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泰将棋の玉駒は、なぜ自在王なのか(長さん)

泰将棋の玉駒は、摩訶大大将棋の玉将の成りである、自在王が最初から
存在する。理由を私は最近まで、ディフェンスを強くするような

ゲームの調整を意図したものかと思っていたが、それはどうやら間違い

のようだ。まず回答を書くと、

水無瀬兼成が、豊臣秀次等に泰将棋の盤駒を献上するとき直前に、駒の
字書きの段階で、泰将棋のルールで玉駒を自在王のルールに変えたため

であると私は思う。根拠となるヒントは、水無瀬自身の著作にあり、
水無瀬兼成作とみられる、将棋纂図部類抄の”大将棋畧頌”で、

水無瀬兼成自身が、玉将と自在王とを、間違えて書いている

からである。つまり泰将棋の作者水無瀬兼成自身が当初、泰将棋の玉駒
は、自在王成り玉将にするつもりだったが、少なくとも将棋纂図部類抄
の、泰将棋初期配列図を作成した時点で、不成り自在王に変えていると、
みられると言う事である。なお、”大将棋畧頌”については、他の部分
の記述はかなり正確で、少なくとも島本町教育委員会発行の、冊子・
象戯図、恐らく水無瀬宮奉納巻物バージョンで、間違っている他の箇所
は、端筋の3段目の

走車を、反車と書き間違えている所位

である。つまり、”大将棋畧頌”を書く段階では、水無瀬兼成は、泰将
棋の玉駒も、他の六将棋同様、玉将であると、決めてかかっていたと、
みられるのである。ではなぜ、自在王成り玉将を、不成り自在王に変え
たのかと言えば、

水無瀬兼成が自分で”泰将棋の成りは、中将棋に準じる事にした”から

に他ならない。つまり、元駒で玉将を玉駒にしてしまうと、

玉将を不成り玉将にしないと、豊臣秀次に献上する駒を使ってする泰将
棋のルールと、つじつまが合わなくなってしまうように、豊臣秀次に、
ルール手引書として、共献上する、行然和尚まとめ表(泰将棋の成り
ルールに関する、水無瀬兼成の改竄入り)

には、書いてしまっているという訳である。
 また、元から水無瀬は、豊臣秀次に献上する泰将棋の駒には、成りの
有る駒種を、余り作りたくは無いと、考えていたとみられる。付き人が、
成り駒と表駒とを間違えて、秀次の客間等に、水無瀬の献上駒を並べる
ときに、混乱してトラブルになり、水無瀬にとって、苦労して作成した
泰将棋であるにも係わらず、豊臣秀次から怪訝な顔をされ、努力の価値
が半減するのを、嫌がったためとみられるからである。なお、この事か
ら、大坂城の豊臣秀次の付き人等は、中将棋が指せた事も判る。そこで、

”大将棋畧頌”を作成したあと、献上する駒の字書きを実際始めた所で、
水無瀬兼成は誤りに気がついて、泰将棋用の自在王成り玉将を作るのを
止め、代わりに不成り自在王を作成した

と、私は推定する。つまり、

行然和尚まとめ表に、明らかに犯人が水無瀬兼成と判る、行然の誤りを
装った、”大”将棋の駒数を、130枚から354枚に変える、改竄、
つまり、後期大将棋を泰将棋と装う、改竄が有る事に気がついてしまう
と、”大将棋畧頌の玉駒『玉』”との表現は、書き間違えや、誤写とは、
考えにくくなる

という訳である。
 なお、実際にゲームをしてみると、玉駒を成り自在王玉将から、
不成り自在王にする事によって、十ゲーム程度のチェックでは、

ゲームが面白くなっているのではなくて、終わるまでに約2倍に、ほぼ
手数が増えているだけのようである

程度の知見が得られる、だけである事が判っている。よってこの事から
も、少なくとも盤駒作成技術者として、多忙なはずの水無瀬兼成が、
大将棋畧頌と、将棋纂図部類抄泰将棋図の両成立時の間の、せいぜい
長くても数日の間に、泰将棋のゲーム調整を実際にやって、玉駒が成り
自在王玉将では、何か不都合がある事に気がついたとは、かなり考えに
くいことも、確かであると、私は思うのである。(2018/03/01)

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