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大阪商業大学古作登論文の大局将棋の指し回しについて批判してみる(長さん)

少し前に、大阪商業大学の論文に、古い時代の日本の将棋に関するものがあり、

批判した上、対抗論文を書くべきではないか

という主旨のコメントが、本ブログのコメント欄に記載された事があった。
 本ブログでは、大阪商業大学の古い時代の日本の将棋に関する、たとえば
古作登氏の論文には、

学ぶべき事柄が多い

との立場を取る。従って、否定的に批判した上で、私が対抗論文を書くのは、
基本的には困難だ。しかしここでは、無理にその例外を探すとすれば、上記
表題のカテゴリーの事柄が、古作登論文に書いてあり、

大局将棋は”何時果てるともない、必要手数が超長手数となる欠陥を持つ
将棋である。”

との旨の主張、つまり、”600手も経過しているのに、勝負の先行きは
全く見えず、指し手の善悪よりも早く駒を減らして、わかりやすい局面に
したいという気持ちだ”等との、苦言の記載がされている点について、

私は反対する

と、意見を述べて見た上で、その内容を論文にするべきかどうか、ここでは、
判断してみる。なお上で述べた古作登氏の論文とは、”大局将棋考案の背景
と創作過程に関する考察──各種大型将棋との比較と天竺大将棋の影響、
なぜ804枚の超大型将棋が作られたのか(大阪商業大学 2017年)”
である。結論を述べると、

反対だという立場の論文は、特に書かなくても良い

と私には思う。理由を最初に述べてしまうと、日本将棋の

セミプロの古作登、日本将棋の奨励会三段の、特定の対局におけるゲームの
差し回しを個人が批判するのなら、自分のブログで、意見内容を書けば良い
程度

だと、私は考えるからである。たとえば、

「○○プロ棋士×段の、今回の△△戦における、あの戦術で、第□□手目の
あの手については良かった」という内容を、○○プロ棋士×段ないし、別の
学者が、何らかの学術論文で表明していたとする。だからといって、その手
が悪手だと感じた、特定の将棋愛好家が、”その手は悪手だ”との旨の表題
で、対抗の学術論文を書いたという話は、余り聞かない

と、私は認識するからである。ブログか、仲間との話とか、将棋関係の同人
誌に、個人的意見として書く程度なのではないのだろうか。
 そこで次に本題に入ると、大局将棋の古作論文についての、古作登氏の差
し回しだが、書いてある内容から見て、

日本将棋の奨励会三段の古作登氏は、大局将棋については”ヘボ大局将棋”
しか、指せない程度の棋力だったのではないか

と、私は疑っているのである。理由は私が、

開始早々、端列から2列目の、歩兵の下に横猿のいる列の、その今述べた
歩兵(左右二箇所)の所で、左右二枚の車兵か飛鷲を、できるだけ多数成ら
せて四天王と大鷲を作り、敵玉ならびに、敵太子を、生き埋め状態で捕獲
する手が、急戦戦法として、大局将棋では自明に存在する

と、wikipediaの、”大局将棋の成り駒についての説明”の
中に出てくる、”序盤の戦法”は正しいと、私も認識しているからである。なお、
端列の隣の列の頭を、成るための突入用の位置として狙うのは、日本将棋の、
角頭の歩兵と実は一緒で、駒数多数将棋では、昔からこの列の守りが、
軟弱である事が多いためである。つまり端筋の隣筋は、

慣れたらノータイムで反射的に、チェックしなければならない、自駒の成ら
せ所

だと、私は認識するのである。なお少し前に、大局将棋のような初期配列で、
本ブログで引き分け必然になるような、ゲームに言及した。しかし、あのと
き言及したゲームは、走り駒だらけの、奔鉄駒過剰将棋であったから、

成ると駒を全く制限無しに全部飛び越せる、四天王とか、霖鬼、大鷲、大鷹
となる、車兵や角将、飛鷲、角鷹のある大局将棋とは、類が根本的に違うと
私は見る

のである。他方玉将や、太子は、大局将棋の初期配列では身動きができな
いので、仮になんらかの方法で、車兵や飛鷲等を成らせて四天王と大鷲を
作ると、これら玉将と太子の計2種類、2枚の玉駒に王手を掛ければ、
すなわちこのケースは必死であり、王駒を2枚とも倒せば、大局将棋で
は、相手が負けになるのである。
 従って序盤で、陣の上の方の浅い位置に居り、八方が障害物の全く無い
跳び駒、四天王に成る車兵と、縦横斜め後ろの六方に走り、斜め前が、
同じく障害物の全く無い跳び駒の大鷲に成る飛鷲は特に、敵陣のどこかの

先頭の歩兵の位置で成らせるのは、大局将棋の序盤の定跡手であって、
急戦狙いの緊迫した手

だと、私も思う。しかし、古作論文を読むと、彼の大局将棋に於ける差し
回しは、第600手前後の、かなり進んだ局面で、

”何時果てるとも知れない、(単純に駒の相討ちをし合う)大局将棋を
指した”

ように読めるので、対局相手は不明だが、両者がwikipediaの、
”大局将棋”の記載等を参照して、

何でも跳び越せる四天王や大鷲を早く作ろうとやり合って、序盤から激しい
やり取りがあった

とは、少なくとも私には、読み取れないのである。つまり、古作氏に関し
ては、上のweb上でも有名な、大局将棋の序盤定跡を忘れた、初心者的
な大局将棋を、

少ない局数だけ指して、”大局将棋に飽きた”と苦言を述べただけ

か。あるいは、最初から、超長手数になるというのが、大局将棋の、日本
将棋のプロの間や、遊戯史界での常識だったため、当たり障り無く、

反対者の出にくい説を、述べてしまうのが、最初から”ありき”だったのか

の、どちらかだったのではないか、と私は疑う。つまり私が、古作登氏が、
彼自身で指したと論文で表明した、大局将棋の対局に関して、戦い方に
ついて、否定的に見ているという事である。
 しかしながら、以上のような私の批判内容の領域は、

はたして、対抗論文として書くような、カテゴリーのもの

なのであろうか。私は高々将棋雑誌のコラム程度に、有名棋士の、日本将棋
以外のゲームでの、展開についての”笑い話”としてでも書けば、済むよう
に思うのだが。というのも、

以上のような内容は学術論文に書いても、強い大局将棋棋士を生み出しは
するが、より賢い学者を量産するという効果に、必ずしもつながって居無い

のではないかと、私が疑っているからである。(2018/01/15)

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