SSブログ

福岡県本町遺跡で小型盤に升目番号を書いた物品(長さん)

以下は、正体を発掘報告者が知らないのに
驚いたという話題である。回答から書くと、

昭和初期に学生が製作を試みた十五ゲーム

の製作途中品とみられる。説明を開始する。
 表題に書いた福岡県の本町遺跡は、
福岡県柳川市本町にあり、今回紹介する遺
物物品の発掘は、西暦2009年に行われ
たようだ。発掘報告書の表題は以下の通り。
県立伝習館高校建替え事業関係埋蔵文化財
調査報告”本町遺跡”福岡県埋蔵文化財
報告書第265集、2018年、
九州歴史資料館。
3年前なので、報告書はごく最近のものだ。
 pdfファイルが、奈良文化財研究所の
発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されていて、これ
に関しても、web上で見る事が出来る。
ファイル名は、以下の通りである。
72602_1_本町遺跡.pdf
そこの147ページの図版の”第138図
本町遺跡2次調査出土木製品実測図(1/3)”
の右下に、今回の論題の木製品のスケッチ
が載っている。残念ながら写真は、発見出
来ない。
 裏表共に縁取りがほぼ無い盤状になって
いて、(仮)オモテ面が4×4の16升目、
(仮)裏面が5×5の25升目である。
現代国語の書き方のパターンで縦書き右か
ら左に、

漢数字でナンバリング

してあるが、升目の番号を示しているとい
うよりは、大きく見やすく、それぞれを、
製作過程で切り離して、コマにするのが目
的という感じに書いてある。

当然だが、オモテ面は左下で十六、裏面は、
廿五

になる。
 出土遺物の成立時期については、この
発掘報告書の106ページに、共出土した
目薬瓶の形態から、昭和初期と考えられて
いるように、私には読める。

欧米との関係が悪化した時期なので、漢数
字を使い、算数字を使わなかった

のかもしれない。升目は4×4面の方が、
1.5センチ前後と、指に挟むのに手ごろ
だが、この遺物が何なのかに関しては、

盤の厚みが2.5センチ程度なのも手掛り

だろうと、報告書には書いてないが、私は
個人的に感じた。2.5センチを半分に割
ると1.25センチ程度、

削りシロを見て、コマの厚みは1センチ位

に、結果としてなるだろうという事である。
 発掘報告書の114ページに、

正体不明。教育用か?との旨の記載がある。

正直私は、

報告者が、正体を知らないのに驚いた。

オモテ面は手製の十五ゲームのコマの作り
かけと見て、まず間違いないように、私に
は見える。福岡市内の百円ショップ等でも、
現物でプラスチック製のが、今でも販売さ
れているのではなかろうか。
 升目番号が目障りなので、遊戯盤には、
このような番号は付けないし、縁に石が
置けないので、碁盤の仲間ではない。
 板が2.5センチ厚みという板が在った
ので、2つに割ってから、同じ枠で使える、
十五ゲーム駒と、試作の二十四ゲーム駒を
作ろうとしたように私は思う。昭和初期に
は、令和の現代とは違い、子供はオモチャ
は何でもこうして、手作りで作って遊んだ
のであろう。百円ショップで、同様の機能
を持った物品を、見るのが当たり前の我々
には、今では想像も、しにくい事だが。
 個人的に私なら、鋸で真っ二つに割るの
が面倒なので、1センチ厚みの同じ形の板
が2枚、ホームセンターで見つからなけれ
ば、このような工作は最初から頓挫であろ
う。作者は工作の相当好きな人間に見える。
なお、ササクレを考慮したのか。オモテ4×
4の面に、上部に削りシロを加えて、駒の
高さを、多少小さくするような工夫もある
ようだ。製作した恐らく子供は、幾つか類
似品を作った経験を既に持っていたようだ。
 以上のように、私はこの遺物を見て、言
われて見れば、以前ほど見かけなくなった
十五ゲームのオモチャの変遷を認識し、
正月早々であったのだが、時の流れをしみ
じみ感じたのであった。(2021/01/01)
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー