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シャンチーとはざっくりと言って、どういうゲームか?(長さん)

 中国のシャンチーと、朝鮮半島で指されるチャンギは、駒を升目
の中に置くのではなくて囲碁同様、線の交点の交点に置いてゲーム
を進めるため、見た目に、日本の将棋とは異なる印象を与えている
ようである。これらが同じ系統のボードゲームである事に、異論が
あるとの話は、私は聞いたことがないのだが。どういうわけか並列
にこれらを置いて、3者間のゲームルールの比較を、ざっくりとし
てみたという話を、余り聞いたことがない。ひょっとすると、中国
朝鮮の象棋系統のゲームは、わが国では「近くて遠い国のゲーム」
になっている恐れがあるのかもしれないと危惧している。そこで、
ここでは、ルールの比較という視点から、大局的にこれらを比較し
てみることにする。
 両者は駒の初期配列で、最下段と2段目が左右対称になっている
と言う点で、9×9升目制の定説の飛車角行無しの平安(小)将棋、
平安大将棋と同じである。この性質はチャスにも、シャトランジに
も、日本将棋に近いとされる、タイのマークルックにも実は無い。
 中国には官位制度があり、公爵の序列の象りが、ゲームの配列に
取り入れたとの説もあり、私もそうではないかと思っている。だか
ら以上の観点で、恐らく朝鮮のチャンギも、日本の平安将棋も、中
国のシャンチーの横列奇数路数の部分的影響が有るのは、ほぼ確実
なのではないかと、私は思う。
 なお、冒頭で述べたように、日本の将棋では駒を、升目の中に配
置するが、中国や朝鮮半島のゲームでは、線の交点に置く。しかし、
駒の動かし方のルールから、これらは本質的な差ではなくて、せい
ぜい違いは、角行型の、制限なし走り駒を、シャンチーやチャンギ
では、作りにくい程度の差である事が判る。シャンチーやチャンギ
にも、「象」等の有限升目なら斜め進み駒があるからである。
 他方、ゲームの進行のスピート、すなわち局面変化の程度や、合
法手の数は、現代のシャンチーやチャンギの方が、800年前の、
平安将棋よりは、明らかに速い。スピード感等、ゲームの興じやす
さでは明らかに、前2者の方が、平安時代の日本の小将棋よりは勝
つと見られる。
 理由は2つあり、砲等を増やすことにより、走り駒の割合が前2
者外国製では国産と違い、全体の10%以上に達するようにしてい
る事。もうひとつは、本質的に玉将に当たる駒の動きが、国内産の
小将棋に比べて何れも弱い上に、宮中領域に、動く範囲が制限され
る事によって、更に弱くなっている事による。つまり、ゲームが進
んで駒が、取り捨てルールにより盤上からある程度消えても、外国
産の方は、玉が、より詰み易くなっているのである。
 後者は主に終盤への収束スピードを上げるのに寄与し、前者の走
り駒を増やす事は、合法手の数を増加させて、思考を複雑化する事
に寄与しているとみられる。少なくともシャンチーは、ほぼ日本の
平安時代中期、西暦1000年頃には成立していたようだから、仮
に平安時代末に、シャンチーと平安将棋を両方を知っている識者が
日本に居るとすれば「将棋型のボードゲームの性能という点で、日本
が中国(北宋)に負けている」と、意識しえた事は明らかだと、私
は思う。
 ところで次に、平安大将棋を外国製と比較してみると、駒数が増
えたものの、奔車、横行、そしてもしかすると角行の動きである、
飛龍を加えた事により、最低でも走り駒の数は、全体の10%は超
えている。ただし平安大将棋には、玉将の八方歩みに制限は、特に
加えられてはいない。
 以上の事から、平安末期の日本の識者が、仮に将棋型ゲームの国
内外の性能格差を問題視し、平安将棋が、ゲームとして、より単純で
面白みに欠け、重要な点は、日本の文化や知的レベルが、大陸の
それに比べて、より劣っていると感じたとすれば、平安大将棋を作
成する政治的な力には、それなりに、なり得たのではないかと言う
事である。
 前回のべたように、平安大将棋は二中歴の記載を見る限り、自然
発生的に生まれたものにしては、妙に配列が、きちんと確定しすぎ
ている感がある。
 そこでこのゲームに関しては、平安(小)将棋と違って。下からでは
なくて、上から人工的に、作られたものである疑いがあるように、常々
私は疑っているのである。(2016/11/10)

