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サマルカンドのソグド人の駒は何故断面が、長方形なのか(長さん)

単なるレプリカなため、確定情報になりにくいのだが、増川宏一氏の
11月22日夕方の講演会に先立って、東京都千代田区の日比谷図書館
の1階ロビーに展示された、西暦750年頃のものとされる、
シルクロードの町サマルカンドの、ソグド人の居住区から発掘されたと
いう、古チェス駒(サーサン朝ペルシャ型のシャトランジ駒)について、
気が付いた事がある。兵駒と城か戦車か、副官(大臣)駒かとみられる、
角柱型の駒2個を除いて、他の5つの、

王駒か戦車駒類(?)、馬駒、駱駝駒(?)の断面が、長辺が2.5~
3倍程度の長さの長方形だという事

である。これは、兵や大臣駒(?)と異なり、

駱駝駒、馬駒等が正方形升目のチェス盤には、余り適さない形態である

という事を示している。
サマルカンド駒.gif
 長方形の断面の駒を、チェス盤で使うには、升目を長辺に合わせて、
大きくする必要がある。だからその分、盤が大きい割には、兵駒等、
正方形断面の駒を置いた升目が、スカスカになると見られるのである。
つまり王駒と馬系の駒と、兵駒が同時出土しているため、これらの遺物
が、チェスやシャトランジ系のゲーム用で、有る事は明らかではある。
しかし、断面形が駒全体で、少なくとも2系統あるという、不思議さが、
存在するのである。理由は、ほとんど解明不能だが、
たとえば、

戦車・王・馬・駱駝駒は、升目を横に3つ使う、アラブシャトランジと
は、全く違うルールのシャトランジ系ゲームが、イスラム帝国~アッパー
ス朝時代、シルクロード上の中央アジアでは、しばしば興じられていた

事を、これは示しているのかもしれないと思う。あるいは、そもそも、
このゲームには、ゲーム盤に升目が無く、

歩兵は、1手で中央すこし手前まで進め、互いにそうした後で、相手が
中央に、別の手で兵を進め、兵が互いに接触するようになると、玉将に
近いルールで、兵で兵が取れる。馬は相対した状態で、歩兵を飛び越し
て前に出ると、筋が一つ違う相手の馬が、真っ直ぐ跳んで来て、幅が広
いので捕獲されてしまう。というような、今の将棋系統に比べて、
”ルールの公平性が曖昧な、おおらかなルールのゲーム”が、中央アジ
アでは、シャトランジ系統とは別に、指されていた

のかもしれないと、想像もされる。更には、そもそも、この遺物で、

王や馬や駱駝は、戦争時指揮官が、作戦を練るために、実際に使った
道具の転用や、模写

なのかもしれない。何れにしても、この西暦750年時点で”製作より
150年経っているという、このレトロな駒”には、

盤に升目を書いたゲームは、比較的その時代に科学技術(数学)が発達
した、インドやアラブの文明国のもので、周辺では牧歌的な別ルールの、
シャトランジ型のゲームが、あるいは興じられていたかもしれない

と想像される、研究の進展によっては、新たな展開を見せそうな、面白
い遺物であると、私には”駒の断面の形の不思議さ”から、感じられる
ものであった。(2017/11/10)

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戦国末”文禄本幸若舞信太”の作者。なぜ飛車を玉行と間違えたのか(長さん)

遊戯史の本では余り見かけないが、古語辞典・国語辞典の詳しいもの
の幾つかに、戦国時代末作とみられる表題の、”文禄本幸若(舞)
信太”将棋史料の紹介が”桂馬”項に出ている。内容はざっと訳すと、

別の物にたとえて言うのならば、「天台しゆうの戦(いくさ)」に於
いて、まず歩兵が先陣を切って攻めかかると、ついで玉行と角行が、
相まみえる事になる。ついで金将、銀将、桂馬が攻めかかると、ほど
なくして太子も、それに加わる事になる。以上は戦いの兵法を、
将棋盤の上に作ったものであるけれども、ああ、これに勝る(シミュ
レーションモデルの)例が、はたして有る物なのであろうか。
(なお、「天台しゆうの戦」は、辞書によっては「天竺州の戦」に
なっている。どちらが正しいのかは、私はまだ確認していない。)

