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平安大将棋のトライルール型将棋への改善(長さん)

 昨日、否定的に簡単に述べたが、一応大将棋の話題な為
13×13升目68枚制の平安大将棋を、大大将棋風に
改善して、トライルールを入れても、余り面白いゲームに
は本当にならないのかどうか、確かめたので報告する。
初期配列は、以下の図のように変え、同じくスティーブ=
エバンスの将棋ソフト「将棋類」で、今度は、2~3回ソ
フト対人間で対局するだけでなくて、1局だけだったが、
一人指しして、面白くなるかどうかをチェックした。
無題.GIF
 結果はこの将棋の場合、逆にトライルールで全て勝敗が
決まる。また、トライの段数も、どうぶつしょうぎ同様、
相手陣の最下段にした方が、中間段より多少勝負が緊迫し
て、ゲームがましなようである。ただし、小駒を玉将と同
時に、ぞろぞろ繰り出して行き、相手陣の袖の部分で、
陣を作るというパターンになるだけであり、指し方は決ま
りきっていて、将棋としてはやはり、面白くはなりそうも
無かった。
以上のように、トライルールを持つ、小駒を余分に前段に
並べて始める、駒数多数の日本の古い将棋型のゲームは、
15×15升目以下では、走り駒や大駒を適量加えれば、
玉詰み将棋の方が勝って、適用範囲が狭く、17×17
升目前後の大大将棋クラスで、ようやくトライと玉詰みが
混合する、コンピュータには形勢判断が難しそうな、面白
い将棋が、作れそうである。よって、大雑把に言えば、
入玉規定将棋やトライルール将棋は、持ち駒ルールの無い、
日本の古典の将棋類に関し、中将棋と、ここで題材として
いる、大将棋とは、将棋の規模がやや小さすぎて余り相性
のよくない、ゲーム設計手法と結論されそうである。よっ
て、結局コンピュータの不得手な将棋として、13~15
升目の大将棋系を題材にするなら、別の手を捜すか、
大大将棋以上の、更に複雑なクラスの将棋で、そのような
ゲームを、作るべきのようであった。

 さて、今年も年末となりました。この2か月間、つたな
い、このブログに皆さんお付き合い頂きまして、誠に感謝、
申し上げます。来年早々は、できれば、コンピュータと、
人間の春の頂上対決について、年冒頭、御紹介等致したい
と考えております。ではまた来年も、どうぞよろしく
お願いいたします。皆さん良いお年を。(2016/12/31)

大大将棋型のトライルールを適用可能な変形大将棋(長さん)

 前回、コンピュータが苦手とするゲームの例として、
大大将棋に、9段目に玉将が達したら、トライ勝ち
というルールの、ルール変更の大大将棋を紹介した。
ところで、本ブログは、大大将棋ではなくて、大将棋
が中心題材な為、大将棋で大大将棋のようなゲームを
作ったら、トライルール入りの、駒数多数ゲームが、
はたして可能なのか、どうかを考えてみた。
ただし、平安大将棋では、可能でもそれ以前に面白み
に欠けるため、小駒余りの多い大将棋の中でも走り駒
・大駒もたくさん有る、15×15升目130枚制の
後期大将棋を、題材として選んだ。
ただし、前回のべたように、後期大将棋のままでは、
走り駒が枯渇した時点で、玉将のトライ勝ちを目指す
ように指せば良い、単純なゲームになるため、走り駒
を、小駒で、大大将棋のように被服する配列に、変え
た、新たな、15×15升目130枚制初期配列変更
変形後期大将棋を、考えた。以下に、その将棋の初期
配列を示す。
無題.GIF
大大将棋と同じように、将駒が銅将以下、前列にせり
出し、歩兵下列に、小駒が並び、逆に走り駒・大駒の
類が、玉将の居る、最も下の段に並べ替えている。そ
の他、獅子を下段済みに置き、中段に、角行・龍馬が、
初期配列駒を幾つも動かさないと、中段に出られない
ようにし、大大将棋の雰囲気を、出そうとしている。
 試しに、この初期ルールの新作駒配列大幅変更型の
後期大将棋に、大大将棋で説明したのと同様に「玉将
が、中央行の段、すなわち8段目に出たら、トライ勝
ちルール」を適用してみた。
 なお、手法は、前回と同様、オーストラリア人、
スティーブ=エバンスの将棋ソフト「将棋類」で、対
コンピュータ対局を、私が行って、様子を確かめた。
 結果を記すと、場合によってはトライで勝ちになる
事も、元々の配列とは違って、しばしば出そうであっ
た。が、大大将棋よりは、普通に、玉の詰み合いにな
る事の方がまだ多そうだった。理由は、陣の腹の部分
が、大大将棋より、この変形後期大将棋の方が弱く、
端攻めが、大大将棋に比べて、成功しやすい為である。
 オリジナルの大大将棋と、この将棋の初期配列とを
比較してみると、この130枚制将棋では、猫叉の両
隣が空隙になっている点が、まだ違っている。
 ここに、横の守り駒、たとえば、大大将棋から借り
るとすれば、踊鹿とか変狸とか、横3升目+和将棋の
盲犬動きの夜叉を入れるなどして、端攻めが成功しに
くく、よって玉将の中央行へのトライがしやすいよう
な、駒の追加を更にすれば、大大将棋並みに、大将棋
でも、トライルールの有る駒数多数将棋に、もしかし
たら、なるのかもしれないと思われた。
 何れにしても、走り駒や大駒、(特別規則の無い)
獅子駒の多い将棋で、トライルールが有効な将棋は、
自陣が5段程度にはなる、15×15升目で、駒数は
138枚程度の、結構大規模な後期大将棋類似の新作
ゲームが、最も単純なゲームに、なる可能性が強いと、
今回のテスト結果からすると予想された。(2016/12/30)

