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17升目168枚制の大将棋と摩訶大大将棋の真ん中チェック(長さん)

前に述べたように、摩訶大大将棋には、いわゆる仏教駒が、
狛犬・金剛・力士程度しか無かった、一回り小さい、17
升目将棋を経由して、生成したと疑われる。
 そうだとすれば、この中間将棋は、そこそこのゲーム性
能が、ある疑いが強い。今回は実際に、

大将棋と摩訶大大将棋の中取りのような、古大大将棋(配
列は、大大将棋と大きく違う)17×17升目168枚制
の(仮称)プロト摩訶大大将棋を実際指してみた

ので報告する。
 後期大将棋にかなり類似の指し方となるが、
金剛と力士を、狛犬型の”1目2目ヲモオドル、要にて使
う”の踊りにすれば、攻撃力が増し、それでも、
やや防御過多の状態ではあるものの、

後期大将棋よりは、良いゲームになる

事が判った。
 では以下に、少し詳しく述べよう。
 結果からみると、金剛・力士の踊り駒の加入と、左車、
右車の存在は、思ったよりも大きかった。

後期大将棋に比べて、臥龍、古猿、蟠蛇、淮鶏、驢馬といっ
た小駒が入って、陣が強化される傾向があるものの、
走り駒・踊り駒である前記の駒の加入は打ち消して余りあ
るもの

であった。
 ちなみに、この将棋の初期配列は以下の図のようになる。

17プロト摩訶大大.gif

 成りは、水無瀬兼成流に、酔象、麒麟、鳳凰の3枚が、
太子、獅子、奔王に成り、歩兵が金将に成るに留めた。
なお、後期大将棋系に合わせ、成りは相手陣の6段目に入っ
たときだけとし、相手の駒を取っても特に成らないとした。
 この将棋の特徴は、

玉の回りの配列が、後期大将棋と同じであり、銅将と猛豹
で作る、柱状の硬い守備の塊がある

という点である。
 このため以下のような、この例では後手の麒麟が、獅子
に成り込んだ局面で、横行が健在だと、通常後期大将棋で
は、これ以上相手陣の破壊が続かずに、局面が緩んで、

後期大将棋は、ほぼこのへんの局面を根拠にして守備過剰
なゲームであると確定

する。
しかるに、この場合は、

金剛と力士を、1目、2目、3目で何れも踊れるルールに
しさえすれば、

赤い四角で示した、たとえば後手の力士により、先手陣の、
銅将と猛豹は、図の赤い線で示した攻め筋によって、破壊
できるようになるために、

獅子による、この場合は先手陣の破壊は、ストップしない。

 そのため、この将棋では、
金剛と力士の強い踊り駒が、自在に踊れるようにしたため
に攻撃力が強くなって、獅子による玉追いのパターンで、
ゲームを終了させる事が、だいたい出来るようになる。
以上の結果になった。

17プロト摩訶途中.gif

 ただし、成麒麟で、玉を追いかけて詰む将棋は、

後期大将棋流のワンパターンさが残っている

ものであり、優秀な将棋とは言いがたい。

後期大将棋より、この将棋の方がやや良いと言える程度

である。このような結果から見て、もしかすると、
狛犬、金剛、力士、という正行度の踊り駒のある将棋が、

やや面白い事が、南北朝時代の末期頃に、熱心な駒数多数
将棋のマニアには頭数は少ないものの、判っていた疑いも
ある

のかもしれない。仏教にとりわけ熱心な、将棋のデザイナー
が、この17升目の将棋を、19升目で361升目一年の
日数の囲碁目と同じ数の升目置き換えの将棋に、仏教駒と
して、提婆、無明、夜叉、羅刹、摩羯等を加えて、ほぼ
必然的に、新しい将棋を作ろうとした結果、摩訶大大将棋
が完成した可能性が、否定できないという事だろう。特に、

今小路西鎌倉市福祉センター遺跡から、”志ろいぬ”の入っ
た将棋を記載する史料が、遅ればせながら確認された

結果、金剛と力士という駒が、狛犬といっしょに入った
将棋の存在は、それ以前より格段に、現実味を増してきた
ように、私には感じられる。鎌倉ももちろんそうだが、
神社仏閣の前門の守り神と言えば、狛犬と金剛力士だ。
 早く、平凡社1989年発行の”よみがえる中世(3)
武士の都鎌倉、文字のある生活、ページ221下”に写真
のある、該紛失木札が、鎌倉市の市役所に戻るよう、心よ
り祈りたいものである。(2019/03/01)

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