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高槻城三の丸小将棋金将の横・下文字の解読(長さん)

今回はずばり、下記の高槻城三の丸遺跡
西暦1990年頃発掘の、日本将棋の駒
約26枚のうちの、3枚程度の金将駒の、
一枚だけに付いている、下と横の墨書の
字の解読を試みる。

高槻城三の丸金将付字.gif

回答から書く。上図の緑い枠の中の、
底面に付いた文字は、うる覚えで書いた
アレフ数という記号。左側面の赤い枠の
中の文字は、平仮名等で”とみ(富)”
だと見られる。更に結論を続けると、
この文字書きにより、高槻城三の丸遺跡
出土の日本将棋の駒の、最終的な成立は、

幕末1860年代から以降であると推定
できる可能性がある

と私は考える。では、説明を開始する。
 まず、成立年代をこう推定した理由は、
底面文字の意味が数学集合論のアレフ数
を表すとすれば、集合論が成立したのは、
創始者のカントールが、20歳より後だ
ろうという事から、そう結論される。彼
は、西暦1845年生まれとされるので、
西暦1865年より後である。駒の作成
者が書いたのでは無いにしろ、まだ高槻
城の城内の所定の所に、この将棋駒が残っ
ていた時代に、

数学に興味を持つ何者かが、∞記号のよ
うな使い方のつもりで、図の緑枠の中の
字を、不正確にだが書いた疑いがある

と私は考える。
 次に、側面の字は補うと、”み”が、
変体仮名の”とみ”というひらがなであ
り、意味は”富”だろう。だとすると明
らかに、全部を合わせると

”金(を得て)無限大の富”と言った意
味に読めるので、加えた字で意味が通る

と、私は考える。たまたま廃棄に決まっ
た高槻城の中に、明治時代初期に、落ち
ぶれた城の管理人等が居て、この金将駒
で願掛けの、

≪呪い(”まじない”ないし”のろい”)
札≫を、洒落で作ったつもりだった

のではあるまいか。
 一般に、駒の作者が自分の作駒である
事を示す為、将棋駒の底面に、字を加え
る等をする事があるのは私も知っている。
 しかしながら、そうするケースは、字
は大概、王将駒に書くはずである。金将
駒に書いてあるのは、おかしいのではな
いか。よってこの字は、自分の名前を書
こうとはしておらず、

駒師が”とみ”氏である可能性は少ない

と私は思う。
 洋風の文化が入ってきた頃に、ひけら
かしに、城の中に居た者が悪戯書きをし
たというケースも、ひょっとすると考え
られるのではないかと、私は疑っている。
 そして、鏡影像になってしまっていて
正確では無いのだが。西洋発の最新の
数学記号を入れて、

学のある所を、見せたがっていた人間が
高槻城に残って居て、このような悪戯を、
たまたま金将駒の一枚にした。

以上の可能性が有るように、私は疑う。
(2021/01/02)

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