玉将のトライルールの有る駒数多数将棋(長さん)

 前回、コンピュータ将棋ソフトの苦手な将棋ルー
ルについてのべ、具体的に日本将棋の入玉による、
引き分け、勝ち負け判断ルールや、どうぶつ将棋の
トライルールが、ソフトには、局面の形勢判断が
複雑になるため、苦手なのではないかと、述べた。
そして、これらの将棋ルールは、小将棋の系統では
なくて、駒数の多い、大将棋系統のゲームにも、
適宜取り入れる事が可能であろうと記した。
 そこで今回は、具体的に、トライルールを、駒数
多数の日本の古い時代の将棋に、取り入れてテスト
してみたので、結果を報告する。
 具体的なゲームとしては、大大将棋とし、取り入
れたのはトライルール、具体的な付加したルールは、

17行有る、大大将棋で、一方の玉将が、中央行の
段、すなわち、9段目に達して、その時点でその玉
将に王手が掛かっていなければ、その玉側の勝ち

という、どうぶつしょうぎ型のトライルールを、導
入してみた。なお、その他のルールは、オーストラ
リア人、スティーブ=エバンスが作成した、駒数多
数将棋のソフト「将棋類」のルールにより、テストも
コンピュータAIと私が対局して、調整してみた。尚
このソフトのルールでは、概ねwikipediaに近い、
駒の動かし方や、成り条件が採用されている。すな
わち、大大将棋には敵陣・味方陣の区別は無く、相
手駒を取った時に、成れる駒が成るというルールで
ある。もちろん、持ち駒ルールは無い。
 特にゲームに大きく左右する部分としては、毒蛇
と東夷の動かし方のルールがある。毒蛇は相手駒を
取ると「鉤行」という、勝敗に作用しやすい、極め
て強い駒に成る。なお、鉤行は、最初からある分も
含めて、「飛車2回の動きだが、L字ターンは出来
るが、Uターンが出来ないため、元の位置には戻っ
てこれない。駒を取ったら、それ以遠へは行けない」
というルールを、使用したソフトでは、採用してい
る。
 なお、この大大将棋でも、元もとの鉤行は不成り
である。
 また、元もとの毒蛇自体の動きは、諸説あるが、
この将棋ソフトでは、「前と斜め後ろの合計3方向
に、2升目先に跳び、または、横の隣接合計2升目
へ、一歩歩む」である。どっちもどっちだろうが、
「古鵄系統の動き」では、たまたまない。
 次に獅子に成る東夷は、この将棋では「前後に、
2升目走りの金将」になっていて、斜め前や左にも
1歩進める。つまり「東夷の弱体化」ルールは、
採用されていない。
 なお、玉将トライルールの有る大大将棋では、毒
蛇や東夷を成らせる事よりも、玉将を上段に上げる
事がより、優先されらせるので、これらの駒が成る
機会は、やってみると普段より、割と少なくなった。
 実際にゲームをしてみると、図で終局になるよう
な将棋が指せた。図は487手目で、先手の玉将が
9段目、11九の位置に上がり、先手(人間側)の
トライ勝ちになっている。むろん、このソフトには
「トライで勝ちになる」という認識が無いので、
局面の形勢判断がでたらめになり、人間が楽に
勝てる。
大大将棋.gif
 実は、このトライの段数については、最初は敵陣
の6段目等を考えていた。しかし、実際にやってみ
ると、大大将棋では、障害物として作用する小駒が
多く、大走り駒が、中盤の後期まで残って、その時
点で、駒枯れにはならずに盤中央に繰り出してくる
ケースが結構多いため、玉将は、高い段へ、むやみ
に繰り出す将棋は、結構しんどい事が判った。
何回か、ゲームを繰り返してみると、

中央段に一方の玉将が、仁王立ちした時点で、勝敗
をつけるのが、大大将棋では、普通の玉将詰みと、
ちょうど同じくらいの難易度になり、それ以上奥を、
勝ちを決めるトライ地点にしてしまうと、普通に、
玉詰みを狙う将棋だけになるだろうと、いう結果に
なった。

