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妙に現代日本将棋連盟風な後鳥羽上皇時代の公家の将棋連盟(長さん)

 WEBにも紹介が有るかもしれないが、「大日本史料」の
1221年宣明暦7月13日の、隠岐に流された後鳥羽上皇
の話として、今小路の御所で組織されていたとされる、公家
の将棋団体の話が載っている。西蓮という後鳥羽上皇の、恐
らく側近と、隠岐に訪ねてきた、当時の「公家の将棋連盟」
に所属するとみられる、清叔という名の出家貴族との、
将棋の棋力を比較する話である。
文面から察するに、西蓮の方が強いらしく、西蓮の桂馬一枚
落としで、清叔は楽に勝てる。西蓮の歩兵一枚落としで初め
て、清叔とは恐らくイーブンなのではないかと、清叔自身が
後鳥羽上皇等に報告したという事である。
 実際には、西蓮は将棋がさほど旨くないと、
後鳥羽上皇側近等には認識されていたが、清叔の棋力は、
その西蓮より、さらに、かなり劣っているように見え、
自己申告よりは、かなり劣っているように見えたと、いう、
話になっている。また清叔によると、京都市内であろうか、
今小路の御所で組織されていた、公家の将棋連盟の中で、
彼は、「私はBクラスの上位程度であるが、着手の調子が良
いときには、Aクラスの末席に行ける程度の強さである。」
と言っているという事である。なお、大切な事は、
この事から今小路の御所で、将棋に関して公家の将棋連盟の
ような団体が、鎌倉時代初期に、後鳥羽上皇に報告している
のであるから、恐らくもともと皇室等の指示で、当時の常識
によると”以前と同様に”、組織されていた事が判る。

以下あくまで私見だが、この仰々しい将棋団体の存在こそが
まさに、日本に大将棋が興った、根本原因だと私は思う。

日本将棋連盟が存在する、21世紀の日本の常識からすると、
この”公家将棋連盟が存在する話”は、ぱっと見では、
有っても、特におかしくない話に聞こえるのかもしれない。
が、当時の将棋が、

日本将棋ではなくて平安小将棋だった

事を、思い出すべきである。「連盟を作って、貴族同士でリー
グ戦等をし、皇族に観覧させていた」としたら、あまりにゲー
ムが幼稚で、不可解な話ではある。皇族の所へ出かけては、
たまに一種の儀式をする、組織員の将棋の力は謎の団体、と
いう事なのであろう。
更に以下も私見だが、この”連盟”で指されていた将棋は、

駒の数36枚の9×9升目制の定説の平安小将棋だと思う。

つまり、以下私見では、この他に8×8とか、列9列段8段
の平安小将棋とか、複数の駒数32~36枚の将棋があった
が、公式な場で、皇族が観覧するため、ゲームの出来よりも、
見てくれの最も良いタイプの、この9×9升目型の平安小将
棋だけが指されていたと私は見るのである。そして、この将
棋にしばしば手詰まりが現れて問題になったため、この記録、
武家政権の時代、西暦1221年時点でなおも、大将棋の研
究が、公家の間だけで細々と、続行されていたので
はないかと言うのが、私の持論だ。

恐らく、この”今小路の御所将棋”が無ければ、大将棋から
中将棋の発展は無く、日本将棋の盤も、今のように、
9×9升目では、無かったかもしれないと私は思う。
よって、この後鳥羽上皇に関する「大日本史料」の、この記
載は、当時の皇室がらみの”公家将棋連盟”の存在を証明し
ているという点で、たいへん重要な記録であるというのが、
私の考えである。

なお、学会で注視されている駒落ちについて、ここでは付け
たし的に述べると、
平安小将棋を指すと、「西蓮の方が清寂より、相当強い」と、
清寂自身が最初から認めていると、私は解釈する。この話の
著者格の鎌倉時代の人間は、平安小将棋では、かなり棋力に
差が出ないと、平手で指してもイーブンだという事を、知ら
ないのだと私は思う。
大概は玉を詰めるのではなくて、裸玉で勝つ、詰め将棋の無
いゲームだからだ。
だから、例えばこのケースは、西蓮が左桂馬を落として指し
て、清寂が勝てないようでは、相当に清寂は西蓮より弱いの
であり、「それなら勝てる」のであるから、初心者とプロの
差は、さすがに無いのであろう。ついで恐らく中央の歩兵を
西蓮が落として、「清寂が西蓮に、勝てることがあるかも」
程度なら、かなり清寂は西蓮より弱い可能性が強いが、手合
わせ程度なできる、という事だと私は、

平安小将棋については、日本将棋とは全く違いイメージする。

平安小将棋は棋力が相対的に弱くても、たまたま形良く進む
と、上手が下手を負かすことが難しい、もともとの両者の棋
力の差に対して鈍重な、ゲームと認識する。この点からみて
も、よって平安小将棋は、日本将棋より、かなり劣るゲーム
と、私は見るのである。
 つまり清寂は最初からまじめに、普段平安小将棋を”連盟
内”で指している”実話話”をしているのに、鎌倉時代の著
者が誤解して、駒落としの用語も、意味さえ実は正確に知ら
ずに、彼をけなして書いているように、私には見えるのであ
る。よってこの文面からは、

これを書いた鎌倉時代前期の著者さんよ。
あなたの時代の将棋を、もっとまじめに勉強しなさい。

としか私には、正直読み取れないと言う訳である。
(2017/01/17)