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なぜ唐代伝奇集くらやみ碁、日本王子は短手(長さん)

東洋文庫16唐代伝奇集に、囲碁話が2編
あり、どちらも唐代9世紀の成立とみられる。
今回は、表題のように、

9世紀中国の囲碁は、今の囲碁と同じなのか

を問題にする。理由はどちらも物語の中で、
34手~36手で勝負が付いたとの旨が記載
され、たまたま大差の勝負なら別として、
200手以上掛かる、今の囲碁に比べて、
余りにも手数が少ないからである。回答から
書く。

少なくとも今の日本の囲碁に近いものである。

ただし、死活の判定で今より、慣用的にスコ
アが決まるケースが更に多く、そもそも少な
い手数で、

最終スコアが判断ができる事が、唐代の当時、
名人の条件とみられていた

と推定される。
 では論を開始する。
 少なくとも、日本の王子を読む限り、唐代
には、中国人一般の常識としては、日本と中
国とで同じ囲碁が打たれていたと認識された
と推定できる。

日本の皇太子の持参した碁盤碁石等で、勝負
をしているように、敢えて記載しているから

である。なお、この話が怪奇なのは、北アメ
リカ大陸のカリフォルニア半島を当時の中国
人も、日本人も知っていて、そこの白と黒の
石が取れる池(?)から、碁石を日本で生産
しているという、千里眼話が入っているから
のようである。
 次に、くらやみの碁と日本の王子で、それ
ぞれの囲碁が、どのような結果であったかを、
再確認する。
 ”くらやみの碁”は、821年~848年
の間の河南省にての成立で、薛用弱が作者で
あり集異記に載っている。この物語上の囲碁
は、36手で先手の9目勝ちだとされ、”

9目勝ちになる筋道を考えても、誰にも判ら
なかった”との旨が、物語上記載されている。

 4手ほど、途中の着手が記載されている
ようだが、原文の中国語を判断しないと、
よく判らないようだ。前野直彬氏の訳を読む
限り、ヘリ近くに着手していないが、私には
意味はつかめない。ともあれ。
 日本の今の碁と同じく、合意により終了し、
大差で先手が勝ったが、

名人級(超人級)には、何目差かまで読めた

との意味のようだと、囲碁を打たない私には
読み取れるようだ。少なくともだから当時の
中国の囲碁も、今の日本のように、双方の合
意により終局していたのだろう。ただし、

スコア判断が、今の日本棋院のルールより
更に場合訳けの規則が多く複雑で、目差を
判定できる事自体が名人

だったのであろう。しかも、架空の物語であ
るから、通常なら3桁になるはずの、必要
着手数を36手まで減らして、空想上の棋士
の棋力が絶大で、遠い先の結果が読めるとい
う点を強調して、物語り上の効果を醸し出し
ているという事のようだ。
 次いで、日本の王子は、876年~886
年程度の頃の成立で、作者は陝西省の蘇鶚。
杜陽雑編に載っている。
 34手で後手の大差の勝ちとの話になって
いる。34手目は絶妙手だとの旨が、記載さ
れているようだ。
 先手に読み抜けが有ったようには読めない
ので、小型囲碁盤の囲碁も連想されるが、
この一局が、これほどの短手数になった理由
は、余りはっきりしない話である。ある
いは互先置石制だが、置く石の数が2×2で
はなく、韓国型でもっと多いのかもしれない。
今の所、

碁盤は日本のだから19路で、投げた先手の、
結果読みのそれなりの力をも強調していると
取り、勝負が付くまでの着手数が、その為に
少ないと言う解釈を仮に取る

事に本ブログに於いては致したい。
 以上の2つの物語の結果から、情報が少な
くはっきりしないが、

唐代当時の中国の囲碁は、今の囲碁に近い
道具とルールだが、終局が合意制であり、
スコア判定が、今ほど厳密化されていないと
いう点で、今とは少し違う程度の物

という論を、否定できるだけの情報が、唐代
伝奇集に、特にあるわけでもなさそうだとい
う結論になると考える。
 少なくとも、スコア判定と言う、今の囲碁
内部にもフレのある部分でさえも、今とかな
り異なり、目数の差ではなくて盤上に置ける
石数差判定になるという程度の、

大きな差が見え始めるのは、遅くとも中国の
南北朝時代以前なのではないか。

以上のように、この時代の囲碁の描写の状況
から見て、ざっとだが推定されるように、私
には思われた。

囲碁は歴史が長いだけに、将棋より格段に、
ルール史の推定は難しそう

である。(2020/02/29)

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