上記の史料で重要な点は、言うまでもなく、

太子が出てくる事

である。このことから、成立年代とあわせて、述べられている将棋が、

朝倉小将棋である事は自明

である。つまりこの史料は、朝倉小将棋の展開について述べている、

極めて珍しい例である。

なお内容で、誰もが目に行くと見られるのは、朝倉小将棋とすると、
飛車が無い事。文中に玉行という、例の無い駒名が有る事から、飛車
が恐らく”玉行”と、間違えられていると、見られると言う事である。
 今回の論題は、この誤記から、何が判るのかと言う事である。回答
を書くと、

朝倉小将棋のプレーヤーが、中将棋を同時に指していた例がある

と言う事だと、私見する。行駒を二つ並べてしまう間違いは、小将棋
だけを指している者のケースには、起こりにくい。角行、堅行、横行
と、行駒が複数有る、将棋指しの居る環境の中で、作られた文だと、
私は思う。作者は、自分自身は、余り将棋には詳しくないが、中将棋
の駒は、たびたび見聞きしていたのであろう。だから、角行と何かと
考えて、飛車と、堅行/横行が、頭の中でごっちゃになって、間違え
たと、推定できる。
 なお、この文面から、指している将棋が

たぶん取り捨てルールである

事も、自明に近いのではないかと思う。”玉将周りの囲いを解いて、
最後は総力戦になる”という内容であるから、玉が手薄でも、終盤は
余り困らない将棋、すなわち、取り捨ての将棋としか、私には考えら
れない。
 従来、朝倉小将棋は、日本将棋と並存し、持ち駒ルールであるとの
考え方が強い。確かに、江戸時代に、持ち駒ルールの詰め将棋が作ら
れているから、全部が全部、取り捨てルールで指されたという訳でも、
ないのかもしれない。しかし、飛車と、玉行に似た、何がしか行駒と
を、間違えるような、中将棋指しの間でも、実際には、朝倉小将棋は
指されており、そのケースは、取り捨てルールの場合も有った事を、
この史料は、示しているのではないだろうか。
 一般に、後奈良天皇の酔象削除は、改革の美談として、語られる
場合が多いように、私には認識される。しかし、もともと朝倉小将棋
が、日本将棋と違って、主に取り捨てルールで指されていたとしたら、
単に”太子”が、後奈良天皇には気に入らなかったので、酔象を取り
除いた、だけだったのかもしれ無い、と言う事にも、なりかねない
のではないかと思える。
 以上のように上記例は、将棋の具体的な進行を記載している、中世
将棋史史料の中で、極めて稀な例の一つである。他には普通唱導集が
あるが、第三の例を、ぱっとは、私には思いつけない。以上の事から、
少なくとも私には、これはとても、玉行の間違いを、笑っただけで、
スルーしてしまえば良い、史料として価値の低い文献とは、よって、
考える事が到底出来ない貴重品と見るのである。(2017/11/09)

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日比谷図書館、11月江戸歴史講座「将棋」記念展示物の内容(長さん)

増川宏一氏の江戸時代の将棋家元、大橋家文書解説の11月22日夕方
の講演会に先立ち、日比谷図書文化館、1階展示室のロビーに、カラス
ケースに入った展示品が、既に出ているとの情報があったため、11月
6日月曜日午後に、内容をチェックしてみた。

展示品はレプリカであり、貴重品ではなく、ケースに入っているが
見張りも立って居無い。

内容は、
①西暦750年のシルクロード・サマルカンド付近のソグド人居住区
から発掘された、写実的かつ、サーサン朝ペルシャの軍隊のミニチュア
の形の、原始チェス駒、確か計7点のレプリカ。なお、この駒は、
サーサン朝自体が、100年前に滅びているので、西暦750年当時でも、
それより約”150年前のレトロな物品”だったようである。
②8世紀~9世紀、イスラム時代のアラブ・シャトランジ駒で、欧州
の博物館に所蔵の、1セット駒、計36枚のレプリカ。
③中将棋の駒の半分(46枚)。駒の動かし方ルールが駒の表面に、
駒名とともに、書かれたもの。
④おなじく、後期大将棋の駒の半分(65枚)。状況は③と同様。

ただし、③も④も、日本将棋にある駒は、スタンプ駒の既製品で、その他
の無い駒を自作して足したように見えるし、④の後期大将棋で、悪狼と
嗔猪の動きが、世界の将棋のルール(wikipediaルール)に
なっていて、古文書とは違う。鉄将が新字体の”鉄”であるということ
から、近現代の作のようである。なお、所有者は、増川宏一氏と記載さ
れている。その他には”中将棋が14世紀中から、大将棋が普通唱導集
の頃を中心として、”との旨、将棋史の説明が、ざっとあるだけで、
展示された駒の素性に関する、それ以上の詳しい説明は無い。なお、
中将棋、後期大将棋共に、将棋盤には乗って居無い。

