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12世紀二人制古チャトランガ駒動きは古文書本文(長さん)

今回は、以前の本ブログの解釈の訂正から
始める。マナソラーサを元文献とした、
12世紀インド二人制古チャトランガの、
駒動きルールは、

戦法図から割り出した結果を示したのではない。

インドの古文書であるマナソラーサの本文
中の方に、駒の動かし方ルールは記載され
ているようである。
ボックラーミンクのThe varieties of
 Indian chess through
the ages
(”インドチェスの通史”1995年)
309ページから331ページまでの文献
の、311ページに、そのように取れる記
載がある。ただし、マナソラーサ原文の英
訳は載っておらず、ボックラーミンク氏の
解釈だけが載っている。
 以下、説明を続ける。
 問題の箇所は、上記論文の3ページ目に
あたる、311ページの1段目から、下に
続いている。”文献マナソラーサに書いて
ある”と著者は記載し、兵駒について、
特に細則まで詳しく述べている。が、本ブ
ログの注目点はむしろ馬の動きであって、
その”馬”について述べると、

西洋チェスのナイトである旨が、論文には
簡単に書いてあるだけ

である。
 以下は私の想像であるが。
原文には、”第3の升目の隣”等、ありき
たりに、書いてあったのだろう。

「マナソラーサ」(12世紀)も、新たな
知見は、さほどは含まれていなかった

事がほぼ判る。論文の311ページの認識
に基づいて、ボックラーミンク氏は324
ページの、駒の動かし方ルール図(マナソ
ラーサ12世紀インド)を作成したようだ。
 次に、駒組一例図についてであるが。
問題にしている”インドチェスの通史”
1995年の312ページを読むと、
「マナソラーサ」には、歩兵の配置しか、
書いていなかったようだと判る。これも、
論文の312ページの先頭のから、続いて
書いてある。
 結局、

馬の配置を含めて、論文325ページ下の
駒組図はボックラーミンク氏が、
想像で書いたものでしか、実は無かった

ようだ。彼が頼りにした、イスラムシャト
ランジの、戦法に関する類似の駒組図では、
馬が桂馬跳びしていて、ボックラーミンク
の論文の325ページの上の、イスラムシャ
トランジの戦法駒組の配列図は、
下のマナソラーサについてのそれよりも、

ずっと、尤もらしいもの

である。ただし、「マナソラーサ」原文
は、馬が八方桂っぽい雰囲気の記載が、
仮にあったとしても、余りおかしくないよ
うに私は思う。そもそも猫叉大臣に、兵が
成るように、ボックラーミンク氏の論文に
書いてあるようだからである。

つまり、相手側の対応初期配列駒には、
インドのゲームのくせに、最奥段で兵は
成らないとの事

だ。これ自体、時代が古代であっても、
最近であっても、どちらにしても

インドの将棋、らしからぬ感じである。

マナソラーサの著者は、インド人であって
も、ペルシャびいきだったのだろう。その
ため、

将棋に関する情報は、やや希薄で

その代わりに、

ナルト(盤双六)の情報が充実する結果

になったのかもしれないと私は思う。
(2020/02/18)

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