実際、例示した局面から、止めないでゲームを続け
ると、次に後手側から△9七(g)鳩槃と先手延び
出しの玉に王手が掛かり、これ以上、上部に先手玉
が進むのは、かなり大変そうである事が判る。
 ところで、そもそもゲーム種を大大将棋に選んだ
のは、所期の駒の配列で、銅将等の小駒が、上段に
置かれており、ここへ玉将を、近王、左右将、金将
等の囲いから、いったん抜け出させて、上段へ進め
る将棋が指しやすいためである。たとえば、トライ
将棋を同じソフトで、後期大将棋でもやってみたが、
走り駒がほぼ枯渇した時点から、トライ将棋へ移行
するのが、余りに、はっきりしすぎていて、トライ
ルールを持つ後期大将棋を、コンピュータが、苦手
とするようには、私には到底思えなかった為、テス
トを途中で断念した。
 それに対して大大将棋には、前列小駒と走り駒の
残数や活動度、位置が奥まっているかどうか等の、
バランスにより、玉将を移動し始めるか、どうかを
決める、という形になるため、トライルールを、
適用するようにして、勝ちパターンへ持ってゆくに
は、独特の、コンピュータに真似できるかどうか謎
の、言葉で表現しにくい勘所が有るようだった。そ
のため、この将棋のトライルール化は、コンピュー
タが比較的苦手のゲームとしては、一応有望なよう
に、私には思えた。なお、トライルール将棋は、
勝負を中途で止めてしまう破壊ゲームのため、詰み
将棋の力が、余り役立たないという問題は残るが、
侍従小駒余りの問題は、この方法でも回避はされて
いる。
むろん大大将棋の将駒の独特な初期配列は、もとも
と、トライルールがあったためとは、到底考えられ
ないが。今の所、中段に玉将の陣地を作りやすく、
そもそも、どういうわけか、ルールを複雑化させる
「太子」に成る酔象が欠けた、大大将棋では、
トライルール有りの将棋を比較的楽に、作れそうな、
昔の日本の将棋種の一例になっては、いるように、
私には思えた。(2016/12/29)

コンピュータ将棋ソフトが苦手な将棋ルール(長さん)

 よく言われる事であるが、コンピュータ将棋は、
入玉ルールが苦手である。日本将棋では、双方が入玉
した際、両方に詰み手順が無ければ、概ね駒の所持状
態により、引き分け勝ち負けを決める。詳しい原因は、
私は未調査であるので、以下は断定ではないが「局面
の評価値の精度で、普通の、玉同士の詰みに向かって
いる局面より劣る」というのが理由、との趣旨の話は、
良く耳にする。そのため、コンピュータ将棋ソフトの、
相互入玉により勝敗が決定する際の形勢の把握は、
普通の玉詰みにより、勝敗が決定する局面での形成の
把握の確度よりも、かなり落ちるため、検索の効果が
落ちるとも考えられる。
 入玉将棋で勝つには、自分の玉守りが、下段で堅い
よりも、中段に拠点ができていて、上段へ玉が進出し
ても、相手から、玉が脅かされない事の方が大事であ
ろうから、形勢の判断材料が、もともと違う。更に、
駒が良く働いているかよりも、そもそも所持駒数が多
いか、少ないかが、勝敗の決定要因なので、それでも、
評価の着眼点が、通常の玉詰めの将棋とは違っている。

 つまり、相互入玉ルール局面では、玉詰めルールの
支配する局面と違って、ディフェンスではなくて、
位を取る事が主体になるだけでなく、駒の有効性が、
重視されなくなる、2重の変化が、一つのゲームの中
に、現れるのである。

 ところで、通常の相互入玉局面の日本将棋とは別に、
ローカルルールで、「トライでも勝ち」という日本将
棋等がある。日本将棋ではローカルルールだが、4×
3の12升目、駒8枚制の「どうぶつしょうぎ」では、
正式ルールの一部である。このルールを、コンピュー
タが苦手とするかどうかは、私は良く知らないが、相
互入玉と違い、玉が前方に脱出できるかが重視の要素
としてだけ加わり、つまり入玉を早くした方が勝ちな、
だけなので、駒取得数の効果は、余り無い”半分相互
入玉要素を持つ”ルールであるとも考えられる。
 以上の2種類のルールは、何も日本将棋等でしか、
取り入れ不能なルールではなくて、シャンチー類を除
けば、各種の新作チェス・将棋型に適用可能なルール
である。ここで本題の、大将棋類ではいろいろ、バリ
エーションを変えて、この2種類のルールをもつ、新
しい将棋ゲームが作れそうである。そして同じ系統の
将棋で、そのような、日本将棋では、マイナーな局面
が、どうぶつしょうぎ並みに頻繁に現れる、新作将棋
ゲーム類も比較的簡単に作れるだろう。よってたとえ
ばその新作将棋で、トライルール無しとトライルール
有りとか、相互入玉ルール有りと無しとかで、コン
ピュータソフト対人間で対局し、勝率が大きく変わる
ようなら、

”局面評価要素が複雑だと機械は苦手である”

というふうに、はっきりと結論が出て来るに違いない。
 局面評価値の精度が、コンピュータ将棋の強さを
決める主な指標かとうかも、私には、はっきりとは判
らないので、断言できないが、もしそうであるとすれ
ば「機械に支配されたくないため、人間が専用でする
ゲーム」では、優勢劣勢の判断が、単純な要素の常数
の組み合わせでは、変化が多すぎて当たらないような、