増川駒.gif

①・②に関して、①がサーサン朝ペルシャの軍隊を模しており、②より
も古いように形態からは、見える事。従って、世界の立体駒は、イスラム
的に抽象化した単純な形から、写実的な戦争シミュレーションゲーム用
の駒へ、20世紀後半に言われたように、進化した訳ではなく、その実は
正反対であると、説明書きが添えられていた。よってこれらは

あくまで教育用のものであり、歴史的な物品の展示ではない。

 なお2017年のこの日、日比谷図書館周りは、来日したトランブ
米国大統領が来るとの事で、厳戒態勢がひかれていた。帰りに日比谷
公園でも、ぽんやり散歩して、帰ろうと計画を立てていた私は、おかげ
で、すっかり当てが外れた。
 本ブログを開設して1年がたち、毎日連続投稿を続けた結果、記事数
が365を超えた。(2017/11/08)

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大阪電気通信大学の15×15升目130枚制後期大将棋の駒ルール(長さん)

大阪電気通信大学に摩訶大大将棋のゲームサイト、”摩訶大将棋のページ”
があり、そこでは、摩訶大大将棋のルールの復刻を目指して、いろいろな議論
が過去になされてきた。sonyの会社が倒産しても、大阪電気通信大学は
残る可能性もあるので、敢えてここにミラーを作る必要は、本来無いのかも
しれない。が、後期大将棋のルール情報も、実はその中によく読むと含まれる
ため、ここでは、後期大将棋の、駒の動かし方のルールに関するものとみて、
大阪電気通信大学高見研究室の情報を、転記してみる。
 上記ページには、水無瀬兼成の将棋部類抄録の記載から、中将棋と後期大
将棋の、

仲人、鳳凰のルールは後期大将棋では、以下のようになるから、摩訶大大将棋
では、仲人と鳳凰の駒のルールは、しかじかである。

という論法が、使われているのである。つまり、

摩訶大大将棋と後期大将棋は、大阪電気通信大学高見研究室の見方では、
水無瀬のシステムでは、駒の種類が同じなら、この2種類間の将棋に関しては、
泰将棋のケースとは、全く異なり動きのルールが、同じという前提がある

のである。水無瀬のシステムで、後期大将棋、大大将棋、摩訶大大将棋の
駒が共通ルールであるという事は、ルールを示す打点が、下位の将棋にあれ
ば、概ね省略してあるので、

高見研究室の見解は、だいたい正しい

といえる。良く見ると例外は、大大将棋の猛牛が、いわゆる大局将棋の走る
猛牛になっているという、一点だけのようである。特に、後期大将棋と
摩訶大大将棋では、なぜか気まぐれに猫叉の打点が、摩訶大大将棋にも有る
のだが、動きは一致している。なお以上の議論は、大阪の島本町教育委員会
編、「水無瀬 将棋図」パンフレットに関して行っている。
 さて以下は、仲人と鳳凰の後期大将棋の大阪電気通信大学の解釈した、
動きのルールの具体的内容で有る。
 結論を書くと、まず

仲人は、縦横4方向に歩み

である。また、

鳳凰は、斜めに正行度型の踊り(味方の駒でも飛び越せる)で、間駒が
相手の駒なら、踊りなので取れ、縦横には歩み

である。
なお、同じく島本町教育委員会パンフの、後期大将棋の打点に基づいて、

桂馬は、斜めに1目跳びであって、桂馬跳びでは無い

としている。
 以上3点は、摩訶大大将棋のルールとして大阪電気通信大学、「摩訶
大将棋のページ」では記載している。が駒個別の動き、後期大将棋イコー
ル摩訶大大将棋の前提があるので、後期大将棋にも、適用されるべきである。
 なお、こうする経緯については、正確には高見研究室のページを参照
されたい。将来このページが消失する懸念は無いと思うが、一応ここでも
かいつまんで書くと、水無瀬兼成、将棋纂図部類抄の中将棋記載の後に続く
注記部で、中将棋の特徴的な駒の動かし方ルールが、文で記載された部分
がある。が、その中で、

