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熟語・香象渡河が有るのに、シャンチー象。渡河できないのは何故(長さん)

前に、大大将棋の等の駒である、香象の起源を問題にした時に、
表題の四文字熟語、香象渡河を紹介した事があった。兎と馬と象
とが河を渡るとき、流れが速かったため、兎は最初から流され、
馬も川底が深くなると流されたが、象は丈が高く、重量もあった
ので、川底に足を付けてそのまま渡ったという、元は景徳伝燈録
という、仏教の禅宗の書の、法話から発生した熟語という事であっ
た。すなわち、象のように巨体でがっちりしたものは、世相の流
れに余り流されずに、主張や志を貫徹させるという、たとえとの
事である。
 さてこれが、大大将棋の香象という駒の起源というのは良いと
して、中国の書の言葉であるから、中国シャンチーについて考え
たときに、中国シャンチーの象が、渡河できないルールになって
いるという事と、全く合って居無いという問題が、当然ながら発
生する。ちなみに、岡野伸氏が、中国の諸将棋で紹介しているが、
中国のゲーム史研究家の胡元端の説によると”中国では象は使っ
てならない事になっていたので、士と同様、将を守る駒として、
敵陣には攻め込まないものだったろう”という説があるようだ。
この胡元端の説については、象駒は

使ってはならないというのなら、使わないだけなのではないか

と考える。ので本ブログでは、”今の所胡元端の説は、意味が良
く聞き取れない”との立場をとる。
 少なくとも、中国国内の書で、象を題材に説話を作り出し、そ
れが、熟語にまでなっている訳であるから、象は使えるはずだし、

この説話を知っているゲームデザイナーがシャンチーの作者なら、
渡河できない相/象というルールを、作りづらい事だけは確か

なはずである。にも係わらず、中国シャンチーでは、香象のよう
には、渡河できない事にしたにもかかわらず、シャンチーの相を、
象とも別称する事を、止めなかった訳である。そこで今回は、
この、香象が、景徳伝燈録では兎や馬よりも、渡河しやすいと
表現されているにも係わらず、中国シャンチーの象が、渡河でき
ないルールになってしまったのは、何故なのかとした。
 そこで結論から何時ものように、先に書く。西暦1100年頃

禅宗が北宋南部でしか当時盛んでなく、開封にいたと見られる、
中国シャンチーの作者が、景徳伝燈録を読んでおらず、南宋の
時代になり、中国シャンチーが蔓延してから後に、禅宗や、その
布教書が、南宋域内に普及したので、中国シャンチーのルールを、
後付で変更できなかったため

であると、本ブログでは推定する。
 日本では室町時代より、特に盛んになった禅宗だが、中国では
今でも禅宗の本場は、上海の南の寧波や、香港の北の、広東省の
広州付近だと、私は聞いている。恐らく、西暦1004年頃に、
北宋の禅宗の僧、道原によって著作されたという、景徳伝燈録が
普及したのは、寧波の近くにも、後に元に攻められ、南宋の壊滅
直前時に都であった臨安を含めて、中国南部の都市が大きくなっ
た、南宋の時代になってからだったのではないか。その証拠に、
wikipediaには”景徳伝燈録は、北宋の都の開封からは、
相当離れた所で、著作された。そこで、著作と著作者を報告する
ために、原典を持参して、開封の北宋宮廷に、報告しようとした

本当の著作者は、長い距離経典を、運搬しなければならなかった。

実は、その途中で現在著作者とされている盗賊=道原に、経典は
奪われ、盗賊=道原が、『自分が著作者だ』と、北宋皇帝に報告
したので現在、ニセの著作者の名が伝わっているとの説が、少な
くとも過去あった。”との旨が、書かれている。以上のような事
から開封で、景徳伝燈録の内容が広まるのは、11世紀末の中国
シャンチーの成立の後ではないかと、私には疑われる。そのため、
景徳伝燈録の、兎馬象の渡河話を基に作られた熟語、

香象渡河は、北宋時代の都の開封では、専門の僧は別として、
一般にはほとんど、使われない言葉だったのではないか

と、私は考える。尤も、中国シャンチーが全土に広がりつつあっ
た時点で、南下し上海付近を通過した所で、

”象の不渡河ルールはおかしい”と、南部の中国人から、一応
クレームが付いた

のではないかとも、考えられる。それでもルールが変わらなかっ
たのは、中国北宋の時代に、禅宗の普及に比べて、中国シャンチー
の方が、勢いが有ったからだと思う。だから逆に言うと、これは

中国での禅宗の領土拡大の勢いが、さほど早くはなかったために、
かなりの速度でシャンチーが中国全土に、12世紀になってから、
骨太に広がったという証拠

でもあると、私は考える。華北で充分に蔓延して、金王朝の支配
下でも、構わず指されるまでになってから、華南へも着実に、
中国シャンチーは浸透していったのだろう。しかも、

象の渡河ルールは、オリジナルのゲームデザイナーが調整し、
最初から付け加えていたルールであって、シャンチーの成立より
だいぶんたってから、出来たルールという訳でも無さそう

だ。もしそうだとすれば、中国でも香港付近では、チャンギの象
のように、相/象も、敵陣へ突入できるような、”古いローカル・
ルール”が残っていても、良さそうだが、そのような事を聞かな
いからだ。
 何れにしても、禅宗の普及に遅れてしまうと、象駒は渡河しや
すい事になる。禅宗は言うまでも無いが、朝鮮半島へも、やがて
普及しただろう。だから、この事は、

チャンギの成立の方が、中国シャンチーの成立よりもだいぶん遅
く、また、朝鮮半島への仏教の禅宗の普及の速度が、象棋ゲーム
の伝来速度よりも、逆にかなり速かった

事をも、更に示唆しているのかもしれない。(2018/06/26)

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