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出雲国府跡遺跡より銀口土器(長さん)

以下、平安時代末の可能性もある島根県の
出雲国府跡遺跡より、底に金ヘンの字+将を
思わせる字の書かれた、墨書土器の出土の話
題である。銀将と書かれておらず、

女性の顔飾り道具を入れる、器の意図ではな
いか

と疑われる。
 遺物の写真は、web上に公開され、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
 以下の発掘報告書であり、西暦2008年
に出されている。発掘調査は、西暦2005
年頃の事らしい。
島根県風土記の丘地内遺跡発掘調査報告書
18、史跡出雲国府跡、
【発行】島根県教育委員会、
【発掘報告書編集者】
島根県教育庁埋蔵文化財調査センター。
 そこの160ページの右上に、全体スケッ
チと、底の部分の写真と見られるものが乗っ
ている。
 データベースに登録されている、pdf
ファイルは、以下の通り。
2801_1_史跡出雲国府跡5.pdf

出雲国府跡銀将.gif

上の図で、墨書として金ヘンの何らかの文字
と、もう一文字が書かれているように、私に
は見える。発掘報告書には墨書に対する言及
は、特に無いようである。なお、遺跡からは、
この発掘で、多数の墨書遺物が出土している。
 遺跡の全体としての年代は、遺跡の名称の
イメージから飛鳥時代であるが、実際には、
遺物の推定成立年代は”古墳時代~平安末期”
と、漠然としている。
 この遺物が載っている図版自体の名称が、”
第143図宮の後地区包含層出土還物実測図
(4)”となっているように、土壌が混合し
た包含層からの、出土物であるからである。
 だから、銀将と仮に読んだとしても、

平安小将棋が平安時代末期に、出雲国府で
指された事を、証明しているに過ぎない

という事になると見られる。
 遺物の字は末広がりで、何となく将棋駒の
絵が書いてあるようにも見えるのだが。更に
一応、何と書かれているのかを、く見てみる。
 金ヘンの字のツクリは、良のアタマ点無し
よりは、

釘に近い。

次に2文字目は書いてあるようだが、ツクリ
は、受に似ているというよりは、世+木の方
がまだましで、ヘンは爿だか虫だか不明であ
る。つまりヘンは”虫”でも良く、字は

将ではなくて、蝶であっても大差ない

と私は思う。つまり例えば、

”銀将”ではなくて”釘蝶”と書いてあり、
女性の顔飾りの意味

なのではないかと私は疑う。

ピアス位の大きさの物品を置く場所にする為、
土器の使用者が、器に印を手書きした

と考えて、大きな矛盾が無いという意味であ
る。国府の高級官僚の奥方用であれば、成立
時代も、飛鳥時代に使われていたとして、
不自然さは、特には無いのではなかろうか。
 中国四国地方に関しては日高町深田遺跡の
将棋駒、通称”日高駒”で知られる兵庫県に
は平安時代に将棋が有って、島根県には
平安時代末に無かったという事も、無いので
はあろうが。この遺物と将棋とは、特に関連
が無い疑いが濃い。 
 よってこの、金ヘン二文字墨書という、比
較的

珍しい字の書かれた土器

はたまたま、化粧道具の一時期の保管用の器
であって、将棋駒の銀将を象ったものでは無
いのではないかと、私は疑っているのである。
(2021/01/30)

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