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チャトランガルール、ユディヒシュティラとヴィアーサの38条より推定2(長さん)

前回に引き続いて、インド・チャトランガのルールを38条で記載したと
される、表題の、南インドのクンティ国の王子、ユディヒシュティラと
ヴィアーサの、11世紀以降の、ルール・ブックの解読を取り上げて
みる。今回は、前回省いた、カタカナ・ヒンディー語の説明文となってい
る条文を取り上げる。なお、出典は、前回同様「ものと人間の文化史110
「チェス」増川宏一著(2003年)」である。番号は、便宜上私がつけ
た。第4条まで前回は書いたので、第5条以下から始める。

5.王を獲得するには、シンハーサナ、またはシャトラージとよばれる方法
を用いる。そのためには他のすべての駒、すなわち象さえも犠牲になる。
6.もし王が他の陣地の升目に入ったならば、彼はシンハーサナを獲得した
といえる。
7.彼がシンハーサナを得たときに、もし彼が相手の王を取ったならば、
彼は2倍の賭金を得る。陣地に入っただけならば、賭金はシングルである。
8.もし彼が、彼の同盟者の王位につくならば、彼はシンハーサナ扱いを
得て、両方の軍隊の指揮を引き継ぐことになる。
9.もし王がシンハーサナを探し求めるならば、6つの升目を動き、彼の
王は守られているにしても、危険である。
10.もしあなたが、あなた自身の王を持っていて、他の王達を取るならば、
あなたはシャトラージを獲得する。
11.もしあなたが、あなた自身の王を持っていて、他の王を詰んで殺せば、
シャトラージを獲得し、あなたは2倍の賭金を得る。単に取った場合は、
シングルの掛け金である。
12.もし王が、他の王達を、彼ら自身の升目で詰んで殺したならば、彼は
賭金が4倍になる。
13.もし同時にシンハーサナとシャトラージが可能ならば、後の方の価値
を選ぶ。
14.もし歩兵が、王の升目と四隅の升目を除いたコーナーの端に達した
ならば、彼は升目の駒の力を受け継ぐ。この手順はシャートパダとよばれる。
15.もしシャトラージとシャートパダの両方を得たならば、当然シャトラー
ジを選べる。
16.もしプレーヤーが3つの未だ端に達しない兵を残している場合、彼は
シャートバタを得ることができない。
17.反対に、もし彼が舟の側にただ一つの兵が居るならば、それは、
ガーダーと言い、彼にとっては重要な升目を進む駒ではない。
18.もし盤上に駒が無い時は、カーカカシューターといい、ゲームの終わ
りである。
19.もし相手の兵のシャートパダによって、五番目の王が作られたとき
は災難である。彼の動ける駒は殺されるであろう。
20.もしカーカカシューターとシンハーサナが同時に起こると、後者が勝
り、シンハーサナを許してしまった彼の取り分は計算されない。
21.四つの舟を取った時はヴィハンラアウカーとよばれる。
なお第22条については、前回のべた。

なお、条文はより判りやすいように、一部に日本語に翻訳済みの出典の内容
を、私が一部手直ししている。厳密に再調査される方は、より原典に近い文
献を、あたられるよう、お勧めしておく。
ようするに結果を先に書いてしまうが、上の第5条から第21条までに出て
くる、6種のカタカナのゲーム用語は、私見だが、順に以下の意味かと思う。

A.シンハーサナ:王が相手の王の列に到達する事。どうぶつしょうぎの
”ライオンのトライ”の感じである。
B.シャトラージ:相手の王を通常の手段で、サイコロの運に任せ、味方の
駒で取る事。または相手に、自殺手しか指せないようにする事。両者で配点
が違う。
C.シャートパダ:兵が相手陣奥で成る事。
D.ガーダー:歩が四隅の筋に居て、そのまま進んで桂馬動きの馬に成った
としても、身動きが取れなくなるだけだという事。
E.カーカカシューター:盤上、王以外の駒が残っていない状態。全部裸王。
F.ヴィハンラアウカー:その局内で相手側舟を4枚取る事。3枚プラス、
成り兵の舟かもしれない。

以上を置き換えると、ゲームは王が残っていても、その他の駒が無くなれば
終わる事(第18条)や、4人制なので、同盟者が王位を譲れる事(第8条)、
前回述べたが、兵が相手の駒の初期位置で、その相手の駒に成れる(第14条)
等が述べられている。が、これらの条項から、初期位置や駒の動かし方等、
”基本ルール”に影響する内容は、余り無い事が判る。
 ただし、兵の成りのルールが4人制だとすると、盤端は半分が空升目なの
に言及が無い事、王の升目では成れない(第14条)はずなのに、2人制の
大臣(副官)の位置に達したと見られる場合に、”第5の王”に成るという
記載がある(第19条)等、

2人制チャトランガのルールを援用したために、上記”四人制チャトランガ
のルールブック”には一部に、矛盾が起こっているのではないかと、疑われる
箇所がある

ようである。前回、1段目の駒の並びが、馬、象、車、王ではないかと述べた。
が、第17条には端列と思われる場所が、実際には”馬の側”のはずなのに
”舟の側”と、恐らく誤って(第17条で)記載されている。その事から、

二人制チャトランガでは、車(舟)、馬、象、王の並びだったのを、
四人制チャトランガでは、馬が左側の敵王に1手で当たるように、
馬、象、車(舟)、王に変えている。第17条では、その事を忘れたために、
馬と舟とを、間違って書いてしまっている

可能性があるような気が、私にはしてならない。なお、更に第19条から
察するに、

二人制インド・チャトランガの大臣駒は、和将棋の熊目、大局将棋の毒狼、
大大将棋の近王のような、8方歩み駒か、それに近い駒であって、
日本将棋の金将に性能近く、アラブ・シャトランジの後期大将棋の猫叉動
きの侍従駒大臣等からは、種類がより遠い駒である

とも、推定できるように思う。以上結論を再度述べると、
四人制インド・チャトランガの基本ルールは、前回述べたもので正しい。
それは2人制の駒初期配置を、少し入れ替えて、残りのルールのつじつま
を、互いにあわせたようなものだったのでは、ないのだろうかと、私は思
っているという事である。(2017/09/10)

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チャトランガのルール、ユディヒシュティラとヴィアーサの38条より推定(長さん)

これまで、普通唱導集の内容により、その時代の将棋のルールを推定する
議論を、何回もしてきた。普通唱導集より将棋のルールを推定する事は、
二中歴により、その時代の将棋のルールを推定するのと違って、ルールを
説明するのが目的の、唱導で無いので、まるでパズルのようである。そこで、
今回は、そうしたパズルを解く練習として、インド・チャトランガのルール
を38条で記載したとされる、表題の、南インドのクンティ国の王子、
ユディヒシュティラとヴィアーサ(どういう人物か、両方私は知らない)の、
問答形式の、恐らく11世紀以降の、ルール・ブックの解読を取り上げて
みる。ここで38条のうち、かなりの部分が、”成り”とか”詰み”等、
いろいろな用語を説明する、カタカナ・ヒンディー語の説明文と
なっている。これらは、附則と言うべきであり、最も主体の、駒の初期
配列と、各駒の動かし方ルールの情報を、含んで居無い。そこで、カタカナ
・ヒンディー語の説明を述べた節は、今回は除いて、それの無い節だけ
最初に意味を考えてみる事にした。そこで、その条文の内容
を書くと、次のようになる。なお、出典は、「ものと人間の文化史110
「チェス」増川宏一著(2003年)」である。番号は、便宜上私がつけ
た。

1.兵はただ前に動くだけであるが、相手の駒を取るときは、何れか一方
の角度に進む。
2.舟(戦車)駒は、同時に斜め2つの升目を進む。
3.歩兵と舟(戦車)を取る時は、その際、歩兵や舟(戦車)も取られる
かもしれないし、そうでないかもしれない。王・象・馬を取るときは、
それらの駒は取られるのを避けられる。
4.王は最も重要な駒である。王が支配する、象とすべての他の駒は、
王を守るために、犠牲にしなければならない。
12.もし王が、他の王達を、彼ら自身の升目で詰んで殺したならば、彼は
賭金が4倍になる。
22.象は対立する象の場所に、行くことができない。
なお、「チェス」増川宏一著には、記載が主な物と断っており、
23~38条までの紹介は無い。
また、14条に「シャートパタ」と称する、兵の成りの規則が記載され、
「兵が玉の居た升目と、四隅の升目に達したとき以外は、その升目の相手の
駒に成る」との意味の事が書かれている。

そこで、以上から、王、象、馬、車(舟・戦車)、歩兵の、まず成る前の、
駒の動かし方のルールを推定してみる。

A.まず、王はとりあえず8方向に隣接升目1升づつ動きと仮定すると、
B.兵は、第1条から初手に2手動けない、チェスのポーンである

事は明らかである。また、

C.車は第2条から1升目でも止まれる、後期大将棋の飛龍で跳ぶ場合

のようである。また、第22条から、このゲームは4人制を説明している
ので、

D.象は角行等、縦横に行けない駒の動き

である事が判る。なお全く記載が無いのだが、

E.馬は、八方桂馬かそれに類似の動きと、最初は仮定

してみる。問題は、歩兵は2段目、王が8×8升目盤の最下段、中央の左
に来るとして、

残りの3枚の駒が、どう並ぶのか

である。これが難しい。第3条を旨く解釈して、割り出さなければならな
いと、私は思う。そこで、第3条の解釈だが、チェスや将棋・象棋のルール
記載としては、いっけん全く奇怪な内容である。駒に繋ぎがあるかどうかは、
駒の種類ではなくて序盤の、手数を踏んだ、駒の再配置作業によるというのが、
チェス・象棋・将棋類のゲームでは普通であるからである。なお、「その際、
歩兵や舟(戦車)も取られるかもしれないし」は、私見であるが「その際、
歩兵や舟(戦車)を取った、自分の駒も取られるかもしれないし」の誤訳の
疑いもあると、私は都合よく解釈する事にした。”同一種類の駒で取った場合、
駒の種類によって全く取り返せない”というルールは、明らかに不自然だと
私は思う。

では、第3条は、全体として何を言っているのか。

私見であるが、

初期位置で、車と、全部の歩兵には繋ぎ駒が有るが、王、象、馬には、
繋ぎ駒が無いような、初期配列になっている

事を言っているのかもしれないと思う。そこで、そうなるように、象、馬
車を配置すると、

4人制ならば端から、馬、象、車、王と並べる

しか、実は解はない。更に今の配列の話とは話は別だが、第14条の記載から、

E’.馬は、八方桂ではなくて、普通の桂馬であって、そこで成った兵は、
行きどころが無いので、動けない

と、馬のルールは、増川宏一氏の将棋Ⅰに載っていたように、八方桂ではな
くて、桂馬にするしか、今の所、無矛盾にはならないように思う。そこで
再び初期配列に話を戻すと、何れにしても

北朝鮮のチャンギ以外では、聞いたことも無いような、妙な初期配列である。

すると、第3条の解釈が、やはりおかしいか。良くわからなくなってきたの
で、この続きは、次回以降にしようと思う。(2017/09/09)

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獅子ジッとの手の代替、どうぶつしょうぎcafeいっぷくでの聞き取り(長さん)

既に述べたように、2歩指しのできる獅子で、じっとの手が有るために、
たとえば中将棋では、着手の完了が、獅子、飛鷲、角鷹以外の普通駒でも、
駒を盤から離陸させて、元の場所に戻して、手を離すと発生し、即禁手負
けを喫してしまう、”厳しすぎる待ったの禁止の規則”の存在の問題があ
る。そこで、ボードゲーム・カフェとして、東京都の下町地区では有名な、
東京都江東区白河の、”どうぶつしょうぎcafeいっぷく”にて、
2017年9月17日に、このブログで紹介した”小道具として、小型の
碁石を使う方法”に関する意見の聞き取りを行った。

 盤面に補助駒を置く、私の提案した方法は、相手の思考の邪魔になる
ケースは推薦できない、

との意見を、そこでは頂いた。御意見の提供に関し、深く感謝したい。
 碁石のうち、小型のものを現行、個人的には使用している。指輪状か、
半透明で、ガラス等の字が透けて見えるものか、獅子という字等が、書いて
ある物かの、思考の防げにならない形態の、何れかに替え、更にやりかた
を改良する必要があるように、私には思われた。

個人的には指輪状で、形が違う物を4つ用意するのが、この中では一番良い

ような気がする。なお、言い訳を最後にすると、上記碁石は、前回の、踊り
で途中に取った駒の処理とは違って、次の手で、”相手が、その手を了解し
たとの意思表示を兼ねて、盤外に移動させる”という方法を、私は”作法”
にするつもりではあった。以上まずは、他の方への聞き取りの、第1号の
結果を、今回は取り急ぎ、記載しておくだけにする。(2017/09/08)

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普通唱導集の小将棋。”飛ばした桂馬で銀に替えられた相手が驚いた”理由(長さん)

西暦1300年頃に、京都の良季が編集した、普通唱導集にはこのブログの
主題である大将棋のほかに、小将棋が唄われている。このブログでは、
大将棋の記載から、普通唱導集大将棋のルールを、割り出す作業の説明を、
これまで何回もしてきた。では、小将棋の記載から、普通唱導集小将棋の
ルールについて、割り出しができないのかと、最近私は考えて見た。結論を
書くと、普通唱導集第2節の、”桂馬銀交換で対局相手が驚く”という表現
は、素朴に考えてみると、かなり奇妙であり、

そうなる小将棋は”金と銀しか、持駒にできない”というような、特殊な
ルールがある場合しか、今の所考えられない

という事が判った。そもそも日本将棋では”持ち駒の銀と桂馬の価値は、銀
がやや上であるが差は少なく、局面よって変わる”と、言う事だったはずで
ある。
 そこで、小将棋第2節の”相手が驚いた”という表現は、割り出しにとっ
て、手がかりを含んでいることは判ったので、候補となる将棋を対応させて
みた。まず普通唱導集小将棋が、取り捨て将棋だった場合だが、替えるを、
単に銀と桂馬の相討ちの、不自然な表現としても、うまく説明できなかった。
すなわち、それで悪形になるような、陣形の悪い相討ちをするなら、話は別
であるが、手順での銀と桂馬同士の相討ちで、相手が”面白いほど”悔しい
顔を見せるとは、考えにくい。なぜなら、取り捨て小将棋では、銀桂交換は
実際には余り起こらず、銀と成り桂の交換が、しばしば行われるからである。
なお、そもそも普通唱導集小将棋の記載のうちの、第1節は、と金が、活躍
しやすい将棋である事を唄っている。すなわち、歩兵の成りのルール説明に
続いて、”相手歩兵の段に、味方の歩兵が、まもなく到達する事の嬉しさを
唄う”事によって、その喜びを表現していると、私も、故溝口和彦さんと同
様に、文面は解釈するのである。よって、ここで唄われている将棋は、小将
棋の第1節だけを見ると、陣形が初期に崩れて、銀や玉で相手歩兵が退けら
れやすく、その結果、対する味方の歩兵が上がり易い、

8×8升目32枚制原始平安小将棋を連想させやすい小将棋の記載

に見える。良季の居た、京都東山の観勝寺の法事では、ひょっとして9×9
升目36枚制標準平安小将棋を、西暦1300年頃は、法事のイベントでは、
指さなかったのかもしれないと、私は推理する。もともと、その法事は、
藤原頼長の怨霊を静めるためのものと見られるが、私によると

院政派が考え出したと推定される、9×9升目36枚制標準平安小将棋を
藤原頼長の法事で持ち出しては、”怨霊の怒り”を倍増させるだけ

だとも考えられるからである。しかし論を元に戻すと、普通唱導集第2節で
は、桂馬を動かして銀と交換した事が述べられていて、少なくとも、もとも
との原始平安小将棋の取り捨てルールとは、持ち駒が在るかのようで、記載
が合いにくい。そこで私は次に、8×8升目32枚制原始平安小将棋を、
持ち駒ルールでやってみた。が、

日本将棋の初心者向け、駒の価値比較の説明といっしょで、持ち駒の銀
と桂馬の価値に、8×8升目32枚制原始平安小将棋でも大差ない

と、いう結果になってしまった。否むしろ、日本将棋より、桂馬と銀の価値
の差は少ないように、私には思える。

飛車・角の利きが相手陣に無いため、相手玉が相手陣に居る状態で、相手陣
は隙だらけであり、桂馬や香車で成り金が作り放題

になるからである。これでは、類似の攻め駒の銀将に、特徴は出にくい。そ
こで、今度は持ち駒ルールの中身そのものを、いろいろ変えて、試してみた。
だが、”相手が驚く顔を見て喜ぶ”ほど、銀と桂馬の持ち駒等の価値に差を
付けるには、冒頭に示したように、

