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将棋盤の足の形。水無瀬兼成駒が関連しては、い無いのか(長さん)

前に、将棋盤の足の形が蓮座型なのは、江戸時代からかもしれない
との旨の予想を、本ブログでした事があった。その根拠として、
絵画史料に関して、平安時代末から戦国時代中期の碁盤は逆L字型、
江戸時代の絵画や、将棋盤の現物はほぼ全部蓮座であり、江戸時代
草創期に入れ替わったと仮定して、矛盾しは無いことを挙げた。
今回は、その後の調査結果について報告する。結論として、

北野天神を配下に置いている曼殊院が、水無瀬兼成作の駒を使用す
る将棋盤として、北野天神縁起に記載の足型の将棋盤が、似合いで
あると宣伝したのが、そもそもの蓮座型普及の始まりではないか

という仮説を以下に提示する。
 理由は、

北野天神縁起に、蓮座とは形が同じでは無いが、逆L型では明かに
無い絵画史料があるのを、成書で私も見たから

である。
 では、以上についてより詳しく説明する。
 囲碁盤の足を描いた絵画資料を集めた成書に、前に一度紹介した
もので、次の書籍がある。

日本常民生活絵引 渋沢敬三著 平凡社(1984)

それには、逆L型の足を持つ碁盤が3点、鳥獣戯画の碁盤と、上記
で述べた、北野天神縁起の”火事場から避難させられた碁盤”の絵
が載っている。
 以下が、北野天神縁起の、裏側だけ描かれた碁盤である。

北野天神碁盤.gif

 話を最初に戻すとまず、逆L型の3点だが皆、増川宏一氏著書の、
ものと人間の文化史23-1将棋Ⅰ(法政大学出版局、1977)
に載っている。なお、将棋Ⅰには、将棋盤の足を論じているところ
で、6例の逆L型将棋盤の話または、絵画が紹介され(厩図も、数
に入れる)、将棋の渡来伝説、吉備真備説で、同入唐絵詞の逆
L足囲碁盤が紹介されている。そこで逆L足囲碁盤が、合計7例載っ
ている事になる。日本常民生活絵引を見ても、全部その中に含まれ
るから、

逆L型足囲碁・将棋盤は、平安時代末から戦国時代末に関しては、
発見されている絵画史料が、恐らくその7例だけなのであろう

と、私は想像した。数がそれなりに多い事や、日本常民生活絵引に
載っている中世の碁盤も、多くはこの形であることから、

逆L型足囲碁・将棋盤は、古代末期から中世の戦国時代中期までは、
ほぼ定番の形と言って良い

と、私も考えるようになった。
 次に、良く知られた鳥獣戯画(西暦1252年より前に成立)の
囲碁盤であるが、

L型ではなくて、丸い玉のような足だが、はっきりしない絵なので
良く判らないとしか言えない

と、私は思う。そこで、本ブログではこの鳥獣戯画の囲碁盤の議論
は、詳細には、し無い事にした。
 最後に残った、

北野天神縁起(西暦1219年成立)の
”火事場から避難させられた碁盤”の足の絵は、どちらかと言えば、
逆L型より、蓮座型に近い絵だ

と、私は思う。ただし、多角形ではなくて、丸い塊が先に付いてい
るだけなので、江戸時代の将棋盤と同じとは、言えない。中央クビ
レは、有るように私は見る。何れにしても、鳥獣戯画もそうだが、
この北野天神縁起の碁盤の足も、逆L型の普通の碁盤とは、足の形
が何故かは、私には判らないが、少し違って見えている。ただし、

両方とも単に、足になる材料を適当に見つけて使用しているだけ

というのが、理由の疑いも有る。
 しかしながら、仮に将棋盤の職人の誰かが、安土桃山時代の末に、
江戸時代流の将棋盤をたまたま作成して、”水無瀬兼成が売ってい
る、水無瀬将棋駒用である”と称して、追加セットにして売りつけ
ようとしたときに、

その将棋盤は、水無瀬兼成が作成した将棋図の元になる曼殊院配下
の、北野天神の縁起絵巻にある将棋盤を象っているので、曼殊院将
棋図にちなんでいる、水無瀬駒とセットで使うのが似合い

と、曼殊院に、推薦して貰えるような、安土桃山時代後期からの、
新型将棋盤になりそうな事だけは、確かではないかと思う。つまり、
珍しい碁盤の足の書いてある、北野天神絵巻の、その北野天神を、
配下として支配しているのが、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の元と
なった、西暦1443年将棋図の曼殊院というふうに、

将棋駒で名高い水無瀬兼成駒と、蓮座型に似た足の囲碁/将棋盤が、
”曼殊院”という共通項で、くくれる形になっている

のである。恐らく水無瀬駒は、安土桃山時代以降の上流階級の使う
将棋駒の、定番と言ってよいのではないか。だから上流階級が、
水無瀬駒を使うとき、”それを指すための将棋盤は、北野天神絵巻
の蓮座型足の将棋盤にすると良い”と言われば、元々金銭的には余
裕があるため金の力で、連座型の将棋盤を選択的に購入しただろう。
そしてその上流階級の将棋盤を、少し後の江戸時代の絵師が、将棋
盤の代表形として、北野天神縁起の碁盤の足類似の蓮座型将棋盤の
形で、縦線の切れ込みを加えて、描いているうちに、

江戸時代の特に、上流階級の使う将棋盤は、ますます蓮座の足型に
転換してしまったのではないか。

以上のように経緯を説明しても、特に今の所、少なくとも矛盾は無
いのではないかと、私には思えるようになってきた。つまり、

将棋の水無瀬駒の出現を境に、囲碁/将棋の盤の足の形が、逆L型
とか猫足型と言われる形から、蓮座とかクチナシと言われるものに、
転換しているのではないか

と私には、今の時点では疑われるという事である。(2018/11/19)

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