何か、ゲームの中に工夫の有るような状態を作らない
と、多少駒数、盤升目数を機械的に増やした位では、
作ってまもなくして、ソフトに負けてしまう、という
状況が、単純に繰り返すだけになってしまう可能性も、
絶対無いとは、今どきは言えない

のかもしれないと考える。(2016/12/28)

観音寺城下町遺跡出土駒と新安沖沈没船出土駒の比較(長さん)

前回話題にした、新安沖沈没船出土駒の駒形と成り金の
話題は、持ち駒ルールの出現年の話であり、このブログ
の趣旨の本流からすると、少し外れるのであるが、話題
にした経緯があり、比較例として戦国時代の、たぶん日
本将棋の出土駒の情報が、Webにも載っているので、
ついでに紹介したい。滋賀県近江八幡市安土町にある、
観音寺城下町遺跡から出土した、複数の日本将棋の駒と
思われる、将棋駒の遺物である。
 16世紀中ごろのものと思われる遺物として、発掘さ
れた駒が、コメントで紹介したページに載っている。紹
介のページの内容は、我々将棋の歴史に興味が有る者に
とっては、たいへん親切なものである。つまり、香車と
角行が未出土であるために、それを除いて、各出土駒の、
表と裏の写真が全部、写真で掲載されている。紹介者に
は、深く感謝いたしたいものである。
 この写真で目を引くのは、言うまでも無く、日本将棋
の駒のため、裏が龍王に成る、飛車が含まれている点で
ある。なお、この遺物は、酔象の存在で有名な、朝倉氏
一条谷遺跡の出土駒と、ほぼ同じ戦国時代のものであり、
その駒の形や字体も、朝倉駒と良く似ていると言われて
いるらしい。個人的に私には、朝倉駒も、新安沖沈没船
駒も、観音寺城下町遺跡出土駒も、外見では、だいたい
同じ仲間のように見える。
 さて次が、新安沖沈没船出土駒との比較で、重要な点
であるが、桂馬が銀将よりも小さく、大きさの差で、裏
から見ても、新安沖沈没船の駒と違って、銀と桂馬の区
別が、観音寺城下町遺跡駒では付くようになっている。
 ただし、観音寺城下町遺跡出土駒では、現代の日本将
棋の駒と違って、成り銀の書体と、成り桂馬の書体には
大きな差が、無いようである。他方歩兵の成りだけは、
銀や桂馬の成り等と違って、金がより、崩されている。
それで、歩兵についてだけは、金の字の崩し方と駒の大
きさの両方で、駒の表が、判るようになっているようだ。
ただ「と金」や「今金」には、この遺跡駒の歩兵の場合
には、なっていない。戦国時代までは、金の崩し方も、
特に定まって居なかったことも良くわかる。
 この事から、戦国時代以前の小将棋の駒については、
表駒の推定を、成り金の崩し方と駒の大きさの両方です
るとは、限らないと結論できる。つまり、成り金の崩し
方だけでする場合、駒の大きさの差だけでする場合、等
も、同様に、持ち駒ルールの有り無しを、出土駒から推
定する場合には、想定しなければならないようであった。
 さて、新安沖沈没船駒の場合、成り金の書体は、どう
なっているのであろう。歩兵の裏の金の字がやけに大き
くて濃く、”今”ではなくて、ひょっとしたら”金”そ
のものかもしれない。韓国の書籍とは別の、Webペー
ジの情報から類推すると、新安沖沈没船の、鎌倉時代末
期の駒は、取り捨てルールで使った方が、都合が良いよ
うな駒だった恐れも、結構あるような気もする。
(2016/12/27)

「新安沖沈没船出土駒」の文献(長さん)

 最近netで、実にありがたいサイトを発見した。
コメントに書いたサイトにある、新安沖沈没船、ある
いは東福寺沈没船と呼ばれる船で発見された、出土将
棋駒の写真を含む書籍「新安海底遺物展図録」の
紹介サイトである。
写真として、玉、金、桂馬2、香車2、歩兵2の計8
枚の駒が写ったページが、netで紹介され、ハング
ル文字で、説明書きが加えられている。
この難破船は、普通唱導集が成立した頃の、鎌倉時代・
最末期のもので、しばしば、飛車・角が欠けている事
から、この頃の小将棋がいぜん、飛車・角が導入前の
36枚制だったのではないか”という、議論がなされ
る事でたいへん有名である。なお、普通唱導集は西暦
1300年頃、この沈没船は1323年頃の物である。
ただし、少なくともこの書籍の写真には、駒の裏を撮
影したものが無い。もし、この写真の桂馬と、香車、
歩兵の裏の、成り金の書体が全部公開されていたなら、
更にこの時代の小将棋に、持ち駒ルールが有ったのか
無かったのかが、ネットの画像を見ただけで、はっき
りしただろうと思える。これも既に将棋史の研究者間
で昔議論されたように言うまでも無く、「持ち駒ルー
ルが有るとすれば、成り桂馬、成り香車、成り歩兵を、
対局中に相手の対局者が、盤面で、こちらの駒に手を
触れなくても、その駒を仮に獲得したら、どういう駒
種として、打つ事が出来るのかが、現在の日本の将棋
の駒と同様、判別が可能だから、そのような作りが必
然」という事である。
 なお、ハングル語の解説文には、後半に、駒の名前
と共に、漢字での書き方、出土枚数構成の解説がある。
金将の文字が出てきた後で、成りの説明があるかどう
かを、ハングル文字でたどっても、”金”のハングル
語訳が特に見当たらないようなので、残念ながら、
この書籍の編者は、「日本の小将棋の持ち駒ルール成
立年代問題」という将棋史上の大問題には、余り詳し
くは無かったようである。ただし、この書籍情報以外
としては、webを調査すると、歩兵の裏が「今金」
のようであって草書の”崩し金”では無い事が判るよ
うな、写真はある。

何れにしても書籍の写真の駒の現物を手に取れば、鎌
倉末期時点で、日本の小将棋に、持ち駒ルールが有っ
たかどうかが、ある程度判るような、遺物自体は存在
している事が、紹介サイトから判り、将棋史、特に現
代の日本将棋の歴史に興味を持つ者としては、たいへ
んありがたい情報に違いない。

 なおこの写真のぱっと見だが、以下私見だが、この
将棋駒を使った将棋は、「取り捨てルール」だとの印
象を、多少私は受けた。駒の大きさが、写真では3段
階であって、金、恐らく銀、桂馬が同じ大きさである。
その事から、銀と桂馬は大きさだけでは、裏から元駒
が判別しやすくはなっていない。また香車については、
歩兵の大きさと、桂馬の大きさの、2タイプが混在し
ていて、”裏が香車で有る事が、大きさから判るよう
な配慮が欠けている”ように見えるからである。つま
り、香車は、盤面に並べた時の見てくれで、桂馬より
少し小さくしようとしたものの、木地師が3タイプし
か、駒形を用意しなかったため、場合によって、香車
を歩兵の大きさとしたり、金・銀・桂馬の大きさにし
たり、用意された木地の枚数の制約で、駒の形を変え
た事が、写真から判るのである。つまり少なくとも、
この時代は、将棋を好きで指すほどでもない、木地師
のレベルの人間には、小将棋の、持ち駒ルールは、
さほどの広がりを見せては居なかった、とは想像でき
るのかもしれない。以上の点は、多少作りが雑でも、
戦国時代の将棋駒の遺物を比べてみると、大きさで、
銀、桂馬、香車を分けているものも有り、違いが良く
わかる。
 むろん、普通唱導集の小将棋の所で、桂馬を進めて、
銀に”替える”と、手中に銀将を収める事の”喜び”
を唄っているから、その頃の小将棋の一部に、持ち駒
ルールは、有ったのだろうが。あるいは小将棋でも、
今ほどには、持ち駒ルール有りで指すのが、当たり前
という所までは、鎌倉時代末期でも、まだ行っていな
かった事を、この将棋駒の遺物は、物語っているのか
もしれないと考えられ、何れにしても貴重な遺物であ
る。(2016/12/26)

増山雅人著「将棋駒の世界」2006年/中公新書を入手(長さん)

12月24日午前、東京千駄ヶ谷の日本将棋連盟の将棋会館
売店で、増山氏の「将棋駒の世界」を購入した。今の所、

ざっと眺めた所で、中身が濃いので、私のような浅学の人間
には、内容の大半が、把握できていない。

なお、日本将棋連盟の千駄ヶ谷の売店だが、つい最近、空調
の工事をしていて、しばらく休んでいたようだったが、年末、
再開したようだ。2016年の12月は27日まで、朝10
時から営業しているという。
 さて将棋駒の書体について、私はズブの素人なため、この
ブログでも、余り触れていなかったと記憶するが、一箇所だ
け、この本をチェックして、補充しておいた方が良い、内容
の記載があったのに、気が付いた。
水無瀬兼成の将棋部類抄と、小山市神鳥谷曲輪遺跡の、裏金
一文字角行駒の、成りの金の字を比較したところで、
将棋部類抄の、摩訶大大将棋の飛車角等の成りの金の字と、
小山駒の、成りの金の字の書体が、近い事を指摘したのは
良いとして、その書体を

”桂馬の成りの金の字である”と表現したのは、将棋駒の
書体の世界の常識からすると、情報不足と謗られそうだ。

正しくは、

桂馬の書体のうち、右をハラワずに、止める形式であって、
摩訶大大将棋の成り金も、小山市神鳥谷曲輪遺跡の角行駒の
成り金も、どちらもほぼ同じ形をしている、

である。つまり紹介した成書によると、”桂馬の成りの金に
は、大きく分けて「右払い型」と「右止め型」の2通りの形
がある”との事である。
良く見ると、払い型はどちらかといえば背がやや低く横長に、
止め型は、それよりすこし、字が縦長に見えるようだ。
以上、謹んで補充させて頂く。
 なお、角行の字については、大正時代からの、日本将棋の
書体の、「錦旗」という定番の書体に、「行の字が横広」だ
という、顕著な特徴があるという。この字は、伝えられる所
によると、江戸初期、慶長年間から寛永年間の後水尾天皇の、
筆跡ともいう。上記小山駒についても、作成が大正時代とい
う、とんでもなく後代になってからの作で無いのかどうかを
今後、研究者は角行の”行”の字をチェックして、一応押さ
えて置く必要が、あるのかもしれない。何れにしても、紹介
した書は、将棋の遺物を研究するには、必携の書のようだ。
(2016/12/25)


