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大将棋の衰退は必然だったのか(長さん)

 今まで述べたように、私の推定では、中将棋に取って
代わられた、普通唱導集時代の大将棋は、13×13升目
盤に、駒を104枚並べるものであって、12×12升目
盤に、駒を92枚並べる、現在の中将棋とさほどの、規模
の差は無く、
①獅子を入れる隙間が無い
②袖の配列に難があり、そこから崩される戦術が定番の
 ように指されて、ワンパターン化していた。
という、致命傷になる2つの弱点を持っていた。
ここで、①については、12×12=144升目程度が、
獅子の活躍を、最大限引き出せる升目数だと仮にすると、
獅子の存在で、面白さを出せる大将棋は、作れないという
事になる。そこでそれ以外に、駒数の多数のゲームで、
面白さを、それと同等、もしくはそれ以上に、出す手法
が無い事が、もし証明されると、144升目の中将棋が、
大将棋を滅ぼす事になるのは、必然という結果になろう。
ここでは、手始めにその①の問題は問わない事にしよう。
つまり「袖の配列に難があり、そこから崩される戦術が、
その当時の大将棋ではどうやら、定番のように指されて、
ワンパターン化してしまっていた。」という問題だけで
も、104枚制の大将棋の範囲で、どうにか出来なかっ
たのかと、考えてみる。
 むろん、現実には大きく手直しして、15×15升目、
駒数130枚制の後期大将棋にして行くうちに、飛龍・
猛牛列を増やすことによって、いつのまにか角筋が、反
対側の、反車には、当たらなくなっていた訳だから、中
将棋へ変化する過程で経たとみられる、かなり大規模な
変更だけが、「解」では無い事は確かである。
 ただし、後期大将棋の段数、小駒数を増やす方法は、
こっちの方も、手直し箇所が多いわりに、ゲームの面白
さの改善にもなっておらず、「解」であっても、適解と
は到底いえまい。ここでは、定跡防止という点だけから、
見た、適解に近いものを考えてみたい。
ここで出発点は、仮に、私の考えた次の将棋とする。1
段目から記載するので、左辺半分を相手側から見ている
と考えると、判りやすいと思う。

一段目中央から、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、嗔猪、飛龍、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
四段目中央から、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
五段目中央から、空き、空き、空き、仲人、空き、空き、空き

という配列の13×13升目の、走り駒の密度が高い
将棋である。
なお、二段目2番目の麒麟は、右側の対応する位置が、
鳳凰に変わる。なお、ここで飛龍は角行の動きとする。
 さて、普通唱導集第2段目で唄われるような、「仲人
の支え」は、本質的には、第三段目端列手前の横行に、
「相手角筋に対する『反車の遮蔽駒』としての能力が、
ほぼ無い事」から、手数が余分に必要になる手筋である。
もっと問題の本質まで考えると、こうした将棋が、全体
として中央に厚く、袖が薄く駒を配列する、慣わしが
あるために起こる問題である。

つまり、袖の列の駒の強さまで、ほぼまんべんなく同じ
強さになるように、駒を揃えれば、大体の場合は解決す
る問題

と私は考える。そこで、いろいろ方法はあるのだろうが、
一例として、私は以下のようにして、普通唱導集で、定
跡の唄われない、大将棋を最短で作成してみた。

一段目中央から、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、角行、横行、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、飛龍、方行、竪行、飛車
四段目中央から、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
五段目中央から、空き、空き、空き、仲人、空き、空き、空き

ここで、新たに大大将棋の「方行」を三段目端から3列
目に導入した。
方行は、飛車の動きに加えて、隣接斜め前の計2升目へ
歩める、飛車類似の走り駒である。
ちなみに、角行と飛龍は、同じ動きで、龍駒、行駒を、
それぞれ集めて覚えやすくするのを狙って、配置を換え
ている。つまり2~3段目は、
二段目中央から、酔象、麒麟、猛虎、空き、飛龍、横行、反車
三段目中央から、奔王、龍王、龍馬、角行、方行、竪行、飛車
でも、同じルールの将棋になる。こちらのほうが、移動
数は少ないが、駒名の類似な物が集まっているので、上
のほうが記憶しやすい、それだけの利点は有ると、私は
思う。つまり、改善点は実質、

方行を入れ、竪行、横行、飛龍をそれぞれ隣接升目に
動かして、最後に嗔猪を取り除いただけである。

 この将棋では、△が上図には示されていない、右辺の
△の(新)飛龍で▲の反車を狙っても、▲としては、
自分の▲竪行と、△飛龍の交換には、竪行には横行ほど
の守りの価値が無いため、素直に応じられる。よって
結果として、▲の4九位置の仲人を、苦労して「支え」
なくても、▲の右の反車は、消失しにくいのではないか
と私は考える。
 以上の事から、少なくとも私は、大将棋は南北朝時代
に中将棋の時代になっても、本当なら、もう少しはがん
ばれた、はずだったのではなかったのかと思う。感情論
もあるが、私は大将棋の南北朝時代以降の衰退を、少し
残念に、思っている。(2016/12/06)

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