”鳳凰と仲人が中将棋と後期大将棋で同じというのは、レアーなローカル
ルール”と、文面を読む

のである。なお原文で”也”という字が、小さく書いてあるのだが、これを、
後世の付け足しととして、大阪電気通信大学は、実質無視する立場を取る
と、私は理解している。
すると、仲人が縦横打点に、島本町教育委員会編水無瀬将棋図(纂図部類抄)
ではなっていて、中将棋だけは横に動けないと、注釈部を解釈した上で、
後期大将棋の仲人は上記ルール。更に、鳳凰が飛龍の踊り動きで無いと言う
のも、中将棋だけであると高見研究室では解釈し、鳳凰斜め動きを、
後期大将棋では、飛龍の踊り動きと解釈するのである。
 また、桂馬については、水無瀬将棋図が概ね、斜めに打点が2個あるので、
桂馬跳びの証拠が無いとして、大阪電気通信大学では、桂馬を桂馬跳びにし
ないで、斜め1升目跳びの”大局将棋の飛龍の動き”と、解釈するのである。
なお、以上の論は、”也”が加筆でなく、水無瀬兼成が単に、後で書き忘れ
たので、足しただけだとすると、崩れてしまうと、このブログでは私見して
いる。なお、仲人の横打点は、都立中央図書館、加賀藩前田家書写本では、
消えていて、その点で研究の余地が有る。また、桂馬の動きが高見研究室の
言うとおりだと、普通唱導集大将棋が、四段配列でも、桂馬で支える仲人初
期位置が、中央列の直ぐ隣の、通常龍王の前の歩兵の直ぐ前になってしまう
という、困難点が有る事が判っている。(2017/11/07)

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東京都千代田区日比谷図書館の増川宏一氏講演関連展示は既にされた(長さん)

2017年11月22日夕方に、東京都千代田区の日比谷図書館で、増川宏一氏
の、江戸時代の将棋家元の一つ、大橋本家の文書に関する講演会が行われる
予定の旨が、日比谷図書館のホームページ等に出ている。正確な情報は、
図書館のページで確認して頂くとして、その際、ボードゲームの愛好者の方
(?)のツイートで、将棋史関連史料の展示が、同時にされるとの話が、
web上に載っているようであった。確か”その期間に”との表現だったの
で、展示物の公開の方が、何時から何時までなのか、11月5日に電話で、
日比谷図書館に、私が直接に問い合わせてみた。すると、

”11月5日時点で、既に展示は図書館の1階にて行われている。

展示の方の終了は、11月26日である。”との返事であった。うる覚えの
記憶だが、紀元数世紀のインドの中央アジア出土駒(テラコッタで立体?)・
8?9世紀のイスラム駒、中将棋駒、後期大将棋駒も、展示されていると
いう話だったようである。話を聞き私も近々展示物だけでも先に、見に行こ
うかと、思った次第である。(2017/11/06)

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大局将棋。水無瀬兼成作とみられる泰将棋の動きに準拠した駒の割合(長さん)

前回述べたように、大局将棋には、泰将棋、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄、
または更に略して将棋部類抄バージョンの動きを、敢えて採用している駒
が有る。具体的に摩訶大大将棋以下に有る駒種で、水無瀬兼成の特殊な動
きを採用した泰将棋の動き、他の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の将棋種の
動き、他文献の摩訶大大将棋以下の駒種の動きのルールで、水無瀬泰将棋
とは、異なるより知られた動きのルール、以上三パターンのうち、大局将
棋では、どれを採用するケースが多いのかを、ざっとだがカウントして調
べてみた。なお、玉将のように、大局将棋以外では、八方踊りにならない
ような駒種は、以下では、カウントされない。また水無瀬泰将棋、その他
文献、大局将棋で三様になる”大局将棋独自”のケースは、水無瀬泰将棋
ルール不採用を示す”他”に、カウントされる。
以下結果。
駒種。採用された元情報。カウント結果(水無瀬泰/他)を順に示す。
01.前旗。無し/独自。他。
02.猛虎。水無瀬大大将棋。他。
03.右車。水無瀬摩訶大大。他。
04.左車。水無瀬摩訶大大。他。
05.走車。水無瀬大大将棋。他。
06.白象。水無瀬大大将棋。他。
07.兵士。水無瀬大大将棋。他。
08.大龍。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
09.猛鷲。水無瀬宮泰の左。水無瀬泰。
10.東夷。水無瀬大大将棋。他。
11.西戎。水無瀬大大将棋。他。
12.南蛮。水無瀬大大将棋。他。
13.北狄。水無瀬大大将棋。他。
14.白虎。水無瀬大大将棋。他。
15.青龍。水無瀬大大将棋。他。
16.金剛。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
17.力士。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
18.夜叉。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
19.古鵄。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
20.行鳥。水無瀬大大将棋。他。
21.無明。無し/独自。他。
22.提婆。無し/独自。他。
23.金翅。水無瀬加賀写本。水無瀬泰。
24.猛牛。水無瀬泰将棋。水無瀬泰。
25.毒蛇。無し/独自。他。
26.方行。水無瀬大大将棋。他。
27.猛熊。水無瀬宮泰の右?。水無瀬泰。
28.馬麟。無し/独自。他。
29.盲熊。水無瀬摩訶大大。他。
30.変狸。無し/独自。他。