二中歴の将棋と大将棋の記載内容の特徴(長さん)

二中歴は、平安時代末期時代の辞典がもとと見られ、将棋と大将棋
の記載がある。ところで、将棋型のゲームのルールを記載する場合、
(0)盤の升目の数の他、(1)勝敗の決め方、(2)駒の初期配列、
(3)個々の駒の動かし方のルール、(4)成り駒、(5)成れる
条件、(6)存在するとすれば持ち駒のルールの内容、以上7項目
については記載する必要がある。二中歴には、(0)と(7)の記載
が「将棋」「大将棋」とも何れも無く、(0)盤の升目の数について
は(2)の初期配列からの類推等から決定。(6)持ち駒ルールに
ついては、将棋については、勝敗の決め方からの類推(仮説)、
大将棋については、将棋と大将棋とで同じではないかとの考えから、
二中歴の将棋については、両方取り捨てであるという説が強く有る。

更に他の5つの項目については、次のようになっている。

将棋では。
(1)、(3)、(4)、(5)について、記載されている。
他方(2)駒の初期配列の記載が無い。
大将棋では。
(2)と、(3)については将棋に無い駒について、記載されている。
(1)勝敗の決め方、(4)成り駒、(5)成れる条件の記載が無い。

将棋について初期配列の記載が無いのは、「日本将棋から飛車と角行
を抜いた将棋が、平安時代末期の将棋」との説が定説であるが、
私は、8×8升目の将棋と、9×9升目の将棋が混在していたのでは
ないかと考える少数派である。

8×8升目将棋は、チェス、シャトランジ、マークルック等と「馬」
の敵味方との当たり方が同じになり、誰が9×9升目の「平安将棋」
を考えたとしても、参照した外国の将棋の類似物として、少なくとも
一時期は指したに違いないと考えているからである。どこで指されて
いたかは未だ定かではないが、この9×9升目制将棋以前に指された、
8×8升目制将棋を、原始平安(小)将棋と、仮称すべきではないか
と個人的に考えている。
 そして、二中歴に将棋の(2)駒の初期配列の記載が無いのは、
金将に1枚のタイプと2枚のタイプが、平安末期にも残存していた
ために、二中歴では、将棋の初期配列をぼかして書いたからではない
かと、私は(も)考えている。
 続いて大将棋で(1)勝敗の決め方、(4)成り駒、(5)成れる
条件の記載が、それぞれ無いのは、はっきりとしないが、(1)は玉
を詰まして勝敗を決めるのが自明であるから、(4)と(5)は相手
陣、3段目で将棋と同様金に成るが、自明であるためと考える説もあ
る。
 駒の動かし方で、将棋にもある物の、(3)動かし方のルールが
割愛されていることから考えて、将棋にあって大将棋に無い記載につ
ていは、将棋に準じると、少なくとも、平安時代末期頃の二中歴の
のオリジナルの著者が考えている可能性は、比較的高いと私も考える。
 いずれにしても、二中歴のオリジナル辞典の著者は、その記載の
仕方から、大将棋の駒の動かし方のルールを知っていれば、(小)
将棋が指せる事に、気がついていたと私は思う。つまり10×10
升目や11×11升目、12×12升目の中間的将棋も、平安時代末
の二中歴の著者は、イメージができたということである。
 しかし大将棋については、13×13升目ときちんと決まっており、
勝手に動かせないというスタンスで、二中歴には初期配列が比較的
しっかりと、記載されている。むしろゲームとしては、しやすい、
12升目以下の将棋ではなくて、13升目をなぜ「大(だい)将棋」
と名付けたのか。このことは、「何か面白いゲームを作ろう」という
意識以外で、13×13升目制の平安大将棋が作られたことを、強く
示唆しているように、私には思えるのである。(2016/11/09)

わたしは「長さん」です

so-netブログの開設の仕方を間違えたらしく。
ニックネームをただしく登録することができなかった。
df233285とかいう、奇怪な名前で出てしまいましたが、
以下、本文として、誰かをたびたび書くことにします。
つまり。
ここの管理人は、将棋の歴史の研究に興味のある、

「長さん」と名乗る人物と、同一人物です。

なにとぞ、よろしく御願いいいたします。
最初は、ブログ作成の土台となる、ぼんやりとした内容の
書き込みが続くことになると思いますが、
皆さん今後ともよろしくお願いします。m(__)m  (2016/11/09)
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