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尊経閣文庫2巻物色葉字類抄の大将基馬名成飛車金の崩(長さん)

前に何回か述べたが、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の
(後期)大将棋とは異なり、表題の八木書店2000
年本、尊経閣文庫蔵の2巻物色葉字類抄の1冊/4分
冊の後部付帯、”大将基馬名”の香車、反車、猛牛、
飛車、仲人は、”裏金”と付記されていて、金成りの
ルールらしい事が判る。本ブログでは、二巻物色葉字
類抄の問題の”大将基馬名”の成立を、2巻物色葉字
類抄の4分冊化と同じ、西暦1565年頃と一応特定
している。
 所でこの、栃木県小山市出土の裏一文字金角行駒の
パータンや、摩訶大大将棋の、飛車、角行、竪行、横
行の金成りを連想させる、”金の多い後期大将棋”の
色葉字類抄2巻物、1565年直近書写本の書体をよ
く見ると、

飛車の1字だけ、”裏金”の崩し方が違う

事が判る。飛車裏金の書体は個人的に私には滋賀県の

観音寺城下町出土駒の”歩兵の裏の金”と類似に見る

ものである。なお、残りの香車、反車、猛牛、仲人の
”裏金”の金は、観音寺城下町遺跡出土駒の、桂馬の
成り金と同じく、ほとんど楷書に近い金に、私には見
える。
 前置きが長くなったが、今回はこの一字だけ書体が
斜めに曲がっている、飛車の字に付記された裏金の、

金の書体を別にした理由について

を論題とする。
 結論から書く。

色葉字類抄の大将基馬名は、聆涛閣集古帖と同類の、
美術品的な、後期大将棋の初期配列図のコピーである

とみられる。
 では、以下に説明を加える。いっけんして、将棋の
ルールという観点から、その時代に後期大将棋の飛車
が金成りで有る事を表すとして、書体を観音寺城下町
出土駒の歩兵の成りのように、敢えて他とは別にしな
ければならない理由が無いのは、明らかである。
 しかも、観音寺城下町出土駒は、日本将棋の駒と見
られるので、銀将、桂馬、香車、歩兵の順に、崩しを
強くしているようであるが、色葉字類抄の大将基馬名
の表現は、傾向が反対である。
 ところで、この飛車の金だけ崩すパターンは、手前
の駒の金の字は崩さず、上の方の段の成り金の金の字
を崩しているという点で、上に述べた聆涛閣集古帖の
摩訶大将棋図と、仲人の成りが崩れて居無いが比較的
似ている。そして本ブログでは、聆涛閣集古帖の成り
金の崩し方の段分けは、”見てくれの良さ”が理由だ
と、今のは所見ている。だから、初期配列図にはなっ
ていないが、二巻物色葉字類抄の、1565年直近書
写の、加賀前田家蔵本の著者は、掛け軸のような形で、
後期大将棋の初期配列の図が題材の、美術品を所持し
ており、それを写して二巻物色葉字類抄の第1分冊の
末備に加えたと見るのが、相当に尤もらしいと、少な
くとも私には思える。
 そう考えると美術品としては、反車だけでなく、
猛豹と猫刃も、猛牛だけでなく、悪狼と嗔猪も、成り
は普通の楷書の金であり、また、

飛車だけでなく、角行、竪行、横行、飛龍が、
観音寺城下町出土駒の、歩兵の成りの”傾き金”型に、
掛け軸がボロボロになる前には書かれていた

と考えた方が、美術的感覚からいえば、より尤もらし
いように、私には思える。やはり、

西暦1565年の色葉字類抄2巻物4冊本成立期の
後期大将棋と、16世紀末の水無瀬兼成の将棋纂図部
類抄の後期大将棋とではルールが、史料の見掛けより
も、更に差が有った

のであろう。
 つまり大将棋は、南北朝時代から後は、金成りと太
子、獅子、奔王成りだけだったが、金成り駒が、以上
のように、いろいろ有って一定しておらず、ルールが
不安定に推移した事を、示しているのだろう。

その結果南北朝時代末期頃に、嫌気がさして中将棋で
は、成りが新たに整備されたのかもしれない。

以上のような経緯と、私には想像されるようになった。
(2019/06/20)

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