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徳島県中島田遺跡から堅行墨書杯型土器(長さん)

徳島県徳島市中島田町の中島田遺跡は、西暦
1992年頃に、南北朝時代の成り不明歩兵駒
が出土した事で知られる。写真とスケッチが、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に載っている。
 同じ発掘の際に、年代がはっきりしない地層
から、底の裏面に

竪行と書かれたように見える杯と見られる土器

が発掘されていたらしい事を、出土歩兵駒の
写真が載っている、発掘報告書の中で私は最近
見つけた。
 この発掘報告書も、たびたび紹介した、奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。報告書
の表題は、以下の通りである。
徳島県埋蔵文化財センター調査報告書第15集
中島田遺跡Ⅱ、徳島県教育委員会・財団法人
徳島県埋蔵文化財センター、西暦1996年。
pdfファイル名は、以下の通り。
13502_5_中島田遺跡II.pdf
 そのファイルの、うしろの方の、図版65の
下端の中央の、土器の破片状の遺物の写真の表
面に竪行の墨書が薄っすらと写っている。

徳島県中島田竪行.gif

竪行の竪の字は、下の方が消えかかっていて、
はっきりしない。これについても、光線の当り
方で、たまたまそう見えた、単なる幻影の疑い
も有る。
 なお出土した”地層は包含層”だと、報告書
に記載され、包含層とは、成立年代のはっきり
しない、新旧遺物が入り混じった層の事のよう
である。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒にも載ってい
る、成り破損不明の歩兵駒は、このpdf
ファイルの末備、図版70に載っている。歩兵
駒の方は、この発掘報告書によると南北朝時代
のものと言う事のようである。細長くて、持駒
ルールの有る平安小将棋に使うのに適している
ように、私には見える。
 元の竪行の話に戻すと。
 成立年代がはっきりしないのと、土器に書い
てあるだけで、将棋の駒の形での出土では無い
ので、浄土真宗教祖の親鸞が存命中に、竪行が
成立したのではないかという本ブログの見解に、
新しい知見が、特に加わるものではない。
 この遺物は、”飲む打つ買う”で不真面目に
生きる生き方を、戒めただけの酒の杯にすぎな
かったのかもしれない。なお飲酒は仏教の戒律
では禁止と聞くが。ともあれ。実際とは異なり、
仮に鎌倉時代中期成立が、確定していた遺物だっ
たとしたらとすれば、その時代の大将棋にも”
竪行”がある事を示唆した、有力な遺物となっ
ていた所であったろう。(2021/01/18)

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