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松浦大六氏「象戯図式」。各将棋盤の長さが升目数に比例しない訳(長さん)

私が、増川宏一著書の、ものと人間の文化史「将棋Ⅰ」(1977)を
購入してから20年位になるが、その中の松浦大六氏所蔵の「象戯図式」
について、ほぼ購入当時からずっと、疑問に思っていた事があった。
「象戯図式」には、まず各将棋の名称が題目としてあり、その後に升目
の一辺の数、駒の総数が書いてあって、恐らく、盤の大きさの事だろう
が、「長さ」と「幅」と書いてあって、長さの数値か2つ記載されてい
る。たとえば、小象戯については、長さが1尺2寸3分で、幅が1尺
1寸1分というふうにである。なおここで、

1尺は約30.3cm、1分が3.03cm程度であろう

とみられる。この数字が、将棋、中将棋、後期大将棋、天竺大将棋、
大大将棋、摩訶大大将棋、泰将棋、和将棋と並んでいるのだが、

升目の数よりも、大型化に伴う、寸法の増加が異常に緩やか

なのである。今回は、本ブログも佳境に入ったとみられるので、この
永年の不落の難問に、ここらで挑戦してみる事にしたた。すなわち論題
は、松浦大六氏所蔵の「象戯図式」の各将棋の盤実長は、何を根拠に決
めているのか、言い換えれば論題は、

松浦大六氏所蔵の「象戯図式」の各将棋の盤実長が、盤升目の数に、
単純には比例しないで、将棋が大型になるに従い、寸詰まりなのは何故

なのかである。
 そこで何時ものように、結論から書く。

元々、そこに記載された升目の大きさだと、日本将棋のケースは、かな
りスカスカである。そこで、中将棋では少し詰めて、玉将がやっと入る
程度にし、後期大将棋では、玉将や獅子等を、少し小型にする事を前提
に、寸法を決めた。それより大型の将棋については、数字は架空のもの

である。以上の結論になった。
 では以下に、上記の結論への経過について、詳細に説明する。
 まず事実として、象戯図式にどう書いてあるのかを示すと、以下のよ
うになる。

日本将棋、9升目。長さ1尺2寸3分。幅1尺1寸1分。
中将棋、12升目。長さ1尺3寸5分。幅1尺2寸4分。
後期大将棋、15升目。長さ1尺5寸。幅1尺4寸。
天竺大将棋、16升目。長さ1尺5寸2分。幅1尺4寸2分
大大将棋、17升目。長さ1尺5寸。幅1尺4寸4分
摩訶大大将棋、19升目。長さ1尺7寸7分。幅1尺6寸6分。
泰将棋、25升目。長さ2尺2寸。幅2尺。
和将棋、11升目。長さ1尺2寸8分。幅1尺1寸8分。

 上の数値を良く見てもらえれば判ると思うが、升目が日本将棋の9升
目から、泰将棋の25升目に向かうに従い、増えてはいるものの、
その増え方が、升目の数に比例しないで緩やかになっている。当初、こ
のままでは、

駒の大きさを、将棋種毎に変えなければならないはずだと、決め付けて
いたために、長い間、私には疑問に思われ続けていた

のである。なお、尺貫法で長さ把握するのが、メートル法に比べて、か
なりめんどうなため、

数値がどんな長さを意味しているのか、良く確かめなかったのも事実

だ。
 しかし、さいきん

日本将棋に関して、象戯図式の数値が本当だとすると、升目がユルユル

になるのに気がついた。尺貫法で書くと、日本将棋の将棋盤は、少なく
とも、今の玉将や飛車・角を置くのなら、長さ1尺0寸2分、幅9寸で、
なんとか足りるはずだ。
 もともと、日本将棋の盤がユルかったので、この寸法で、同じ駒の大
きさなら、

日本将棋と、中将棋の駒は、同じものでも使えるのに、私は気がついた

のだ。ただし、後期大将棋になると、玉将や獅子等の、大振りに作られ
た駒は、この後期大将棋の寸法では、駒が入りきらなくなると、思われ
る。恐らく、この寸法は、後期大将棋を指す、江戸時代に於いてもレアー
なケースには、後期大将棋については、全ての駒は特注して、その際、
その大将棋の大駒については、やや小ぶりに作る事を前提にして、決め
ているように、思われるようになった。
 ちなみに、象戯図式に書いてある、後期大将棋までの盤以外の、
盤の大きさの数値が、たとえば、水無瀬兼成が作成した、豊臣秀次への
献上品の駒を使うための、大大将棋以上の将棋盤等、実在する将棋盤の
寸法を根拠にしている可能性は、ほぼ無いと私は推定する。根拠は、

水無瀬兼成が、天竺大将棋の駒を彫ったという記録は、たぶん無いと
見られるのに、天竺大将棋の盤の寸法が、象戯図式には書いてある

からである。よって象戯図式の天竺大将棋、大大将棋、摩訶大大将棋、
泰将棋、和将棋の盤の寸法の実在性は、疑われるべきだと私は思う。
 また、この寸法が何らかの数式、たとえば、

寸法=定数×升目数^0.6(乗)、等から来ている可能性も少ない

とみる。理由は、たとえば上の数式では、

摩訶大大将棋や、大大将棋等で、かなりの誤差が出る

からである。つまり、この数値の群は、

何らかの式で、単純に表されるような挙動をしているようにも、私には
見えない

という事である。
 日本将棋の将棋盤の寸法が、なぜ江戸時代に、こうなっていたのかに
ついては、私には今の所良く判らない。しかし結論的には、この事から、

中将棋を指して、ちょうど良い盤になるように、江戸時代の初期頃には
将棋盤は作られる事が、しばしばあった

とは言えそうである。(2018/05/03)

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