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埼玉県加須市旧北河辺町、古河公方別邸跡西地帯のチェック(長さん)

前回までの下河辺荘の探索で、残りが古河市周辺だけとなった
ため、今回、手始めに西のエリアで、東武スカイツリーライン
沿い、柳生駅から、新古河駅付近を見て回った。
現在の地名で、埼玉県加須市柳生、同じく埼玉県加須市小野袋、
埼玉県加須市柏戸、埼玉県加須市陽光台、埼玉県加須市向古河
と見た。なお、このエリアは平成の合併以前は、埼玉県の北川
辺町だった所である。
 この付近には、”鷲神社”が多く、小山義政とも繋がりが、
感じられたため、だいぶん開けていると聞いている、古河市の
市街地よりは先に、ここをみてみる事にしたのである。
 ただし実際に見たところでは、東武スカイツリーラインの、
柳生駅と新古河駅付近は、開けていて遺物は転がっていない。
また、一帯で貝塚のような所や、陶器の破片のようなものが、
たくさんあるような所には、遭遇しなかった。が、柳生駅と新
古河駅の中間地点の神社には、瓦や神社特有の遺物が、けっこ
うたくさん転がっていた。ただし、ここ付近の神社の、幾つか
の建て看板を読むと、このあたりの”鷲神社”等の創建は、
残念ながらさほど古いものではなく、江戸時代末から明治に
かけてのものが、多いようである。
 よって遺品も、近世末期や近代のもの、だけなのであろう。
 恐らくは、利根川の工事に関連して、よそから移されたか、
その工事での安全を祈願して建てられたか、そうした意味合い
の神社ばかりのようであった。従って、中世の小山義政と関連
する、鷲神社と言えるような証拠には、今回調べた範囲では、
遭遇しなかった。
 最後に帰りがけに、渡良瀬川の河川敷に登り、対岸の茨城県
古河市を遠望した。が、三国橋の対岸の橋のたもとは、やはり
かなり、開けている街中のような印象で、少なくとも古河公方
別邸付近には、遺物の散乱等は、余り期待しないほうが良く、
そのうちざっとチェックする程度で、良いのではないかと感じ
られた。(2017/04/27)