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平安時代の四角囲い金将絵付き土器新潟で出土(長さん)

今回は、松岡信行氏が西暦2014年に発表
した、「解明:『将棋伝来の謎』」で述べら
れている、長方形の最初期将棋駒仮説にとっ
て有利な絵の描いてあるように見える、土器
が、前世紀の終わりに出土していたらしいと
いう話題である。ただし、出土地点は当時の
都、京都からかなり離れた新潟県の、古代
集落である。なお、

像は薄く、はっきりしない。

 遺物についての情報はweb上で公開され
ており、発掘報告書は、いつものように奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
写真の載っているpdfファイル名は、以下
の通りである。
26420_1_新保遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
国営ほ場整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
報告書「新保遺跡」、新潟県教育委員会・
財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
西暦2001年。発掘作業は、1997年~
1998年に行われたようである。
 遺物はこの発掘報告書の図版162に載っ
ている、土器の69番という遺物である。

報告書に墨書が有るとの記載は無い。

本ブログの管理人が、目視で見出したもので
ある。
 以下に示したように、長方形の黒い縁取り
の中に、”金将”という文字が、型で抜かれ
ているように見えるという状況のものである。

新保遺跡金将.gif

 遺物の成立年代は”平安時代9世紀後半~
10世紀頃を中心とする”とされていて、か
なりの巾があり、詳しくは書かれていない。
 場所は(当時)新潟県中頸城郡柿崎町
上直海(字)新保の新保遺跡である。
現在は新潟県上越市柿崎区・・という地名に、
代わっていると聞いている。
 この遺跡からは墨書遺物が、数点出土して
いる。将棋駒関連の文字が書かれている遺物
が、別にも有るとの情報は無い。
 四角い将棋駒の絵を描いたようにも見える
という程度のものであり、

方形の将棋駒自体が出土した訳ではないので、
松岡説が、俄然有利になったとは言えない

というのが、私の見解である。なお”墨書が
ある”との指摘が、紹介した発掘報告書に、
同様に無い土器で、薄く”王”と書いてある
ようにも私には見えるものが、2点ほど有る。
これら全てに言えるが、

写真撮影時の光線の当り方による影で、たま
たま、上記図のように、将棋駒名に関連した
字が、書いてあるように見えるだけ

かもしれず、情報としてかなり曖昧である。
 他の解釈としては、例えば土器底のヨゴレ
を、更に疑うべきではないかと、私はこの件
については、かなり疑わしいと思っている。
(2021/01/25)

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