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朝鮮半島チャンギの成立。本当に李氏朝鮮時代か。(長さん)

本ブログの独自見解だが、朝鮮チャンギは、高麗王朝
の時代末には、ゲームとして確立されていると考える。
理由は、本ブログでは、

中国シャンチーに不慣れな事が、朝鮮半島のチャンギ
と、中国チャンチーの分裂の原因だと、見なしている

からである。
 韓国等の通俗書の解説では”新羅王朝の時代に伝来
した”とされているが、朝鮮半島のチャンギは中国シャ
ンチー起源であると、本ブログでは見ているので、
”12世紀初に成立した中国シャンチーより、朝鮮半
島にチャンギが伝来したのは、後である”との定説に、
本ブログも賛成する。
 しかし、伝来して直ぐに、ルール変更が始まるため、
遅くても、日本の南北朝時代の末に、ルールとして、
今の形になっていたと、ここでは独自に見ているので
ある。手直しの始まりが早ければ、完了もその分、早
かろうという見方だ。だから、

高麗王朝期伝来の、高麗王朝末確立説を取る

のである。
 結論は、以上であるが、以下にもう少し、説明を続
ける。
 中国シャンチーが成立した、西暦1100年頃から
見てその普及は、ゲーム性が優れていたために、速かっ
たというのが、本ブログの見かたである。金王朝と
高麗が和睦し、高麗に軍のクーデター政権が発生した
西暦1170年までには、金から高麗に中国シャンチー
が伝来したのではないかと、私は見る。
 伝来して直ぐに、手筋が朝鮮半島では確立していな
かったために、初手に砲を4進させる奇手・鬼手への
対策が、必要になったというのが、本ブログの見方で
ある。
 つまりそのため西暦1230年頃の、モンゴル帝国
の朝鮮半島侵入開始までには、シャンチーの砲のルー
ルと卒のルールが、牛僧儒の岑順の、将棋の歩兵の動
く場面の記載の、曖昧な解釈も卒の変更に寄与し、
チャンギのゲームデザイナーによって、中国シャンチー
の砲と卒のルールから、最大60年間で、チャンギの
包と卒のルールに、変換されたと私は考えている。
 なお普通唱導集の大将棋の唱導唄の第2節は、日本
の大将棋の指し方に関するものであるが、手筋として、

中国シャンチーの桂馬上げによる、兵へのひも付け、
朝鮮チャンギの、卒同士の結合による利かせの組合せ

である。後者は、朝鮮チャンギの戦法の影響が疑われ、
西暦1300年の時点で、朝鮮チャンギの、横に歩む
卒駒と、それを作る原因となったとみられる、
”チャンギの包駒”の既存性が、疑われるのである。
 ひょっとすると、この状態でしばらく、中朝ハイブ
リットなゲームが、朝鮮半島では指されたのかもしれ
ない。すなわち、モンゴル帝国に占領されている間は、
ややディフェンスが強すぎる状況で、我慢して指され、
朝鮮チャンギの進歩が、そのままの状態で、百年くら
い、停滞していたのかもしれない。
 しかしながら、遅くても西暦1350年の、日本の
南北朝時代までには、元朝の衰退による、民族主義の
高揚から、八卦思想の影響を受けた、チャンギの象駒
が、中国シャンチーの、イスラム型の象から変換され
て出現し、更には例えば

倭寇の影響で、日本の玉・金が取り入れられて、漢/
楚、士が、チャンギのルールに中国方式から変わった

のではないかと、私は疑っている。そうすると、

朝鮮チャンギはルールとしては、伝来より約210年
後の西暦1380年程度には今と同じルールになった

のではないかという、計算になっていると思う。
 他方、李氏朝鮮は14世紀末成立だから、それより
僅かだが後である。だから、高麗期に伝来して、高麗
末に、ゲームルールとしては、確立と言う事になるの
ではないか。
 ただし、駒が八角形になったり、玉駒が漢/楚であ
るケースが多くなったり、ハングル文字の駒が発生し
たりするという、

道具としての朝鮮半島のチャンギの確立は、李氏朝鮮
時代だった

のだろう。
 聞くところによると、中国国内の朝鮮半島に近い所
に居住の朝鮮族は、恐らく明清王朝の時代からであろ
うが、中国シャンチーのゲーム具で、朝鮮半島のチャ
ンギを、今でも指す習慣が残っているという。ひょっ
とすると、ゲーム具自体の、不足にもよるのだろうが。
日本の鎌倉時代を、昔として考えた場合、

朝鮮チャンギを指す時には、中国シャンチーの道具で、
間に合わせていたという、昔の習慣の名残り

の疑いもあるのではないか。以上のように、見かけの
ゲーム道具の歴史と、ソフトウェアーとしての、ゲー
ムの内容自体の歴史は、このケースも一応、分けて考
えるべきではないかと、現時点で私は疑っているので
ある。(2019/08/27)

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