金と銀は、持ち駒に出来るが、桂馬、香車、歩兵は取り捨てにする

という、現代日本将棋からみると、まったく世界の違うルールでするしか、
普通唱導集小将棋の記載と、合うようにはできないような、気が今の所して
いる。ひょっとして、良季らは、持ち駒制の9×9升目36枚制平安小将棋
が、出始めの頃に生き、自分達は、実際には指さなかった。が、持ち駒小将
棋の、他人の対局の様子を又聞きしてて、普通唱導集の小将棋の第2節で、
性質と思われるものに、言及したのかもしれないと思う。
 実際には、8×8升目32枚制原始平安小将棋取り捨てルールの説明から
初めて、モザイク状に、9×9升目36枚制標準平安小将棋持ち駒有りルー
ルの説明で、唱導集小将棋は、閉めているのかもしれないと、私は思う。

桂馬と銀の価値の差が、取り捨てよりも持ち駒ルールでは、約2倍に
なりそうだったという予想をもとに、単純に唱導集を書いたのではないか。

つまり、

実際には”8×8升目32枚制原始”でも、”9×9升目36枚制標準”で
も、平安小将棋の持ち駒ルール有りでは、香車や桂馬の持ち駒には、かなり
の威力が有り、その損得は、形勢にかなりの影響が出るのではないかと、
個人的には見ている私には、普通唱導集第2節の記載は奇妙で、不自然な
内容である

と、少なくとも現時点では感じられているのである。(2017/09/07)

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踊りで2歩目は空升目に行く場合、跳び超えた駒を後で取る表現は合法か(長さん)

前回に続いて、駒数多数の将棋類の、着手完了に関する別の問題について
考える。今度は、じっとの手ではなくて、例えば獅子で言うと、踊りで、
特に、空升目に2歩で移動するケースで、1歩目に、相手駒を取るような、
”突き抜く手”を指す場合について考える。最初に相手駒を取り、続いて
自分の動かす駒である、獅子を移動するという、指し方なら問題が無い。
特にそう指す癖が付いている、日本将棋の棋士ならば、着手の完了は、
通常のパターンと同じく、獅子から手を離した瞬間なので、問題は起こら
ない。
 しかし、秒読みの中将棋を指している等で焦っており、同じ手を、獅子
を移動してから、間の相手駒を取って表現しようとしたとしたら、2手指
しの禁手にすべきなのだろうかというのが、今回の問題である。答えは、

2手指しで、禁手負けになる

と、私も思う。なお、同様な主旨の書き込みを、だいぶん前に、中将棋の
ルールを説明している、どこかのブログで私は読んだことがある。
 しかしながら、これはかなり酷とも言える。うっかり、先に獅子を持ち
上げたら、跳び越えの手しか、指せないようにも、一見すると思えるから
である。たとえば対局者が、囲碁も打つとする。囲碁では相手の、その手
で殺した石は、自分の石を置いてから、取ってもルール違反にはならない。
殺した石は、常に取り除かれるルールだからである。従って、囲碁好きの
対局者は、うっかり何時もの癖で、獅子を先に持ち上げるかもしれない。
しかしながら、中将棋等の獅子は、間の相手駒を殺すのは、任意である。
従って着手が終わったと、相手に認識される前に、相手の駒を殺したとの、
意思表示をしなければならない。よって、獅子を目的地に置いてから、殺
した間1歩目の相手駒を処理すると、2手目着手扱いになると、考えられ
るのである。しかし”獅子を取り上げてから、自分の意図と、着手の表現
が違うのに気が付いた、”囲碁好きの中将棋棋士”のケースは、どうであ
ろうか。何らかの手段で”補正”し、着手完了前に”相手駒を殺した”と
の、意思表示が可能なように、ルールを調整した方が良いように、私には
思える。
 そこで、最近この点について、更なる思考を私はしてみた。その結果、
間の相手駒を取る踊りの手を指すつもりが、うっかり焦って獅子を、先に
持ち上げたら、1歩目の所で実際に獅子をおろして、相手の取る駒を、自
分の獅子といっしょに持ち上げてから、隣接する、移動しようとしていた
2歩目の升目に、2つの駒を持ったまま移動し、

隣着地升目で相手の殺した駒を重ねたまま、その升目で獅子を着地させて、
手を離して、静かに2枚の駒が重なったままなら、踊り喰いの手と認める

としてみたら、どうだろうかと考えた。なお、完全な後処理は、2手先の
自分の手番で、自分でするのが礼儀であろう。
 これは相当に、行儀の悪い作法ではある。しかし、もしこれでも合法と
すればひょっとして、問題が解決するのではないかと、私は思う。そも
そも、こんなルールを発明しなくても、更に良く考えてみると、うっかり、
獅子を先に持ち上げてしまったら、相手の駒も途中で持って、移動升目で、
手をごそごそと動かして、獅子だけを着地させてから、相手の駒を除去し
たり、両手を使って、相手駒を利き手以外の、もう一方の手で排除してか
ら、利き手に持った獅子を着地させるといった、”別の行儀の悪い手”を
指す棋士が、現われるだろうと思える。今述べた、別の2つの行儀の悪い
指し方も、合法にせざるを得ないような気がする。ので、私の最初に述べ
た、重ねたまま、”移動先で途中で殺した駒を、踏みつけたまま放置する
表現”は、これらと行儀の悪さに、さほど差が無いようにも思う。
 ただし、今述べた内容はまだ、問題が本当に全く起こらないのかどうか、
私にも完全には確かめられていない。そのうち他人の意見を聞く機会を、
できれば持ちたいものだと思っている。(2017/09/06)

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厳しい中将棋の「待ったの禁止」規則は改善策を考えるべき(長さん)

日本将棋では、”着手完了”という概念があり、相手駒を取れれば取り、
移動させる駒を、その升目に元の位置ないし、持ち駒台から移動させ、
盤に置いて、指を離した瞬間で、手が確定して、手を戻して別の手に変
える事のできない規則になっている。日本将棋のこの、待ったや2手指
しの禁止則は、他のチェス・象棋・将棋型ゲームの中では、緩い方であ
る。すなわち中将棋では、もっと厳しく、少なくとも公式な対局では、

獅子・飛鷲・角鷹以外の駒は、駒を盤面から、手で持ち上げて元の位置
に戻すと禁手負けになる

とみられる。なお、上の3枚は、自分の手番のときには、悪手になっ
ても、使わなければならず、持ち上げると”じっと”の手を指したで、
着手完了扱いになり、別の手が指せなくなるとみられる。これらは、言
うまでも無く、中将棋には、獅子・飛鷲・角鷹は、”じっと”の手が
指せる可能性のある駒であるという、ルールになっているためである。
 なお、将棋世界1970年7月号の「中将棋のおもしろさ」大山康晴
永世名人の記載から見て、正確には獅子・飛鷲・角鷹以外の駒は、駒を
盤面に引きずって、別の升目に移動させてから戻すケースは、”じっと”
の手の表現から外れたようで、禁手扱いにしなかった模様である。当時
の中将棋棋士はそのため、一般に中将棋の駒を移動する手を指す際、駒
を振り上げず、盤の表面を引きずるように動かながら表現したという意
味の事が、故大山永世名人の、上記の文面には記載されているように、
私には意訳される。しかしここでは、個人ブログなので、好き放題に
勝手に書くが、

この中将棋の着手完了則は、工夫により、獅子・飛鷲・角鷹以外の駒を、
駒を盤面から、手で持ち上げて元の位置に戻しても、禁手負けにならな
いように改善するべき

であると、私は考える。理由は、

中将棋に比べて、現実、日本将棋の方が普及しており、日本将棋を指す
愛好家が、試しに中将棋の公式試合に参加した時に、普段の要領で指し
て、”普通駒の持ち上げ、元戻しの禁手”にひっかかって、嫌気が差し、
中将棋は二度と指したくないと考えられたら、駒数多数将棋の普及の
障害になるだけ

だと、私は考えるからである。なお私は、個人的にはだいぶん前に、
この問題の改善策を考えた事があり、私の駒数多数将棋の駒箱には、

碁石が白・黒2個ずつ入っている。

これを、どう使用しているのかと言えば、

じっとと、居喰いの手を指すとき、獅子・飛鷲・角鷹を持ち上げる代わ
りに、どちらかの色の碁石を、1歩目に移動させたとおぼしき升目か、
あるいは、獅子・飛鷲・角鷹の駒は持ち上げずに、それらの駒の上に、
碁石を置いてから、手を離した瞬間を、着手完了とする。なお、この3
種類の駒も、持ち上げてから元に戻しても、じっとの手や、居喰いの表
現とは、みなさない事にする

という、補助的駒として使っているのである。なお、碁石が白と黒で
2個ずつ4個なのは、”じっとの手を連続して指すケース”を想定して
いるからである。上で紹介した、故大山永世名人の文面のように、中将
棋の着手完了が、日本将棋とは違っても、中将棋の棋士達は、ある意味
ルールの抜け道を、発見して指しているように、私には見える。だから、
中将棋で、上の理由で禁手となった”普通駒の持ち上げ、元戻しの禁手”
には、獅子・飛鷲・角鷹の”じっと”と、居喰の手を、駒の持ち上げ元戻し
以外の方法で表現する、という抜け道が、最初から存在するような、気
がしてならないのである。(2017/09/05)

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二中歴の大将棋ルール。末尾不明部分の正しい漢文を試しに作ってみる(長さん)

 このブログが開設して、さほど経って居無い頃だったと思うが、二中歴の
平安大将棋の記載で、誤写が定説の、末尾解読不能10字の解明を試みた
事があった。かなり前には”注人が歩兵の仲間である事を述べている”の
だろうと、私は考えた事もあったが、二中歴の小将棋の記載と対応付けると、
”成りの規則が書いてあるように見える”という表明を、私はこのブログで
はしたと考える。
 そこで、さいきん試しに、”本来の漢文”を作ってみようと考えた。もと
もとの文は、”前田家古写本(天童の将棋駒と全国遺跡出土駒・2003)”
によると、次の漢文で、楷書体ではなく崩してあるが、形の全く違う旧字体
が少なくて、比較的全部わかりやすいのようである。

注人在中心歩兵之頂行前後如是一方此如行方準之

結果をとっとと書いてしまうと、下がひょっとして本来だったのではないか
と、私は思う。

注人在中心歩兵之頂行前後注人如是行方準之一方仍如此成方準之歩兵

以下は、自信がまったく無いが、私の古文をまねた読み。
注人は中心の歩兵の頂に在りて前後に行く。
注人かくのごとし行方は、これ(注人)を一方に準じ、よってかくのごとく
成方は、これ(注人)を歩兵に準じる。

ようするに、実際には注人の成りルールしか、書いて居無いのではないかと
言うのが”私の予想”である。その他、銅将、鉄将、横行、猛虎、飛龍の
成りルールについては、この注人のパターンから、類推するしか無いという、
状況なのではなかろうか。

以下は私の意訳。
注人は中央の歩兵の前の升目に在って前後に歩む。
注人のこのような動かし方のルールでは、その初期配列から、歩兵に下段
を押さえられて、ほぼ一方に歩むだけになる。よってその結果、注人の成
りの規則は、歩兵に準じる物とする。
(従って自身のすぐ下段の駒と、実質動きが等しくなる注人と奔車は、
それぞれ歩兵と香車と同じく金将に成り、その他の小将棋に類似駒の無い、
横行、猛虎、飛龍には、金成りの規則は、適用しない。つまり不成という
事とする。銅将と鉄将は、銀将の類と見て金将成りとしたのであろう。)

なお、中尊寺のある平泉駅近くで、”両面草書飛龍駒”が出土していて、
上の解釈と今の所、合っている。

 ずっと時代が下がり、中将棋が成立すると、ここで話題の注人の後継駒
仲人は、金将ではなくて、酔象に成るに変化した。その結果、中将棋では、
金将に成るのが、歩兵だけになった。そのためであろうか。中将棋の歩兵
駒は、成りを”と金”で、わざわざ表現せずに、普通の”草書体金”で、
表現することが多くなったようである。
 話題は飛ぶが最近、家の将棋駒置き場を探していたら、無くしたはず
の、中将棋の”裏草書体金歩兵駒”が出てきてた。現在、出てきた歩兵駒
の仲間の中将棋駒ワンセットは、東京の清澄白河の”深川どうぶつしょうぎ
cafeいっぷく”に保管されている。近々、持って行って、同cafe
に置いた代用品の”裏と金歩兵駒”一枚と、交換してこようと思っている。
(2017/09/04)

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”普通唱導集に記載”から”大将棋は普及”とは直ちには言えないのかも(長さん)

一般的には普通唱導集に、大将棋のゲームの進行を記述する内容が唄われて
いる事からただちに、”少なくともその時代の大将棋は、ある程度指されて
いた事を示している”と考えるのが、今の所、定説になっているようである。
が、もしかしてそうではなく、普通唱導集の編者、良季(等)の居た、寺で
だけ、指されていたと言う事は、本当に無いのだろうか。
最近、そう疑わせる一つの情報を、web上で私は見つけた。それによると、

”良季は京都東山の観勝寺山内の、池ノ坊不断光院の住持。真言密教僧”

と、言うものである。なぜこれが普通唱導集の大将棋が、指した者が社会全
体から少数ではないかと、疑わせるのかといえば、

京都東山の観勝寺は、恐らく大将棋を指したことを日記に書いたので有名な、
藤原頼長および、崇徳上皇等、保元の乱の敗北者の怨霊を、鎮めるための寺

だからである。だから、ここでは藤原頼長の子孫と称する、藤原氏の末裔、
藤氏一揆の武家や、京都の貴族が、平安時代末より伝わると称する、大将棋
の道具を観勝寺へ予め寄進しており、更に法事の際、

寺で、藤原頼長を偲んで、実際には鎌倉中~後期版の大将棋を指すような、
イベントをしていたとしてもおかしくない

と私は思うのである。この事から、

藤原頼長等にゆかりの神社や寺で、祭事としてしか、鎌倉後期のこの時代に
は、大将棋は指される事が、ほぼ無かった

と仮定しても、さほどの無理は無いように私は思う。少なくとも、

”大将棋がゲームとして面白いから、鎌倉時代の中~後期に指されている”
という説が有るとして、それをはっきりと証明できる史料は、まだ見つかっ
て、い無いと見るべき

なのでは、ないだろうか。恐らく大将棋は、西暦1400年頃以降に流行った、
中将棋と異なり、ほぼ儀式的な意味でしか、終始指される事が、無かったの
ではないかと、私は疑うのである。
 なお、京都東山の観勝寺の上のような由緒から見て、鎌倉時代の後期に
儀式として、この寺で指された、”大将棋”は、鎌倉時代中~後期に幾つか、
変種が仮に有ったとしても、平安時代末期、保元の乱の頃の藤原頼長時代の
大将棋に、比較的近いものが、選択された可能性が、高いとも言えるのでは
ないかとも、私は思う。つまり、観勝寺の僧の良季らが、普通唱導集で唄っ
ている”大将棋”は、恐らく藤原頼長の時代に近い、平安大将棋に比較的似
ているゲームであったろう。つまり、京都東山の観勝寺で、西暦1300年頃、
しばしば指される大将棋は、大将棋として複数の将棋種が、仮に鎌倉時代中~
後期に有ったとしても、二中歴記載の大将棋の升目数である、

13×13升目の形の大将棋である可能性が、より高くなる傾向が有る

と言う事も、良季の素性から、同時に意味しているのではないかと、私は思
うのである。(2017/09/03)

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二中歴小将棋「相手裸玉の勝ち」のルール書きの記載のわけ(長さん)

二中歴の小将棋の説明には、末尾の相手陣3段目金成りのルール説明の後に、
相手玉を1枚にした場合、そうした側を勝ちとする「相手裸玉の勝ち」ルー
ルが記載されている。世界的に見ると、チェス・将棋型ゲームで、裸玉駒が
現われるケースの勝ち負けルールの記載については、他に類が無いという
ほど珍しいものではなく、別の外国のチェス・象棋型ゲームについて、記載
が有る事柄と、私は認識している。
 この点に関しては一説に、”平安小将棋が玉詰みゲームではなくて、裸玉
を目指す、別種のゲームではないのか”と、見る向きも有ると聞く。
が私は、平安小将棋でも、相手玉を詰んだら普通に勝ちだと思う。そうし
ないと、裸玉という、状態そのものが出現する前に、自玉が死んでしまった
場合の処置に関し、ルール上、但し書きがあっても良さそうなのに、二中歴
に、そのような記述も、特に無いからである。
 他方、一般に”裸玉ルール”というのは、駒枯れになりながらも、残った
小駒の枚数が、相手に対して、かなり多い側が存在するケースでも、引き分
けにしてしまう不合理を、解消するために存在するものだとろうと、私は考
えている。だから、この裸玉ルールが適用される局数は、少ないのが、普通
だと思う。にもかかわらず、二中歴の小将棋に、わざわざ、裸玉ルールの断
り書きがあるというのは、本来は、不自然な事だというのが、私の見方であ
る。では、二中歴の著者は、平安小将棋のルール説明に、”相手裸玉の勝ち”
のルール書きを、私に言わせるとなぜ、わざわざ入れたのであろうか。
そこで何時ものように、結論から先に書くと、

”相手裸玉の勝ち”ルールには、重要な”細則”として、”裸玉の自殺手に
対する優先”という但し書きルールがあり、その細則ルールを、実質、思い
出させるのが、二中歴小将棋の”相手裸玉の勝ち”ルール記載の主な目的

だと私は見ている。つまり、

相手と自分の側に、玉と成り金が一枚づつ残っているとして、玉で相手成り
金が取れるが、返し手で、玉が相手の1枚だけ残っている玉で、ただちに、
取り返されてしまう場合、つまり、相手の”成り金”に、相手の玉将自身が、
繋ぎ駒となっている時、相手の”成り金”駒を、玉で取ると、次の手で、
自玉は死んでしまうので、本来なら自殺手で禁手のはずなのだが、平安小将棋
では、特別に、相手が裸玉になった事を、自殺手に優先させるという、
相当に”常識はずれな細則”が恐らく有った

のではないかと、私は想像すると言う事である。
 実は、この”細則を持つ相手裸玉の勝ち”ルールが有っても、正しく指せ
ば、もとの残駒数に差が少なければ、引き分けになる事が多かった。しかし、
一方がうっかり手を間違えると、このルールが有るため、勝負が付いてしま
う事があったのであろう。そのため、平安小将棋では、駒枯れ模様で、かつ
残り駒の数が互いに僅差であっても、お互いが局面を、引き分け模様と見て
諦め無いため、積極的な、駒の取り合いが、なおも続いたのであろう。その
結果、この裸玉の自殺手優先細則ルールは、実際には、かなりの頻度で、
一方がボンミスしてしまった対局に、適用されるケースがあったと、私は見
ている。
 日本将棋なら、相互入玉状態で、成り金が、ほとんど相手陣に居る局面な
ら、たとえ一方が、無理に対局を続けようとして、手を進めても、玉を相手
陣内に置いたままで、のらりくらりと手を指し、引き分けが必然である事を、
他方は知らせようとすることだろう。ところがそうした局面であっても、平
安小将棋の場合には、駒を自分の陣に引き戻して、消耗戦を続け、裸玉ルー
ルの適用される局面にする努力を、延々と続ける展開に、なったのであろう。
 以上のような平安小将棋は、原始平安小将棋が、西暦1015年に上陸し
てから数年後の、西暦1020年頃には、九州大宰府で指されていたという
のが、私の個人的な仮説である。従って、時間的制約から、「相手裸玉の勝
ち」のメインルールが、将棋を知ったばかりの日本人に、考え出せたはずは
無いため、このメインルール自体は、輸入だったに違いないと、私は思う。
 しかしながら、ひょっとしたら、”裸玉の自殺手に対する優先細則”は、
数年のうちに、九州大宰府の棋士の誰かが、考え出してしまったのではない
だろうか。実は、裸玉ルールは、この自殺手に対する優先細則の存在の方が
重要であり、この細則が無かったら、大宰府の将棋指し場は、場が盛り上が
る直前局面で、棋士の双方が、引き分けを認めて対局を止めてしまうために、
実際には、さほど対局場の空気が、盛り上がらなかったはずだと思われるの
である。

そのため、この”裸玉の自殺手優先細則”を、もし九州の誰かが考え付かな
かったとしたら、今の日本の将棋文化は、ひょっとして無かったのでは、
ないのだろうか

と、私は8×8升目盤で、原始平安小将棋型に駒を並べて、ゲームをチェッ
クするたびに、いつもそのように考えさせられるのである。(2017/09/02)

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”遊戯史学会は解散すべきでない”と私は考える(長さん)

かつて、日本将棋連盟関西地区の本部の建物の中にあった、将棋博物館の
顧問等もされた、遊戯史研究家の増川宏一氏が、現在会長をされているため、
”日本将棋史学会”という名称の会の、活動内容であるとのイメージが、実際の
研究成果とは別に、存在すると私には感じられる”遊戯史学会”が、来年で
解散すると、同会のwebページに載っている。

私は、同会の会員でないため、遊戯史学会の”総会”等に出て居無いが、
上記の会は解散すべきではないとの意見

である。理由は、

日本の将棋史研究界自体が、将棋の名人の佐藤天彦氏が、コンピュータ
将棋ソフトのポナンザに敗北する以前の、将棋は人間のプロが最も強いと、
言われた時代の頃とは異なり、”現在将棋界で指されている、日本将棋は
2種類あるうちの、小将棋だけであり、それとは別に、以下説明する内容の、
大将棋が日本将棋として存在する”との見解を、学術世界の外の人間、
もちろん、日本の将棋トッププロに、面と向かっても、意見として主張しえる、
成熟した実力を獲得していると認識する

からである。だから、

日本の将棋史研究学会としての実力のもともと強い、遊戯史学会は、
今や”単なる、将棋に関する昔話をするだけの、存在しても、しなくても、
外の世界に対して、格別の作用の無い団体”イメージではなくて、以上
の主張の可能な状態に、学術世界そのものが、成熟している状態である。
そのため、彼ら自身が、社会に、それそうとうの作用を与えうる、組織・
団体になっている。従って、まるで、人間の将棋プロが、コンピュータに
対して、劣勢に陥ってしまった、今のタイミングを狙ったかのような、
いかにもタイミングの悪い、解散の”自己決定”については、意味不明
で不合理あると私は考える

のである。なおなぜ2017年が、遊戯史学会の解散決定年になったのか
については、合理的理由が公開されて居無いので、私には本当の所は
謎である。

 なお、小将棋とは別に、存在する大将棋とは、以下の実際には、
西暦1300年頃指された、大将棋を、古文書の欠陥点の記載に従って、
ほぼ、自明な形で、一部手直ししたものと見るのが、合理的と考える。

すなわち、1300年頃実際に指された大将棋は、

(私説)13×13升目108枚制普通唱導集大将棋
段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、鳳凰、酔象、麒麟、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
③飛車、横行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
⑥空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑦空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑧空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑨空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
⑩歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
①飛車、横行、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
②反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、麒麟、酔象、鳳凰、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
③香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

の初期配列の将棋とみられるが、普通唱導集で、京都東山の真言密教僧の
良季等によって、明らかな定跡が発生すると西暦1300年前後に指摘さ
れている。そこで、以下のように、構成の駒のうち嗔猪を方行に交換して、
方行、竪行、横行、飛龍、猛牛の配列を、下記のように変えれば、実際に
は、その後西暦1350年前後に、そうなったとみられる、中将棋へ移行
する大改造をする事無しに、問題は小さな修正でも、解決されると考えら
れる。(なお前に、このブログに書いたものとは、修正の仕方を変えてい
る。前の案では、良季が普通唱導集で指摘した難点は、なおも解決されな
い。)

(私説)13×13升目108枚制普通唱導集大将棋の改善
段目
①香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
②反車、猛牛、方行、横行、盲虎、鳳凰、酔象、麒麟、盲虎、横行、方行、猛牛、反車
③飛車、飛龍、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、飛龍、飛車
④歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
⑤空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
⑥空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑦空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑧空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
⑨空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升
⑩歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
①飛車、飛龍、竪行、角行、龍馬、龍王、奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、飛龍、飛車
②反車、猛牛、方行、横行、盲虎、麒麟、酔象、鳳凰、盲虎、横行、方行、猛牛、反車
③香車、桂馬、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

ここで、酔象、麒麟、鳳凰、盲虎、飛龍、猛牛、成り麒麟の師子(獅子でも
良い)は、普通唱導集時代の動きではなくて、後期大将棋のルールで指すと
更に、守りが多少強くなるため、終盤の変化が複雑化し、好ましいと私は思う。
 すなわち、酔象は斜めに2升目のところでしか、止まれない走りではなくて、
後ろの隣接升目だけは行けない、小駒。
 麒麟は、前後左右が2升目だけ停止の走りか、猫叉二歩ではなくて、
前後左右単純跳び。隣接斜め升目は、もともとの通りで歩み。
 鳳凰は、斜めに2升目だけ停止の走りではなくて、単純斜め2升目先跳び。
隣接縦横升目は元の通りで歩み。
 猛虎はここでは、平安大将棋の猛虎ではなくて、中将棋の盲虎の動きの意
図で名前を上の図では変更した。斜め隣接升目へ歩みではなくて、前以外の
7隣接升目歩みへの変更だが、名前は前の通りの方が、本当は良いのではないか。
 飛龍は、角行の動きではなくて、大阪電気通信大学の2踊り。ただし、斜
め隣接升目へ、歩んでも良いとする。
 猛牛は、縦横2升目先にだけ、止まれる走りではなくて、大阪電気通信大学
ルールの2升目縦横2踊り。ただし、縦横隣接升目移動も可とする。
 成り麒麟の師子は、玉将を2回動きではなくて、大阪電気通信大学の不正行
度2踊り。ただし、通常通り、隣接升目歩みも可能。”自駒生き埋め状態でも、
じっとの手の指せる、ちょこっと拡張された中将棋等の師子の動き”とする。
なお、獅子に関する、特別な規則は、この成り麒麟には、適用しない。
 また、方行は大大将棋と同じく、縦横走りに加えて、隣接斜め前升目(合計
2升目)へ、歩みでよいと思う。
 また平安大将棋と後期大将棋で、銅将、鉄将のルールが、違うとされるが、
水無瀬兼成の記録した、後期大将棋のルールで、良いと思う。
 成りは、酔象が太子、麒麟が獅子(師子)、鳳凰が奔王。
玉将と金将以外の一段目と、2段目の反車、上段の歩兵と仲人は金将に成ると
する。たとえば方行は、不成りで良い。
 成り条件は相手陣4段目で、日本将棋方式の成りの方が紛れが少ないので良
いと考える。取り捨てなので、持ち駒はでき無い。全体として日本将棋と同じ
類のゲームである。

 遊戯史学会のホームページの内容は、情報量が少なく、実際には、”彼らが
なんらかの事情で、彼らの会の存在価値を、どういうわけか特に2017年に
見失ったため、この年、自己責任で解散の決定を下した”という、私の私的心象
のような経過での解散では、あるいは無いのかもしれない。
 たが上の私の想像が、以上の邪推に基づくものだとしても、結果として、流れ
で実質、それが良くない効果をもたらすというのなら、やはり結果として、この種
の史学会の、ほぼ完全消滅をもたらすという、リスクが存在すると私は見る、
”遊戯史学会は解散とする”という決定に関しては、

私は、その決定は誤りであり、上記の会は解散すべきではない

と、ここでは、明確な考えを、表明しておきたいと考える。(2017/09/01)

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