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群馬県前橋市大胡町堀越中道遺跡で山椎土器(長さん)

以下、群馬県(現)前橋市の堀越中道遺跡
出土で、私には山鹿と読める9世紀末成立の
土器の話題である。

大局将棋が西暦900年以前に存在する事
を意味しない

と考えられる。
 発掘報告書に遺物のスケッチだけが載って
いる。その発掘報告書の表題は、以下のよう
になっている。
大胡西北部遺跡群”堀越中道遺跡”
「(群馬)県営ほ場整備事業大胡西北部地区」
に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-第3集-
発行者に関しては、以下の旨が報告書の冒頭
に記載されている。
発掘調査:大胡町教育委員会直営、1994
年度実施。
発行:大胡町教育委員会。
 この発掘報告書はweb上に公開され、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
16117_1_大胡西北部遺跡群中道遺跡.pdf
 今回話題にした遺物は、報告書の本文中
97ページの冒頭に、スケッチだけが載って
いる。右上の少し欠けた土器である。
 墨書のようだが、スタンプで押したような
字かもしれない。ともあれ報告者は、この字
を”山椎”と読んで書いたようである。

私には大局将棋の駒として存在する”山鹿”

のようにも、その字が見える。
 何を意味するのかは、山椎だと解釈困難だ
が山鹿なら何とかなると私は思う。つまり後
者なら、神道の神を神棚で祭るときの、杯の
印と解釈できるのではなかろうか。
 よって、この山鹿は神鹿との主旨の名称で
あり、

大局将棋が成立して、その駒名を書いたとい
う内容では無い

と私は考える。大局将棋の山鹿は、中将棋の
飛鹿の変形であり、飛鹿の鹿は神様鹿だと、
前に本ブログは論じた。だから結果としては、
神を敬っている事に、変わりは無いのかもし
れないのだが。将棋を愛好するためではなく
て、神事に使用する為の器だったのではない
か。以上が、今の所私の見方である。
 なお、前記の発掘報告書の同じページの
遺物のスケッチの2段目の左に、もう一枚、
字の書いた土器がある。つまり、2つの遺物
はどちらも”第89図11号住居跡出土遺物”
というところに、書いてあるという事である。
 発掘報告書によると、後者を”平”と読ん
で、スケッチしたという事である。ただし、
縦棒が中央水平線から、下に抜けているのが、
もし仮に曖昧だとしたら、

私なら”巫”と読むような字

である。鹿が神様と考えたので、共出土土器
に巫女の巫が書いてあれば、用途として一応
整合していると私は思う。
 なお報告書を読むと、出土地点は平安時代
の、公務員住宅をイメージすると、判り易い
ような所のようだ。たまたま身内に病人が出
て、呪師に祈祷を頼んだときに作成した器で
はないか。だとすれば成立が平安時代中期と
いうのならば、群馬県前橋市だから発掘され
たのではなくて、比較的全国的に見て、あり
きたりな物品だった可能性も、全く無いとは
言えないのではなかろうか。以上のように今
回話題にした遺品について、私は考えている。
(2021/01/27)

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