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1164年平信範日記裏紙の寺の将棋盤の将棋種(長さん)

平安時代の末期の、平信範日記の1164年
5月8日の裏紙に、”京都近傍の或る寺の、
52の雑具の中に、将基局1面と馬(駒)が
有る”との旨書かれ、文書としての将棋盤の
初出とされる。2番目が藤原定家のようだ。
今回は、この将棋盤の将棋種を論題にする。
回答を書く。

不明である。が、西暦1232年の海龍王寺
制規の大小将棋の禁から見て、平安大将棋の
盤と、原始平安小将棋の盤を、囲碁盤、占い
用地盤を加えて、4面セットにして置いた

寺が、かなり有ったのではないかと推定され
る。では、論を続ける。
 上記の史料は、平凡社新書(西暦2013
年)”将棋の歴史”増川宏一著に詳しい。
 この記事が、

神御寺再興、文覚上人の僧文覚起請文の、賭
博の禁止遊戯リスト、囲碁・双六・将棋・蹴
鞠の成立期、すなわち西暦1185年に近い
事が重要

だと私は考える。つまり、

平信範日記裏紙の寺でも、大小将棋は博打の
道具なので禁

だったはずだと言う事である。日記の裏紙で、
匿名寺なのは、引越しのときの実用性等から、
必要なので、

囲碁と将棋と将棋駒が有る事をメモった

ものの、本当は文字としては、残したくない
ような、内容だったという事だろう。
 だから、史料として残ったこの寺は別とし
て、将棋盤の存在は一般には何らかの方法で、

カムフラージュ

していたはずだ。前に本ブログでは、

仏像の台の表面を将棋盤にし、その上に布を
敷いて、覆い隠した上で、それらを仏像で押
さえるという方法

で、将棋盤が有る事が、わからないようにし
ていた例が、有るのではないかという指摘を、
した事が有った。将棋盤の逆蓮座脚の起源に
ついて、考察したときの事である。
 それも、やり方の一例なのだろうが。
 将棋盤が、それとしてはっきり購入されて
いる寺では、

別の手が必要だった

のかもしれないと、私は思う。
 妙な話だがその際、西暦1164年の頃は、

平安大将棋自陣3段配列型と原始平安小将棋
は、両方指されていた方が、都合が良かった

可能性があるような気がする。それと言うの
も、これも前に、本ブログで指摘した事が
有ったと思うが、路で数えると、原始平安小
将棋の盤は8升目なので9路、平安大将棋で
自陣3段目配列型版の路は13升目なので
14路、囲碁盤の路は、言うまでも無く19
路で、9、14、19で

等差数列になっているから

である。
 これに、4路の”9星占い盤(地盤)”を、
加えると、4、9、14、19で路数が、
全部等差数列になる。つまり、これらをまと
めて置いておけば、

全部、占い盤だと言って、昔の神仏混合寺な
ら、ゴマカセル

という意味である。
 囲碁と将棋は、駒の大きさが違うので、本
来ならメッシュが違ってしまうが、大は小を
兼ねるで、平安末期の寺の囲碁盤は、

碁石よりも大きくて、スカスカなのを使った

事も有ったのではないかと私は、源氏物語
絵巻の、囲碁盤の絵等を見て想像している。
8升目、すなわち9路の原始平安小将棋盤は、
9路の囲碁盤、13升目、すなわち14路の
平安大将棋自陣3段目型の大将棋盤は、15
路に近い、14路の囲碁を打つときにも、

転用する事も出来た

のであろう。ちなみに、中国の唐時代の14
路の囲碁盤が、中国の湖南省から出土して
いるとの話が、2017年の清水康二氏の、
明治大学学位論文に出ている。
 更に、3×3升目の4路占い盤も、占い用
の小物として使用するとすれば、メッシュは、
将棋盤類と、いっしょで良かったのであろう。
 寺の隅に、これら4面を重ねておき、ゲー
ムに無関心な来客には、占い用の器具が、
まとめて置いてあるように見せ掛け、バレ
バレだろうが、一応体裁上、

僧職が賭博をする寺との印象を、薄めた

のかもしれないと私は思う。
 なおその際、西暦1230年頃までは少な
くとも平安大将棋に2タイプあり、自陣3段
目型と自陣4段目型が、並存していたので、

自陣3段目型の盤を寺では置いたと見られる。

 どうしてかというと、原始平安小将棋盤、
平安大将棋盤、囲碁盤が3面について全部、

聖目が4線目になるので、類似性が、更に
尤もらしくなる

とみられるからである。元々4線の”本物の
9星占盤”には、聖目は無かっただろうが。
他は形が揃っていたという意味である。問わ
れたら、”19路の囲碁盤のように見える
物品は、当寺では占いに使います”と、強弁
したに違いない。
 以上のような”四器”が、それだけないし、
逆蓮座型の足を付加して有力な寺に、しばし
ば、4基ワンセットで存在したのではないか。
 以上の事から、大将棋類は総じてゲームと
して複雑だったので嫌われたという説が、現
在の将棋史界では強いのだが。実際には、
将棋盤のデザインが、占い盤、小将棋盤、
大将棋盤、囲碁盤と組み有わせると、全体と
して、鎌倉仏教高僧流の言ぐさであったろう、
”笑止千万にも、寺なんかでする賭博の道具”
のイメージが薄められた。その為、

大将棋のゲーム具自体の存在は、寺の下級僧
達には、存在するだけで案外、歓迎されてい
た可能性がある。

以上のように私には疑われるという事である。
(2019/11/29)

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