「大将棋」とは結局何だったのか(長さん)

 前回までの所では、大将棋の進化を、概ねチェス的な改良
と説明してきた。たが、平安大将棋から普通唱導集時代の
大将棋までの、恐らく強い駒の付加は、チェスとは違い、
侍従駒である、金将、銀将、銅将を、温存させたままのもの
であった。この点で、侍従駒である副官を女王に、象を僧侶
に変えたチェスの改善と、方向性が元々異なっている。ただ
し、割合として、侍従駒を少なくしようとしたという点では、
チャトランガからチェスまでの進化と、平安大将棋から普通
唱導集の大将棋までの進化とは、恐らく共通である。従って

 大将棋では、元々10×10升目以下の将棋への進化を、
チェスとは違って全く目指していなかった、

とは、はっきりと言える。また、水無瀬兼成の将棋部類抄の
後期大将棋を見る限り、たとえば終盤で侍従駒を成らせ、
先手と後手が、形勢イーブンで侍従駒だけが残っても、局面
をダレさせないような、工夫も、特にした形跡は無い。

大将棋は、基本的に成りの調整で、ゲームを改良する所まで
進化する以前に、滅んでしまった未完のゲーム類である

とも、恐らく結論できるのではないかと私は思う。従って、
大将棋を変形して、初期配列を変えたり、駒数を増やしたり、
場合によっては減らしたりするのは、その時点で、大将棋
を継承している、とは言えるものの、

成り駒を増やすとか、成りの規則に敵陣入り成り以外を導入
するとかいうのは、古典的な大将棋の改善方式から、はみ
出した、新たな要素の付け加えに、違いないと私は思う。

つまり大将棋は、シャンチーのように駒の裏に、文字が書け
ても、実際にはそれをしなかったゲームであり、本来不成り
か、良くて金成りだけの将棋なのであろう。
ただし、チェス型ゲームでは40×40升目付近に「升目二
桁以上の数の動きルールを持つ駒が、合禁判断の人間の視覚
処理能力から来る、し辛さ」から作成できないために、棋譜
の形が、不自然になってしまうという難点がある。つまり前
回のべたように、中間領域に中盤の局面で、大きな空隙がで
きるという問題が発生する。その回避のためには、チェスで
も盤升目を拡張すると、恐らく成り駒と特殊な、サッカーの
”肯定的逆オフサイド則”のような成り条件則を、系統的に、
導入しなければならないため、升目を極端に巨大化させよう
とすると結局、チェスと大将棋の改善の道筋は、合流してし
まう、可能性が強いという事なのである。
 いずれにしても日本の大将棋は、ゲーム改善の仕方から見
たゲーム分類として、中国シャンチーよりもチェスに近いだ
けでなく、日本将棋や、日本の中将棋よりも、実は本質的に
チェスの方に、本来近かった可能性が、かなり強いように、
私には思えるのである。(2016/12/24)

侍従駒の無いチェス方式解決法の限界上限盤升目数(長さん)

 前回までのところで、ほぼ同じ棋力同士の終盤における、
侍従小駒の駒余りという、チャトランガ時代に有った問題
をチェスでは、小駒自身を排除する事によって解決しよう
とし、その手法には盤升目依存性が、余り無いようだと
述べた。なお盤升目依存性が無い別の方法としては、侍従
駒と最終盤に相討ちになる、幽霊駒の導入方法も考えられ
るが、手の合禁判定が、局面が病的な場合に、特に困難に
なる旨も指摘した。
 では、ほんとうに、チェスの手法で、どんな盤の大きさ
でも、問題の無いチェス・将棋型ゲームが作れるかと言う
とそうではなく、数十升目以上の将棋では、「中段に大き
な空隙領域ができる」という問題が、今まで述べたことと
は別に発生すると私は認識している。ただし玉は序盤から、
左右に移動しやすいように、最下段とその上の段に、隙間
を作る等して、其処に有る駒の動きは、調節し、序盤に玉
が動きにくくて、中央ラインでしか戦闘が行われないとい
う、問題については別途解決したとする。
 この”大穴問題”は、上限升目数が二桁以上の数になる
走り駒とか、同じく二桁以上向こうの升目に、一定の規則
で跳ぶ、跳び駒とか、踊り駒といった駒を、人間のゲーム
では、認識するのがめんどうくさすぎて、導入困難という
事から発生する。
 数十升目に千のオーダーの駒を配列して行う、チェス型
のゲームを、イメージしてみれば判ると思うが、その際作
れる駒は、せいぜい、制限なく走れるか、数升目先に、跳
ぶという要素を、適当に組み合わせた駒種だけである。
たとえば、「25升目以内なら走れる駒」というルールの
駒をたくさん作っても、25升目先がどこかを認識するま
でに、対局者には時間がかかりすぎてしまい、そのような
駒の動かし方ルールばかりの駒からなる将棋を、人間が快
適にするのは、かなり困難と思えるのである。
 ところが他方、走り駒と、数升目以内の跳び駒だけで、
数十升目の将棋を構成すると、自陣から相手陣の駒を、
走り駒で交互に取り合う手、ばかりが指されるようになる。
そして、その結果として、両方とも下部の陣地の形は、
ほぼ開始時点と同じで、上段から、駒が少しずつ欠けて
行くだけの、棋譜の将棋、ばかりになってしまうのであ
る。これは、攻め側は一見、相手陣を崩しているつもりな
のかもしれないが、相手陣に自分の走り駒を繰り出すと、
繰り出した元の位置が、空升目になるので、仮に、一方
だけが攻め、他方が受け続けるだけの展開になったと
しても、陣形は必然的に真ん中に”大穴”ができるので
ある。
 これも、対局者としては真剣に指しているとしても、観
覧している第三者にとっては、いかにも不自然なゲームで
ある。つまり、盤升目を大きくした日本将棋型の持ち駒
制ゲームと同じく、見てくれが悪くて、ゲームとしては
失格となろう。
従って、「10升目走り」というルールの駒迄なら、なん
とか許されるだろうから、それが限度とすれば、