ざっと、3割程度、他の文献では別の動きなのに、江戸時代にはマイナー
だったとみられる、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、泰将棋のルールに敢
えて準拠している。なお、水無瀬兼成、将棋纂図部類抄の大大将棋等の駒
の動かし方のルールも、江戸時代の他の文献とは、合わないケースが多く、
大局将棋が水無瀬文献の、どこかの将棋種類の駒の動かし方ルールに合う
ケースは、他文献でも採用している、ありきたりの右車、左車を除くと、
7割程度にもなるとみられる。つまり、他の文献からは、高々左車と右車の
2種だけ参照しているのに対し、水無瀬の将棋部類抄は30のうち20以上
を採用している言う事である。が、他の文献とは合わない水無瀬の泰将棋と、
大大将棋を比べて、水無瀬の意見を取り入れつつも、大大将棋を取ったケー
スも4割とむしろ多いので、最初に厳格に方針を決めて、大局将棋が作成
された訳ではないとは言える。しかし、そもそも

水無瀬兼成の泰将棋の”江戸時代常識から見ての特殊な動き”を3割入れる
必然性は、明らかに普及の意味では薄い

と私には思われる。

大局将棋の作者が、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋作者の努力の
継続を狙って、大局将棋を作成した事だけは、上記のカウント結果からみて、
ほぼ間違いが無い

と言えるような気がする。(2017/11/05)

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駒数804枚の大局将棋は異制庭訓往来”一年日数将棋”と無関係か(長さん)

本ブログで何回か指摘したように、摩訶大大将棋の19×19の囲碁路と
同数の升目数、361個は、異制庭訓往来の多い将棋に、関連付けるため
のルール設定とみられる。そして、作者に関して本ブログでの見解だが、
水無瀬兼成作とみられる、泰将棋の駒数354枚も、12朔望月日数で、
異制庭訓往来の多い将棋の具体化を、目指したものだと考えられる。とこ
ろで話がそれで終わりなら、”理論通り”で終わりなのだが、江戸時代
成立とみられる、将棋図式に、36×36升目の大局将棋の存在が記載さ
れ、大橋文書として、現に804枚制の大局将棋が知られている。ここで
804という数字は、一年の日数とは違っている。従って、この将棋に
関しては、異制庭訓往来の多い将棋の類型からは外れ、単に、より駒数の
多い将棋の作成を目指しただけという、懸念が生まれよう。では、実際に
は大局将棋は、異制庭訓往来の古事に則った将棋では、無いのであろうか。
 そこで、結論を先ず書くと、

大局将棋も異制庭訓往来を意識したものであり、そこに記載の”多い将棋”
の類である

と、私は考える。前に、本ブログで片側の駒数がほぼ、一年の日数になり、
総計で2年分の駒がある将棋を、試作した事があったと記憶する。

大局将棋も、ほぼ2年分の駒のある将棋を、作成するのが、当初の目的
だったのではないか

と私は現在、推定している。36升目で10段に駒がびっしり詰まった、
将棋を、当初作るつもりだったのかもしれない。ところがこれだと、相手
陣との間に、だいたい16升目段の空き段が出来る。これだと空きすぎる
というので、

歩兵を除けば、片方に1年分、360個の駒が有る将棋を作ることにした

のではないかと思う。その結果、この将棋の駒の数は、片側に360で
はなくて、396枚、総計792個の将棋になった。実際に並べてみて、
これに、片方について4つ程度の仲人を置けば、見栄えに問題が無いと、
次に作者は見たのであろう。それによって、

大局将棋は、だいたい800枚制の将棋になった

のだと私は考える。しかしそれだと、天竺大将棋の犬が抜けているのに、
作者は更に気がついたに違いない。そこで、仲人段の合間に、犬を加えた
のであろう。結局それで、

大局将棋は、804枚制になった

のだと考える。
 この将棋が、大龍の動きに象徴されるように、水無瀬兼成の泰将棋の
動きを他の将棋種に比して、比較的選択する傾向が強い事。猛鷲がその
中でも、水無瀬宮のオリジナル将棋纂図部類抄のうごきの一方と同じ事。
他方金翅が、前田家写本の+++印を、3個駒跳び越えと解釈して、斜
め前ルールを決めている等、将棋纂図部類抄の各巻物を周到に調査して
作成されている事。以上から、水無瀬兼成の泰将棋の拡張を、目論んで
いると推定できる。よって、今述べた解釈が正しいのではないかと、私
は考える。
 以上のように、少なくとも江戸時代まで、日本の駒数の多い将棋は、
暦の一年日数に則ったものに、少なくとも生き残ったものは、限定され
てきたと結論できると、私は個人的には見ている。
 そもそも水無瀬兼成が、将棋纂図部類抄の序文で、将棋のルールが、
日月惑星の動きの道理に従っているとの旨述べているものの、具体的に
は日本の将棋は、お日様(地球の公転周期)への、こだわりが強いとい
う、特徴がある。もともと、その道理の源は、イスラム社会が当時、そ
こでは最先端であった天文学、惑星運行論を模倣して、馬の桂馬動きを、
アラブ・シャトランジで、八方桂馬に替える、口実にするためのもの
では無かったのかと、本ブログでは懐疑的に見ている。しかし、その
コンセプトが、暦法の歴史が厚い中国の、学問のフィルターを通って日
本に入ったため、日本の多い将棋の駒数や、盤升目数を決める口実に、
わが国では変質したように、私には推測された。なおその変質について
は明治維新まで、日本人は結局、余り気がつかなかったように、私には
思える。(2017/11/04)

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将棋部類抄泰将棋、島本町教育委員会編版と都立図書館加賀藩版比較(長さん)

前回にひき続いて、加賀藩の文書に含まれる前田家書写、水無瀬兼成の
将棋纂図部類抄の、話題である。加賀藩前田家書写版と、島本町教育
委員会編パンフレット、「水無瀬 将棋図」の将棋纂図部類抄の今回は、
泰将棋(表面)の、特に、駒の動かし方を示すルールを表現する打点を
比較してみる。一見して両者間で判る事がある。それは、前田家の書写
が、水無瀬宮の巻物とみられる、島本町教育委員会編の水無瀬将棋図
(将棋纂図部類抄)と、類似の時期に作成されたものの、さらに書写で
あると、言う事である。つまり、

島本町教育委員会編パンフレットの水無瀬将棋図、将棋纂図部類抄
の方が、より始原的だと言う事

である。根拠は、
⑦麒麟と鳳凰が、前田家書写本(都立中央図書館 編集史料)では、
打点が省略されている事である。これは、始原的な巻物である、島本町
にある巻物の泰将棋の、麒麟と鳳凰のルールが、江戸時代の中将棋の
常識からみて、明らかにおかしいため、不明(謎)と見て省略した
と、解釈できる。つまり、島本町に現存する巻物の時代の物を、加賀藩
前田家は見て、その書写本を作成していると考えられる。

その他、もっと一目で判る特徴がある。

前田家写本では、泰将棋の表面のルール図は、同じ駒があれば、右辺の
駒しか打点していない。ただし、左右で水無瀬宮の巻物に、矛盾がある
古猿や奔鬼等は、考慮のうえ、どちらかに合わせているようである。
これは、前田家が水無瀬兼成の将棋図(将棋纂図部類抄)を、水無瀬自
身のように、諸情報の編集史料ではなくて、

将棋のルール本としての興味から、書写しているからである

と、私には考えられる。
 さてそこで、以下は少し詳細に見ると、島本町教育委員会編パンフレ
ットと、前田家写本(都立中央図書館所蔵巻物)との間で、泰将棋で
ルールが、変わってしまった駒は、今の所、私は6種類発見している。

