多の時代に入っ
ていなかったため、普通唱導集大将棋に有って、平安小将
棋に無い、金成り駒は、反車と仲人と、ひょっとして、
銅将、鉄将を加えた依然4種だけ。後は不成り
か、太子成り、獅子成り、奔王成りであり、基本的に平安
大将棋の時代と、突入時に不成りを、小将棋より選択しに
くい事に、長い間、変化は無かったと考えられる。
 以上の事から、自由成りルールは、いつ発生したのか不
明であるが、中将棋が成立する南北朝時代以前に小将棋の
進化中に、小将棋棋士が発明したものであって、中将棋の
「相手陣内相手駒取り時、成り再選択則」のめんどうくさ
さが、現在の日本将棋の「自由成り」を生み出したとは、
簡単には決め付けられないと、私は考えている。
 そして私の推定では、小将棋の、現在の日本将棋と同じ
自由成り則は、小将棋から、鎌倉時代晩期の普通唱導集時
代の大将棋にも受け継がれ、金成りが増えた、南北朝時代
の大将棋ですら、そのままだった可能性も無いとは言えな
いのではないかと疑う。
 南北朝時代の大将棋では、既にこのブログで推定したよ
うに、角行や飛車が金将に成るように変化していたから、
敵陣突入時の不成りは、しばしば選択されたかもしれない。
しかしここで考えておきたいことは、
自分の陣に不成りで入った、成るかもしれない相手駒が居
ることは、駒の位置を見れば簡単に判るのに、自分の駒が
取られたかどうかで、成りの可能性が判定するというよう
な、新たな「判定条件」を、なぜ今の中将棋のように、新
たに付けないといけないのか、

その動機はいったい、何だったのだろうかと言う事である。

私は、中将棋の成立期、金将を飛車に成るルール等、成り
を整備した時代に、小山市神鳥谷曲輪遺跡から出土した、
角行や飛車が金将に成る、駒数多数系将棋がまだ指されて
いたと、推定する。それどころか、

 金将を飛車に成るルールにしたために、それと同時に、
飛車が金将に成るような、進化途中の中将棋が一時的に
出来てしまった可能性さえ有り得る

と私は考える。この将棋では、自陣に入った相手の金将が
飛車に成った後、成り駒か元から飛車なのかがわかり難く
なり、実際とどめを刺すため3段成りの、インチキをする
者も出る等、対局中トラブルの原因にもなったのであろう。
その問題は、言うまでも無く、龍王に成る飛車が発明され
てほぼ終止符を打ったのだろうが。とりあえず、不成り突
入飛車が、「動かしたときに自由に成り」ができないよう
にルール変更しておけば、玉は飛車だけではつかまり難い
ため、詰まれそうなときには、飛車が金に成る原因を作る
生贄駒となりうる囲い駒を、わざと捨てて逃げ出せば、そ
の飛車が何なのか、気にする必要は余りなく、トラブルが、
当座防げたため、追っ付けで規則を作ったのかもしれない
と思う。なお、中将棋に連続王手の千日手の禁止は無いが、
先に千日手を仕掛けた方の、千日手続行の禁止は有る。

つまり、現在の中将棋の成り条件ルールは、安土桃山時代
までの大将棋には関係なく、大将棋以外の、たとえば中将
棋自体を指していたときに固有の事情で出来た疑いもある

のではないかという事である。むろん現在の中将棋は、成
りの条件ルールが今の形で、諸ルールを調整した結果
発達を遂げた訳であるから、中将棋の成り条件は、変える
必然性は、にわかには無いだろう。しかし以上の考察から、
結局のところ、その中将棋の日本将棋とは違う成り条件が、
成りが極端に複雑とまでは言えない、安土桃山時代までの
大将棋の成り条件の受け継ぎに、間違いないとまでは、少
なくとも言えないのではないかと私は疑う。(2016/12/02)