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山梨県富士河口湖町滝沢遺跡で”夲人”土器(長さん)

本ブログで前に、㈱遊学社(2012)の
”日本難字異体字大字典”の文字編”本”
の項目に、本の俗字として、上下に”大+十”
と繋げた物が載っているので、本と夲は同じ
という意味の事を述べた。しかし、web上
を調査してみると、

夲は大げさに物事をする、速く進む、勢い良
く進む等の意味を持つ、本とは別字だが、
通説のように、本の異字として扱われる場合
も有る

との意が書いてあるサイトが多い。発掘報告
書を読むと、土器の墨書の中に、どういう意
味なのか、私には判らないが、一文字”夲”
と墨書きしているものが、複数の遺跡に出て
くる。なお、電子辞書のimeパットによる
と、”大+十”の”夲”は、音がトウで、訓
が”もと”だという事である。音を”ホン”
と読む場合も有る旨が、web上に記載され、
本との差は、調査しても私には良く判らない。

以前の結論を出した時点では、調査が足らな
かった

ようだ。ただし本来の意味での夲を、近世以
降は、日本では余り使わなくなったという経
緯の字なのであろう。
 ともあれ今回は珍しく二文字の墨書があり、
摩訶大大将棋の仲人の成りである奔人とも、
”本”に比べて意味が似ているとも解釈でき
て、混同が自明に予想できる、夲の入った
”夲人”という墨書土器も、発掘されている
のに気がついたので、以下に報告する。
 問題の遺物の成立年代は、日本での将棋の
初出よりも早くて平安時代早期、8世紀末か
ら9世紀初、場所は京都からは遠い、山梨県
の富士の裾野、富士河口湖町滝沢遺跡である。
 発掘報告書が例によって、これもまた奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。報告書
の表題は、以下の通りである。
山梨県埋蔵文化財センター調査報告書
第304集”滝沢遺跡(第3・4次)”、
2015年3月、山梨県教育委員会・
山梨県県土整備部
pdfファイル名は、以下の通りである。
15580_1_滝沢遺跡第3・4次.pdf
この報告書の、後ろの方の図版21の上段に、
夲人と墨書きされた土器が、

2枚

写真で載っている。なお下図右の方は彫り物
(線刻)かもしれない。

滝沢遺跡奔人.gif

夲を本を読めば、

意味が通るが、墨書にした理由が不明。

 そうではなく、夲は大げさに物事をする、
速く進む、勢い良く進むと取れば、そのよう
な性格の人間を指すという意味になる。そこ
で五月の節句に、息子の成長に関する願掛け
で作った杯等の墨書きだったなどと考えれば、
理解は”本人土器”の解釈よりは、少しマシ
かもしれないと、私は思考した。

正直良く判っていないので、これが摩訶大大
将棋の、平安時代の存在を示唆するかどうか
については、今の時点で何とも、私には言え
ない。

 しかし少なくともその場合は夲は、向きが
同じなので、奔のようにめちゃくちゃな動き
ではないし、奔王と書いたときの意味のよう
に、逃げる事を目的としていない点でも、
”奔”とは違うが。そうであっても、その使
い方の場合の夲は

奔の方が本より、やや近い感じがする。

本の代用ではなくて、別の意味での夲が、か
つて古代に、日本では土器に一文字墨書とし
て良く書かれたと見た方が、土器は書籍では
無い為自然だと、私は思う。のでその一文字
”夲”土器の夲が、何が勢い良く進行してい
る等なのかは、私には良く判らないものの、
二文字に拡張した場合、”奔人”という意味
に比較的似た夲人の概念が、

中世までには、地方にまで広がっていたと言
う事が、全く無かったとまでは言い切れない

ようにこの遺物を見て疑うようになって来た。

字が具体的に違うので、摩訶大大将棋の存在
下で、河口湖湖畔で平安時代早期に、この墨
書土器が成立したのでは無い

のではあろうが。少なくとも夲人という概念
がイメージ出来たので、摩訶大大将棋の日本
のゲームデザイナーが、仲人の成りの駒名を
奔人にしたとしても、他ゲーマー達は、現代
人に比較するとその用語を、さほど不審には
思わなかったという事だけは確かだった、と
いう事なのかもしれないと思う。(2021/01/16)

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