①奔獏の下の打点が、島本町編には有ったが、前田家写本では消えた。
②猛鷲の上打点が、島本町編には有ったが、前田家写本では消えた。
 なお、オリジナルでは左右でルールが違い、右は後退できるが、左は
 後退できない。
③鉄将の前走りを歩みに変えて、おかしな記号を削除した。
④角鷹が飛鷲に島本町本では間違っていたが、前田家写本では正された。
ただし、”角鷹の左右走り”を、うっかりだろうが忘れている。
⑤飛鷲が角鷹に島本町本では間違っていたが、前田家写本では正された。
⑥飛牛も、奔猪の動きから中将棋の、飛牛の動きに前田家写本では修正
された。
次に、打点そのものを、中将棋に有ると解釈して、前田家写本では、略
してしまった駒がある。上記の麒麟と鳳凰を入れて、次の通りである。

⑦麒麟と鳳凰が、前田家書写本(都立中央図書館 編集史料)では、
打点が省略。なお、島本町教育委員会編の泰将棋麒麟には、斜め歩み点
が無く、泰将棋鳳凰には前後左右の歩み点が無いため、江戸時代の、
中将棋のルールと、大きく違っている。
⑧師子も同様。なお、島本町教育委員会編の泰将棋師子は、14個打点
があり、もともと意味が良くわからない。
⑨酔象も同様。なお、島本町教育委員会編の泰将棋師子は、金将の動き
で、典型的な酔象のルール、後退できない7方向歩みに、そもそもなっ
ていない。
⑩仲人も同様。
⑪自在王の打点も、島本町本は意味不明な点打ちで有るが、前田家写本
では省略されている。

上記のように、オリジナルで意味不明な駒で中将棋や、摩訶大大将棋口
伝部に記載が有れば、前田書写では、恐らく混乱を危惧して、打点を
削除してしまったようである。
 更に、左右に同類の駒があり、左右で、恐らく誤写により、動きの
違うものが、島本教育委員会編パンフの、将棋纂図部類抄の泰将棋には、
いくつか有る。これについて、前田家写本では、次のように処理したよ
うである。

⑫奔鬼の打点は右不明瞭なため、前田家写本は左の駒のを採用している。
⑬古猿については、右の駒を採用した。その結果、古猿と盲猿の動きが
同じになってしまった。左右で違うのに、前田家で書写したときに、気
がつかなかったのかもしれない。段ごとにチェックしたため、気がつか
なかったのかもしれないと、推定できる。
⑭老鼠は右を採用。後退できなくなった。

その他としては、次の1種類の駒が有る。
番外:前旗の前動きが、島本町教育委員会パンフの巻物では5踊りだっ
たが、”前”の字に隠れて、何個踊るのか良くわからない、不明確な打
点になった。なお、水無瀬将棋纂図部類抄で、前に3升目以上踊るのは、
前旗の5踊り、大大将棋の奔鬼の5踊り等いくつか有る。前田家写本で
は、何れも、前方5踊り等を恐らく表現しているようだが、駒名の字に
隠れて、上記例については、少なくとも踊りの数が掴みにくくなった。
 同一駒3種類動きは、奔獏の下の点を消したので、奔獏については消
えたが、前田家写本では確率は少ないが、前旗で、新たに発生した疑い
が、ひょっとしたら有るかもしれない。がそれが無いとすれば、麒麟・
鳳凰の泰将棋での変化が表現されなくなり、逆に奔獏の例外が消えた事
になる。また、鉄将が前走りで無くなり、走りの連続に関する調査は、
かえって凸凹化したという意味での例外が、存在しなくなった。
 巻物の差により、以前のべた”泰将棋の豊臣秀次等への美術品として
の献上品”仮説が、崩れる事は、どうやら無さそうであった。
(2017/11/03)

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岡野伸氏所蔵水無瀬兼成将棋纂図部類抄の摩訶大大将棋無明のルール(長さん)

以前、水無瀬神宮所蔵と見られる、大阪府島本町教育委員会編集の水無瀬兼成
将棋図(将棋纂図部類抄)の摩訶大大将棋に関し、守り駒の要である、玉右隣
に配置される”無明”のルールが、「金将の時計回り横倒し動きの真後ろ不行」
とも、酔象の動きともつかない”消去しようとした点の、隠蔽剤の脱落による
復活”が有る点を指摘した。他方、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄、本ブログで
将棋部類抄と略記する、安土桃山時代の文献には、写本を入れて4つの巻物が、
現存すると言われている。そこで今回は、大阪府島本町教育委員会編集パンフ
レット写真巻物とは別の、都立中央図書館本とwebに紹介されている巻物に
ついて、摩訶大大将棋の無明の打点を、調査したので、結果を紹介する。
 以下の写真のように、大阪電気通信大学がwebの摩訶大将棋連盟ホーム
ページで紹介している、「金将時計回り横倒しの真後ろ不行」に、都立中央図
書館の水無瀬兼成、将棋部類抄、すなわち加賀藩の蔵書の”将棋纂図部類抄”
の摩訶大大将棋の無明の動きは、幸い、なっているようであった。

