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香川県多肥松林遺跡より弥生時代の五角形木器(長さん)

以下はweb上にpdfファイルの形で、
弥生時代の、将棋駒形の出土木片が載って
いるという話題である。情報源は、いつも
のように奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録さ
れている。pdfファイル名は、具体的に
以下の通りである。
11088_6_多肥松林遺跡.pdf
発掘報告書の名称は次の通り。
”多肥松林遺跡”、1999.3、
香川県教育委員会、財団法人
香川県埋蔵文化財調査センター。
場所は高知県高松市の市内の、桜井高校の
建設予定地。
そこの図版164の二段目右に写真がある。
 墨書きは無いようである。

多肥松林将棋駒.gif

この遺物は、将棋駒ではたぶん無い。

台形のテント止め”くい”のような物品の、
先が折れただけであると私は疑う。
 成立年代はデータベースに登録されると
き、分割されてしまっていて、別の以下の
ファイルで登録されている部分に、記載が
有る。
11088_1_多肥松林遺跡.pdf
 説明は、この”本文部分ファイル”の、
142ページから143ページにあり、
前後に建築材の杭も紹介されている。
発掘調査は1993~1994年に行われ
たとの事である。
 成立年代については、本文ファイルの

16ページでは、共出土した土器の形から、
弥生時代中期と判断される遺物群

との旨が簡単に述べられているだけである。
 更に125ページには、弥生時代には違
いないが、中期~後期のものだろうとの旨
の示唆も、地層の説明をした上で、記載が
有る。どちらにしても巾が広い。しかし、
古墳時代よりは、前とされる遺物のようで、
将棋の駒だとしたら、驚きの大発見である。
 さて上図から、先端部分の破損は”折れ”
だと判る。が、右先端も不規則な折れ跡が
有り、

元は杭(クイ)の形をしていた

と推定できる。駒名も特に書かれていない。
従って、この遺物は、

弥生時代後期の五角形将棋駒の存在を示唆
し無い

と、私はほぼ断定する。なお、報告書には、

用途不明木器

との旨、記載されている。
 大きさは良く判らないが、将棋駒と見て
も、まずまずだったのかもしれない。
 折れ跡が、遺物右先に付いていなかった
ら、弥生時代の将棋駒の非存在を、厳密に
確定は、し辛かっただろうと、私はこの遺
物史料を見てびっくりした。(2021/01/28)

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