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玄怪録の将棋駒の名、上、天、輜。不採用理由の負け戦は白村江の戦(長さん)

以前”日本の平安時代の一条天皇の頃に、日本の奈良時代の中国晩唐代
怪奇小説、玄怪録の文書を参考に、日本で原始平安小将棋が作成された”
という、大阪商業大学の研究者の説の、批判として名高い、”作成され
た将棋の象、馬、車の修飾詞が、表題のように、上、天、輜ではなくて、
酔、桂、香と、違う字にした事が説明困難”が、大阪商業大学の研究者
の”日本の将棋一条サロン発生説”にとって、否定的な材料には、なら
ないと、

このブログで大阪商業大学の論文を、擁護した事

があった。そのときには、玄怪録の”宝応将棋”物語の中で、戦に負け
た国となっている、

天那国が、実質日本軍である疑いがあるための、忌避

とは述べた。がしかし、確かにこれが玄怪録式の修飾詞、上、天、輜を
避ける理由とは、のべたものの、具体的に、暗々裏に述べられている、
実際に有った戦争が、例えば飛鳥時代の、

白村江の戦であるとは、証明できる材料を示す事ができなかった。

しかしその後、中国の星座、すなわち、日本の平安時代の一条天皇の頃
にも、日本の朝廷組織内の陰陽寮の天文博士も、使用していたとみられ
る星図に書かれたそれを良く調査した所、

天那は、”(敗戦の日本府で著名な)任那を星座にしたもの”との証拠

があるのに気がついたので、以下報告する。
 中国古代からの星図は、近年の日本の天文学史の成書にも、しばしば
そのコピーが載っている。しかしながら、中国の古文書等のコピーは、
劣化していて

たいへん見難く、中国星座の作成規則がどうなっているのか、正直私に
は、良くわからなかった。

しかるに最近、1970年代に作成された、ふつうの88星座と、中国
古式星座を混ぜたような文書が中国にあり、更にそれを書き直して、
きれいにした、天の南極付近を除く全天星図が、天文系の雑誌、

天文ガイド2013年6月号(誠文堂新光社)に、早稲田大学文学部の、
近藤二郎氏の作成した星図として載っている

のを、偶然発見した。内容で特記すべき星座は、

現代星座の”やまねこ(山猫)”座を、中国の天文関係者は”天猫”座
と訳している

と、言う事である。なお、同じく現代星座のこと(琴)座は、天琴座、
うさぎ(兎)座は、天兎座、はと(鳩)座は、天鳩座と訳す。ようする
に、中国人は、天に上げられ、星座になった文物には、我々の直訳と違
い、天を余計に付ける習慣が昔からあると、考えてよいと言う事だろう。
その事は、図でダブって示されている、中国古来からの星座の、名前の
パターンを見ると、良くわかる。しかもこの場合、やまねこ座の例の
ように、

修飾詞で、絶対に必要とまでは言えない字は、削除してしまう傾向が
ある

と、言う事である。なお、図中に”猫”の中国星座は、他には無く、や
まねこ座は実は、星を線で結んでも、まず山猫には見えないほど、不明
瞭な星座である事で、設定者のヘベリウスの時代から、有名である。
 他方、玄怪録に話を戻すと、物語の中で敗戦する天那国は、実在する
ある地方の国名を、星座風の言葉で表現したもの、ととれる。死後の世
界と宇宙とは、昔から繋げられる傾向が強いので、怪奇録の時点で、
あの世に行ってしまった、晩唐期基準の亡国を、”○那国の星座”の
ように、表現するのは、文学上の手法としては、自然であろう。
 そう考えた日本人の、原始平安小将棋の棋士等には、朝廷の陰陽寮の
天文博士が所持している、星図を恐らくチェックした者が居たに違いない。
そして、その時点で日本政府が採用した、”星座”を見れば、

天の○那国は、白村江の戦のときに、日本府がおかれていて、敗北して
壊滅した、任那国を星座にしたものと、当然解釈するだろう

と、私は考えるのである。
 そこで、以上の思考経路を辿って日本人棋士等は、仮に平安小将棋と、
玄怪録とが関連するものであると認識しても、物語上で、唐の軍隊に負
けて、日本軍が壊走する敗戦を表す任那国が、実質出てくる小説に
示された将棋、すなわち宝応将棋の、将棋駒名の修飾詞そのものは、
大理国の将棋を、日本風にする際には、

自国日本の壊滅を暗示するので、上、天、輜を、輸入大理国将棋の象、
馬、車には、つけたがらないと考えるのは自然

と、見るのである。
 日本将棋を伝来させた中国人の貿易商、恐らく周文裔親子も、玄怪録
は読んでいて、桂馬や香車を天馬、輜車に、駒の敵味方の向きが2文字
の方が判りやすいからと、日本人へ彼らからも薦めたのかもしれない。
しかしそれは、上記の理由で、日本人は採用しなかったのだろう。そし
て将棋盤の、カツラ板が良い香りがしたので、桂馬、香車にするという
方を選択し、結果現在の、日本将棋に繋がったのではないか。
 つまり以上の事から、

上象(将)、天馬、輜車という駒名が、日本の将棋駒として初期には
採用されなかったのは、具体的には玄怪録の天那国が、白村江の戦で
壊滅した任那日本府を、日本では連想させたのが原因

との立場を、今後このブログでは取って良いという事であると、私は
考えるようになったのである。(2018/01/21)

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