加賀藩無明.gif

 なお、本ブログで以前話題とした、将棋史研究家の岡野伸氏が所蔵で、私が
一部、コピーを頂いた「将棋纂図部類抄」は、巻物の表題の上に、都立中央図
書館が数字を書いてタックシールで張った、整理番号の数字と、番号が一致し
た。この事から、岡野伸氏の所蔵物は、加賀藩の蔵書を都立中央図書館が編集
したときに加えられた、江戸時代の加賀藩前田家書写の将棋纂図部類抄と、同
じ物である事も、私には確認が取れた。これで一応、

水無瀬兼成の摩訶大大将棋の無明に、玉頭の、酔象が初期位置で居る升目に、
利きが有るという情報に、確かな物は無さそう

であると、判断された。よって現行の摩訶大将棋連盟の無明のルールを、支持
して、今後、特に問題が発生する可能性が少ないように、私にも思えるように
なってきた。
 なお、水無瀬兼成の将棋(纂図)部類抄の、摩訶大大将棋の駒表面の動かし
方ルール打点に関し、不明解な点が有るのは、無明だけである。ゲームの安定
性からみて、よりにもよっての、島本町巻物の”消し不十分”打点であった。
が、無明と提婆が、左右非対称の特殊動きだったため、恐らく初期の書写者が
混乱して、たまたま間違えたのだろう。そして、間違った打点を、2個消した
のだが、隠蔽剤が永年で、退色を起こすような着色剤だったのが災いしたのか、
近年、消したはずの打点が、恐らく幽霊のように浮き出て来たのだろうと、
私には推測される。(2017/11/02)

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歩兵段差3段差、桂馬8段差の将棋に旦代問題は無さそうである(長さん)

前回に続いて、以下は平安小将棋の、後手真似駒組による仕掛け直前の行き
詰まり問題、”旦代問題”の話題である。本ブログでは、歩兵段差が4段差
である、9×9升目36枚制の標準型平安小将棋でも、桂馬が、相い当たり
にならないように配列すると、旦代問題が回避できるのではないかと、既に
示唆した。これは、桂馬の相当たりが、行き詰まりの主要因になるとの説に
とって有利ではあるものの、逆に、歩兵の段差を奇数にしても、桂馬が相い
当たりにすると、旦代問題が発生する事を示さないと、説得力がるとは
言えないと考えられる。
 そこで、今回、以下のように、8筋の将棋で歩兵を3段差で配置し、
間に2段空升目を配置した配列で、かつ、盤を10段に広げ、桂馬の一方を
退けさせて、互いに当たるように配置して、後手真似駒組(線対称)を目指
したら、どうなるのかをチェックした。

⑧⑦⑥⑤④③②①
口口口口口口桂口一
香桂銀金玉銀口香二
口口口口口口口口三
歩歩歩歩歩歩歩歩四
口口口口口口口口五
口口口口口口口口六
歩歩歩歩歩歩歩歩七
口口口口口口口口八
香口銀玉金銀桂香九
口桂口口口口口口十

(駒は一段から四段が全部、後手。
七段から十段が全部、先手のである。)

結果は、

このケースには、旦代指摘の行き詰まりが、回避できる

となり、

私の説は崩れた。

桂馬の相当たりと、歩兵の偶数段差配列が、どちらも存在するときに初めて、
旦代の行き詰まりは起こるようであった。
 この事から、旦代の問題は、9×9升目36枚制の標準平安小将棋の初期
配列を、なんらか複数の方法で、少し変えていれば、回避出来た問題と、み
られる。私は最近、”この将棋が朝廷将棋であったための強固な固定”との
仮説を、このブログで一例として表明したが、少なくとも古代~中世には、

標準型の平安小将棋は、初期配列を変えさせない、よほどの事情が有った

に違いないようである。(2017/11/01)
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