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鹿児島県南さつま市馬塚松遺跡で縄文早奔馬墨書土器(長さん)

今回は、鹿児島県の遺跡で縄文土器の破片
であり、発掘報告書によると早期縄文時代
成立とされた出土遺物に、漢字で奉王馬と、
書かれているように見える、物品があると
の旨の紹介である。

弥生時代の遺物も出土しているので、墨書
の成立は、紀元前後のものであるものの、
相当に早い時期の墨書であると疑われる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファィル名は以下の通りである。
22763_1_農業開発総合センター遺跡群馬塚松遺跡・市堀遺跡・大門口遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(97)
馬塚松遺跡・市堀遺跡・大門口遺跡、西暦2005年1月、
鹿児島県立埋蔵文化財センター。
 遺物はこのうち、最初の馬塚松遺跡で、
出土したようである。互いに数百メートル
離れていて、関連性はないようである。
 発掘報告書冒頭にある報告書抄録による
と遺跡の場所は鹿児島県南さつま市金峰町。
遺物が出土したのは、西暦1998年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、写真図版で縄文時代
早期の部分に掲載され、発掘報告書第11
ページの記載によれば、縄文時代の早期土
器が出土する地層第Ⅲ層から出土し、側面
がわずかに残り、そこに縄文が検知される
ので、縄文時代早期と解釈されたように、
読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第7:
”(馬塚松遺跡)縄文早期出土土器(2)”
の最上段右に在り、遺物番号第26番との
旨、ナンバリングされている。土器の底部
の破片を、内側から見ているように、私に
は見える。

馬塚松奔馬.gif

 上図のように、漢字で「馬」のように見
える、灰色の模様が在り、その上に「上」
か「王」か「山」、更に上に、「奉」のよ
うに見える模様が、薄いが何かあるようで
ある。

漢字で「奉王馬」・「奉上馬」ないし
「奉山馬」と書かれている

ようにも見える。
 縄文時代早期とすれば、漢字そのものの
成立していない時代のものとなる。写真は
側面のササクレが僅かに見えているものの、
内側から撮影されているためか少なくとも
本ブログの管理人には、

縄文土器の破片ではなくて、弥生時代の土
器が、深く埋まったようにも見える。

 何れにしても、渡来人しか漢字を書かな
い時代のものであろう。、漢王朝時代の渡
来中国人が鹿児島で放牧をしており、中国
へ、駿馬を献上する際に付帯させる遺物と
いう意味のように私的に解釈し、渡来人の
存在についても疑っている。(2023/02/07)

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