 チェス型のゲーム改善でも、大局将棋と同じ程度の、
40×40升目程度までが、なんらの工夫も無いときの、
チェス型改善手法の上限になってしまうのかと、思える。

 ただし、この問題には、少なくとも1つの逃げ道がある
事が判っている。前に紹介した、”味方のある駒が、そ
の列で先頭に出て、そのときの2番手の駒との升目差が、
適当に調整した、或一桁升目以上に突出したときに成れる”
という成りの条件則を作成した上で、”成る前に数升目先
に跳び程度の動きであって、成った後、無制限走りになる”
という成りのルールの、”元々は軽い跳び、成ると無制限
走りの典型的大駒”とか、”もともとも走り駒だが、成れ
ば非常に強い踊り駒になる駒”だとかを多数、適宜調整
のうえ作成しておくという方法である。つまり、これらが
中段に自発的に進む”穴埋めの駒”となる。
 以前、”侍従小駒を簡単に成らせる工夫のひとつ”とし
て、上記の成り条件規則を紹介したが、実は、大局将棋
以上に升目が多い、チェス型巨大升目ゲームで発生する、
対局中盤局面での、局面の見てくれの悪さを解決する為に
も、”他より突出したら成れる”則は都合が良いのである。
 おそらく、この成り則を適当に調節して導入し、陣の中
に、”高々数升目先に行けるだけの、やや弱い跳び駒”を
適当に”まぶして”おけば、超巨大盤升目チェス型ゲーム
等の、中盤局面図の見てくれ問題は、ほぼ解決するのでは
ないかと、私は見ている。
 何れにしても、典型的なチェス的ゲームで、「敵陣奥で、
初めて歩兵駒だけが成れる」という、成り規則は成り駒の
数の少なさもあって、ルール自体が余りに不徹底であり、
このような、”成りにくい成り規則”だけのチェス型改善
だけでは、数十×数十升目位以上の超巨大升目になると、
見栄えの良いゲームに、ならない事だけは、確かだと私は
思っている。すなわち、昔の大将棋の類は、往々にして、
難点が未解決のまま滅びてしまっているので、単純に復活
させても所詮、未だ不備の点が幾つもあるという点を、
注意深く認識して、「これから解決方法を探るべきゲーム
になっている」との、あまり賛成者の居ない比較的マイナー
な立場に、私は現在立っているのである。(2016/12/23)

栃木県小山市の神鳥谷曲輪の裏金一文字角行駒の”金”の書体(長さん)

先だって、藤田麻衣子女流プロ棋士に、佐藤敬商店中将棋の
歩兵の裏金の字の崩し方を指摘されて、出土駒の成り金の崩
しについて、気が付いた事がある。表題の、南北朝時代の
故人の遺品を、象ったと私見する、小山市神鳥谷曲輪遺跡か
ら、2007年春に出土した、裏金一文字角行駒の、成り金
の字の崩し方である。そもそも、この駒が南北朝時代のもの
ではなくて、その記録に基づいて、恐らく江戸元禄時代あた
りに作成されたものと、推定されるのだが、その証拠に、
「金」が草書ではなくて、桂馬かもしかすると銀将の裏金程
度の崩し方なのである。
南北朝時代のものなら、麒麟抄に従い、香車の裏の「金」の
字程度に、崩されていなければならない。実際に作られた時
代は不明だが、聆涛閣(れいとうかく)集古帖
に、「摩訶大将棋図」というのがあり、それによると、角行
の成りの金の字も、香車の裏の金の字の書体になっている。
なお、上記書では、第6段の歩兵も香車の成り金、さらに、
竪行、横行、飛車等、角行を配置する、第5段部分も、成り
は香車の裏の金である。ネットにも画像が出ているので、ど
なたにも確認できるはずである。ちなみに、水無瀬兼成の、
将棋図部類抄でも、中将棋の歩兵の裏は、香車の裏の金になっ
ている。この事から、佐藤敬商店の中将棋駒の歩兵の裏のと
金の崩し方は、将棋図部類抄等、複数の古文書の歩兵が、
たぶんオリジナルであろうと推定される。
 ちなみに、聆涛閣(れいとうかく)集古帖では、
「摩訶大将棋」の、4段目以下の成りの字の崩し方の規則は、
なかなか複雑である。すなわち4段目で金に成る駒は、
「今金」になっている。詳細謎だが、日本将棋の駒の書体の
影響により、桂馬が4段目に有るので、それに合わせた物の
ようにも見える。更に2段目の反車と1段目の香車の成りは、
日本将棋の桂馬の成りになっている。崩し方で、余ったもの
を当てはめた、という感じもする。この事から、小山市出土
の角行駒は、その整ったな書体から、将棋駒を書く専門の
書家によって、作成された一品の可能性が濃いが、麒麟抄と、
聆涛閣集古帖を参照していない可能性が高い。
実は、私が知る限り、この小山市神鳥谷曲輪から出土した、
角行駒のように、桂馬の裏の金の字程度の、弱い崩し方を
する角行駒の記録は、前記の

