SSブログ

埼玉県熊谷市下田町遺跡で古墳期山秦墨書土器(長さん)

今回は、埼玉県西部の旧大里町の下田町
遺跡で、古墳後期の皿型土器の内底面に、
山奉と書かれたように見える、白い模様
があるとの旨の、遺跡の遺物紹介である。
 秩父連山を奉じているのではないかと
見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
138405_14_下田町遺跡Ⅱ.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第301集
下田町遺跡Ⅱ、2005年、国土交通省
関東地方整備局、埼玉県埋蔵文化財調査事業団。
 発掘報告書第6pdfの末尾抄録によ
り、遺跡の場所は、埼玉県熊谷市(旧:
大里郡大里町)津田字埋田町1775・
1792。遺物が出土したのは、西暦
2002年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は土坑第
553号で出土したが、発掘報告書の、
第6pdfの第503ページ付近による
と、その土坑は東区に在り、第6pdf
末尾抄録により、古墳時代後期の成立と、
考えられているようである。また、第8
分冊の第765ページ付近に記載された、
時代別遺構分布図から、近い遺構がこの
時代のものとされている点からも、私に
はそう取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第14分冊
写真図版第185左下に在り、スケッチ
図第420の第27番との旨、ナンバリ
ングされている。やや底の深い皿のよう
に私には見える。発掘報告書では、台付
の椀とされているようである。

下田町泰山.gif

 上図のごとく、その皿状の土器の、
内面の底に、比較的

珍しく白抜けで縦に「山奉」に見える
模様が有る。

 古墳時代後期の6~7世紀頃に、秩父
連山を奉じる祭祀が行われ、そのときに
使用されたのではないかと、個人的に私
は疑う。(2024/02/18<<1582year'sEditionGregorio)

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー