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荻生徂徠は11C酔象動き無知だが興福寺酔象は角行(長さん)

以前本ブログで荻生徂徠の広将棋を取り上げ、象の
ルールがビショップと同じく角行動きなのに、感嘆
を表明した事があった。今回は、荻生徂徠が何処か
ら、この情報を得たのかについて再度検討を加える。
最初に結論を書く。

荻生徂徠は朝鮮チャンギの象の縦横歩みからの2升
目制限された走り、2升目限定止まり(塞象眼有り)
ルールや、七国将棋の騎のルールで、縦横歩み、つ
いで斜め制限された走り0~3升目行きルール(本
ブログにより修正)が、”元々は象が角行動きだっ
たために、ゲーム種により、さいしょに象駒を調整、
のちに、馬駒と象がチャンギでは同化したため、馬
駒へも波及し、象と七国将棋の騎では、以上のシス
テムに基づいて、歩数調整したものである”、
との旨の情報を、清王朝時代の李氏朝鮮のゲーム史
本を見て知っていた。そのような、ゲーム史本の情
報が、朝鮮半島経由で日本に流入した事を示す

と考える。逆に言うと、11世紀に興福寺で、酔象
が、どのようなルールで指されたのかを、知ってい
るわけでは無かったと考えられる。
 では、以上の結論につき、以下に説明を加える。
以上の問題を解くポイントは、

広将棋で象が弩、砲、弓と同じ段に並べられている

という点だと本ブログでは見る。そこで、その事実
を使用して、
荻生徂徠は、”自身の作成した広将棋で象の動きを、

①インド→中国→朝鮮半島→日本と伝来した、
チャトランガ11C象動きからチャンギ象の成立に
関する謎解き文書を参照した。
か、または
②インド→雲南→日本の興福寺と伝来した、
原始平安小将棋大理国バージョンの象ルールの口伝
を参照した。”

のうちで、どちらが正しいのかを、推定してみる。
広将棋の、

 弩・砲・弓が、朝鮮チャンギの象の最初の縦横を、
斜めに変更した上で動き先、次の斜め走り(2升限
定止・塞象眼有り)を八方5、5、3、升先射る
(砲だけ跳び越えあり)に交換して作り上げた

ものだと見れば、

元ネタが、大陸の文書であり①が正しい

事は明らかだ。
 ただし、大陸の、”元々は象という駒は、その走
り升目を、インドの4人制チャトランガの時代の2
人制チャトランガの角行走りから、升目数を∞では
なくて、2に調整したものであり、調整はイスラム
教徒によって行われた(本ブログ推定)”という、
推定されるこの、中国→朝鮮半島→日本という経路
で伝来したとみられる情報は、

中国シャンチーが成立する以前の、西暦1058年
日本の興福寺の酔象の時代には、中国の北宋王朝に
は、辛くも無かったと考えられる。

 つまり、イスラムシャトランジ動きの、
2升先跳びの象は、中国には無いわけだから、

興福寺の1058年酔象木簡の酔象は、角行動き

だったと、結論せざるを得ないと、本ブログでは、
推定するという事になる。
 清王朝時代には既に、ゲーム史の研究が有ったと
みられる事から、荻生徂徠は、象の動きを朝鮮半島
から伝来した、チャンギの成立論に基づいて、たぶ
ん作成したのだろう。
 しかし、西暦1058年にはまだ、中国シャンチー
も、完全成立はしていなかったはずだから、今の所

興福寺の木簡の酔象のルールは、荻生徂徠の象と
同じく角行

と考えざるを得ない。以上のように、本ブログでは
考える。(2019/03/08)

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