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山形県米沢市より奈良時代奔金(?)土器(長さん)

以下出土した土器の墨書が劣化により、元々
の、”丹金”と思われる文字が”奔金”に見
えるという、出土遺物についての紹介である。
 表題のように、この遺物は山形県米沢市
の笹原という遺跡で、1981年と、相当前
に発掘されている。
 出土地点の周辺に、有力な遺跡の記録は無
いが、奈良時代とみられる土器と共に問題の
墨書遺物が出土しており、成立は古代に遡る。
発掘報告書がweb上に公開され、pdf
ファイル名は、以下の通りである。
5424_3_笹原遺跡.pdf、5424_4_笹原遺跡.pdf、
5424_5_笹原遺跡.pdf

これもまた奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録され
ている。報告書の表題は、以下の通りである。
米沢市埋蔵文化財調査報告書第7集
笹原
米沢市都市計画課、まんぎり会、米沢市教育
委員会、西暦1981年10月
まんぎり会とは、早くからこの遺跡に注目し、
調査を行った、民間団体のようである。
 報告書のpdf上の第5分冊、
5424_5_笹原遺跡.pdfの、第35図版の、
2番目に、この土器の底面の墨書部の写真が
載っている。

笹原遺跡奔金.gif

本ブログでは示さなかったが、1番目は明ら
かに、丹金(赤金)と書かれた、別の土器の
底面の墨書の写真である。

 傷が付いて、上の図では丹金が奔金のよう
にも見えているだけである

と別の遺物からほぼ推定できる。よってこの
ケースは、

摩訶大大将棋の奔金が、奈良時代に成立して
いた事を示唆するとは考えられない

と見られる。
 なお、発掘報告書では”舟金(?)”となっ
ている。

意味が通るという点で、舟金よりは丹金と
読んだ方が、良いのではないかと私見する。

 赤金(あかがね)を器に入れて使用出来た
人物が、古代に米沢市の笹原遺跡には居た事
になる。遺跡らしきものが、見当たらないと
されるが、実際にはこの近辺は、有力者の住
居跡だと言う事なのかもしれない。
 また奈良時代まで日本では盛んだったと聞
く、金銅仏の制作とも、これは関係するのか
もしれない。そもそも奈良時代に、方々で
金銅仏が作れたのは、日本でも金鉱の存在が、
その当時には知られていて発掘が盛んであり、
それを押さえていた人物には、高価な仏像等
が作れた事を示しているのであろう。丹金の
文字は、素直に見れば何らかの理由で、小型
仏像作りの為の、材料を入れるための器の目
印のようでもあり、遺物を報告書の考察部の
ように”舟金”ではなくて、本ブログのよう
に”丹金(あかきん)”と読めば、造仏に絡
んだ

金持ちという意味での有力者の居住

を示唆している点。以上の点で、余り記録が
残らなかったが、重要遺跡の一つと言えるの
ではなかろうかと、このケースついて、私は
考えた。(2021/01/15)

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