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大将棋の成りの条件則(長さん)

 何れにしても中将棋は、何らかの大将棋が親である事は
間違いないであろうから、中将棋の成りの特徴である、
「敵陣に進んで不成り選択の後の、相手駒取りによる、成
不成り再選択則」は、大将棋時代からの受け継ぎであると
考えるのが、いっけん自然である。しかし、その可能性は
否定はしないものの、

上記の現在の中将棋の「成り条件則」は、中将棋の成立に
より、新たに出来た規則、の可能性もある

と私は考える。上記の日本将棋を基準にして「特殊な再成
り選択則」は、たとえば、金将が飛車に成るというよう
に成りが確立された中将棋と、江戸時代の、成りが中将棋
に準じるようになった、新後期大将棋にしか、適用されな
いのではないかと、私は疑っていると言う事である。中将
棋の方が日本将棋より古いため、「特殊な再成り選択則」
が先ず有って、日本将棋の「自由な再成り選択則」へ
後世に進化したと考えがちであるが、その「進化イメージ」
は、ひょっとすると錯覚があるのかもしれない。
 元々は二中歴の将棋成り規則を読む限り「敵陣進入時に
成り」しか規定はなく、強制とも任意とも、明文化されて
いなかったとしか、考えられない。当然「銀不成り」が、
許されるかどうかが、平安小将棋では、指し込めば、問題
になってきただろう。
 それ以前に、平安大将棋にはもっといろいろな種類の駒
があるから、敵陣入り成りが任意か強制かが、大将棋の方
で先に問題になるのではないかと、思われるかもしれない
が、意外にも

 平安大将棋には、成りの任意性が問題になる駒種が、
平安小将棋よりむしろ少なかった可能性が強いのではない
かと、私は推定する。

 私の考えでは、類似の戦法を、小将棋と大将棋で取った
とき、大将棋の攻め駒に銀将が恐らく含まれず、小将棋で
攻め駒の銀将の役割を担っていた駒が、鉄将、銅将となり、
その両者ともに、金将から一部の動きを取り除いた動きの
駒になっていたと思う。しかも、西暦1300年時点で、
飛車が金に成る等、南北朝時代の金成り過多の時代に入っ
ていなかったため、普通唱導集大将棋に有って、平安小将
棋に無い、金成り駒は、反車と仲人と、ひょっとして、
銅将、鉄将を加えた依然4種だけ。後は不成り
か、太子成り、獅子成り、奔王成りであり、基本的に平安
大将棋の時代と、突入時に不成りを、小将棋より選択しに
くい事に、長い間、変化は無かったと考えられる。
 以上の事から、自由成りルールは、いつ発生したのか不
明であるが、中将棋が成立する南北朝時代以前に小将棋の
進化中に、小将棋棋士が発明したものであって、中将棋の
「相手陣内相手駒取り時、成り再選択則」のめんどうくさ
さが、現在の日本将棋の「自由成り」を生み出したとは、
簡単には決め付けられないと、私は考えている。
 そして私の推定では、小将棋の、現在の日本将棋と同じ
自由成り則は、小将棋から、鎌倉時代晩期の普通唱導集時
代の大将棋にも受け継がれ、金成りが増えた、南北朝時代
の大将棋ですら、そのままだった可能性も無いとは言えな
いのではないかと疑う。
 南北朝時代の大将棋では、既にこのブログで推定したよ
うに、角行や飛車が金将に成るように変化していたから、
敵陣突入時の不成りは、しばしば選択されたかもしれない。
しかしここで考えておきたいことは、
自分の陣に不成りで入った、成るかもしれない相手駒が居
ることは、駒の位置を見れば簡単に判るのに、自分の駒が
取られたかどうかで、成りの可能性が判定するというよう
な、新たな「判定条件」を、なぜ今の中将棋のように、新
たに付けないといけないのか、

その動機はいったい、何だったのだろうかと言う事である。

私は、中将棋の成立期、金将を飛車に成るルール等、成り
を整備した時代に、小山市神鳥谷曲輪遺跡から出土した、
角行や飛車が金将に成る、駒数多数系将棋がまだ指されて
いたと、推定する。それどころか、

 金将を飛車に成るルールにしたために、それと同時に、
飛車が金将に成るような、進化途中の中将棋が一時的に
出来てしまった可能性さえ有り得る

と私は考える。この将棋では、自陣に入った相手の金将が
飛車に成った後、成り駒か元から飛車なのかがわかり難く
なり、実際とどめを刺すため3段成りの、インチキをする
者も出る等、対局中トラブルの原因にもなったのであろう。
その問題は、言うまでも無く、龍王に成る飛車が発明され
てほぼ終止符を打ったのだろうが。とりあえず、不成り突
入飛車が、「動かしたときに自由に成り」ができないよう
にルール変更しておけば、玉は飛車だけではつかまり難い
ため、詰まれそうなときには、飛車が金に成る原因を作る
生贄駒となりうる囲い駒を、わざと捨てて逃げ出せば、そ
の飛車が何なのか、気にする必要は余りなく、トラブルが、
当座防げたため、追っ付けで規則を作ったのかもしれない
と思う。なお、中将棋に連続王手の千日手の禁止は無いが、
先に千日手を仕掛けた方の、千日手続行の禁止は有る。

つまり、現在の中将棋の成り条件ルールは、安土桃山時代
までの大将棋には関係なく、大将棋以外の、たとえば中将
棋自体を指していたときに固有の事情で出来た疑いもある

のではないかという事である。むろん現在の中将棋は、成
りの条件ルールが今の形で、諸ルールを調整した結果
発達を遂げた訳であるから、中将棋の成り条件は、変える
必然性は、にわかには無いだろう。しかし以上の考察から、
結局のところ、その中将棋の日本将棋とは違う成り条件が、
成りが極端に複雑とまでは言えない、安土桃山時代までの
大将棋の成り条件の受け継ぎに、間違いないとまでは、少
なくとも言えないのではないかと私は疑う。(2016/12/02)


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df233285

「飛車で詰められないようにする」方法の訂正(長さん)

本文中で、私は「飛車が金成るのに、再度の場合は相手駒を
取らないと、相手玉のとどめ詰み駒にはならないケース」として、
「裸玉の飛車追い」との旨記載しましたが、間違いのようです。
実際には、「玉周りに、2枚の守り駒があり、2枚の飛車で
玉を攻める時」にそうなります。訂正いたします。
by df233285 (2016-12-04 06:40) 

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