水無瀬兼成の将棋図部類抄の摩訶大大将棋の角行しか有り得
ない

水無瀬兼成の将棋図部類抄では、中将棋で金に成る駒の成り
の書体を全部、日本将棋の香車の裏の金のような、草書体で
書き、摩訶大大将棋(鳳凰の成りは奔王)の図では、これと
は異なり、成りが金となっている駒を、全部桂馬の裏の金の
字のように記載する。すなわち水無瀬兼成が記載した、摩訶
大大将棋の角行の成り駒は、桂馬の裏の金の書体になってい
るのである。恐らく、水無瀬兼成は、持ち駒ルールの無い、
駒数多数将棋では、将棋の種類によってのみ、成りの金の字
の書体を変えるよう、意図しているように私には見える。
 この事から、元禄時代頃の、小山市の元尼寺、青蓮寺の住
職は「南北朝時代の、寺の開基者の尼さんの遺品」を再現す
るにあたり、安土桃山時代の

水無瀬兼成の将棋図部類抄を参照して、レプリカを作成した
疑いが、かなり強いように私見する。

駒を見る限り、この角行は、摩訶大大将棋のものとも、泰将
棋の駒とも区別が付かないが、水無瀬兼成の将棋図部類抄に
は、泰将棋の成りが図示されていないので、

青蓮寺の関係者が、上記角行駒を摩訶大大将棋の駒と意図
している

可能性も、かなり高いように思われる。恐らく、その当時に
は教科書として入手できた、異制庭訓往来の将棋の記載、

将棋は合戦を模したもので、・・「多い将棋」は360前後
の一年の日にちの数に則っている

の文句も、小山市の青蓮寺(当時)の住職は、水無瀬の将棋
図と同時に、たぶんだが、知っていたのであろう。なお、こ
の場合の360は、通説のように駒の数ではなくて、盤の
升目が、囲碁の交点数の19×19と同じで、升目数として
361升目になる事を、同時に言っている可能性があると、
私は個人的には考えている。そこで、小山市の尼寺(南北朝
時代から戦国時代まで)の青蓮寺を、南北朝時代に開基した、
尼さんの遺影に、摩訶大大将棋の角行駒を、異制庭訓往来の
将棋の記載が、南北朝時代だという事で、当てたのだと
考えられる。
 以上の事から、水無瀬兼成の将棋図部類抄も、恐らく
元禄時代の、小山市神鳥谷と天神町の境付近にあった青蓮
寺(当時は、普通の男の住職が居て、真言宗系)には、
保管されていた可能性が結構高い事も、推定できる。
 水無瀬兼成の将棋図部類抄は、今でも残っているから、
江戸時代の初期なら、入手は、さほど困難とは思えない。
が、京都から離れた、栃木県(下野)で所持されていたと
いうのは、結構珍しい事かもしれない。
 ただ、これはこの青蓮寺が、小山市天神町の地名にも
あるように、恐らく安土桃山時代程度からは、有ったとみら
れる、現存の栃木県小山市の天満宮を支配していた事から、
北野天満宮とも繋がりがあり、その北野天満宮の宮司も
兼ねていた、京都の曼殊院とも、繋がっていたため、その
ルートで将棋図部類抄を入手したと考えれば、つじつまが
合いそうである。なぜなら、曼殊院所蔵の将棋図が、水無
瀬兼成の将棋図部類抄の、種元文書であり、曼殊院と
水無瀬兼成は、繋がっているからである。何れにしても、

「小山市神鳥谷曲輪出土の角行駒は、水無瀬兼成の
将棋図部類抄の、摩訶大大将棋の成りの図とだけ、
裏の成りをあらわす『金』の字の崩し方が同じ」

と職業柄気が付かれた、
藤田麻衣子女流プロ棋士には、将棋や遊戯の歴史の研究
上も、今更だが、何とお礼を言っても、言い切れないものが
あるように思える。(2016/12//22)