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(コラム)南沙織等の17才はカモメハラス(長さん)

日本の将棋には多分無い駒だが、西暦1971年
頃成立で、「鴎」という駒が存在すると疑われる
情報がある。作詞が(故)有馬三恵子で南沙織と、
森高千里が唄っていた「17才」の2番である。
 日本将棋と異なり、将棋盤に準えられる舞台と
なる屋外で、無風で無く強風が吹く環境で、風の
力と等しい逆向きの抗力が生じるよう、鴎が
羽ばたく事を命令/哀願していると取れる歌詞部
分が有る。
 西暦1971年頃には強風の状態で、

大気成分は、速い同じ速度で流れる「層流」とし
て流れると

少なくとも近似的に、イメージされていたと受け
取れる内容の、歌謡曲用の詩である。鴎が一定の
力を生じるように羽ばたけば、静止出来るように
一見して取れる、内容だからである。
 だがその後、特に今世紀に入ると、大気状態は、

強風のときには乱流状態であり、スパコンで実態
を把握する必要が有るというのが根本的イメージ

である考えられるようになったと、流体力学を取
り扱った、複数のwebサイトから、私にも認識
される。
 その為鴎は乱流の中で、向きや風速による風力
が、カオスか、ないしフーリエ変換すると周波数
がFの-1乗で減少するような、「揺らいだ力」
を常に受けながら、そのつど、羽ばたきを調節し
て、飛んでいる位置もそれに連れて

小さく揺らぎながら、平均すると同一の、座標空
間の空中に留まっているような状態に、ならざる
を得ない

とイメージすべき、なのではないかと私には疑わ
れて来る。だから、「動くな」と、実際に歌われ
ていた歌詞のように、命令/哀願しても、それは
所詮無理難題であり、無理難題を押し付けるのは、
極論を取ればそれは、

鴎に対するハラスメントとも言える

のではないかと、少なくとも、私には思えている。
 その為、実際に南沙織や森高千里が唄っていた、
有馬三恵子の詩を、積極的に「17才」の歌詞で
有ると盲従してコピペで広めるのも、私はどうか
とも、最近疑うようになった。
 もっとも察するに、元々は「飛ばされるな」と
命令/哀願する歌詞に、有馬はしたかったのだが。
字余りになるので、自身の山口県防府市富海海岸
での、遠方からの鴎の観察で、歌詞を切り替えた
だけなのかもしれないと、好意的には考えられる
のかもしれない。
 実は、この問題は「動くな」と命令する相手を、
鴎から「キイス」する相手に変えると回避出来る。
 元の歌詞と、改善した歌詞は、それぞれ次の通
りである。

以下は有馬のオリジナル>

(曲の2番の途中から)
二人(ふたり)カモメになるのよ。
かぜは大(おお)きいけれど
うごかないで、おねがいだから。
好きなんだもの、わたしは今(いま)
生(いき)ている。
(間奏)
あつい生命(いのち)にまかせて
そっと「きいす」していい?
そらも、うみも、みつめる中(なか)で。
好きなんだもの、わたしは今(いま)
生(いき)ている。

以下は、鴎に「動くな」と命令し無い改善版>

(同じく曲の2番の途中から)
二人(ふたり)カモメになるのよ
かぜは大(おお)きいけれど、
ゆらぐ、なみの煌く(きらめく)はまべ
好きなんだもの、わたしは今(いま)
生(いき)ている。
(以下、オリジナルに無い3番を追加)
汐(しお)が、変(かわ)るころ
ふたりの愛(あい)で満(みた)されたくって
あなたの胸(むね)に
飛(とお)び込んでみたの
あつい生命(いのち)にまかせて
そっと「キイス」していい?
うごかないで、おねがいだから。
好きなんだもの、わたしは今(いま)
生(いき)ている。
(繰り返しだが、間奏は入れ無い)
二人(ふたり)カモメになるのよ。
かぜは大(おお)きいけれど、
そらも、うみも、みつめる中(なか)で。
好きなんだもの、わたしは今(いま)
生(いき)ている。

なお、一例として「ゆらぐ、なみの煌く(きらめく)
はまべ」の写真として、以下のような画像例が

南沙織17才.gif

web上にあるようである。蛇足だが浜に見える白
いものは雪だという事である。ひょっとすると唄わ
れている頃は、南岸低気圧が通過した後、こうした
海岸を大風が、中国山地を吹き降ろして、北から南
に吹く季節なのかもしれない。そしてこうした陸地
乱流を伴う大風に揺らされると、鴎が3次元酔歩型
で揺らめく又はよろめくだけでなく、海岸付近の波
もまた、当然ながら、ブルーバックス「波のしくみ」、
佐藤文隆・松下泰雄、(2007)、(株)講談社
の第108ページ付近の記載から、液体に粘性が有
る場合には、渦を巻いて複雑に、私の読んだ限りは、
例えば周波数揺らぎを起こすように読み取れる。他
方同書第90ページ付近の記載から「液体の水には、
粘性が有る」と取れる旨の記載が有る。ので、波は、
その波高をフーリエ変換すると、例えば1/fの、
パワースペクトルで、周波数揺らぎを起こして揺ら
いでいると表現するのが、穏当なのではないかと私
には疑われる。「揺れる」は波に浮かぶ舟等の表現
で有り、波自体は、ローリングしながら揺らいでい
るので、「揺れる」よりも「揺らぐ」の方が、適切
だろうと、前記で「揺れる」か「揺らぐ」で、任意
性の残る変更部分に関して、「揺らぐ」が良いと私
は考えている。
 不動を哀願する対象が「鴎」から「キイスする、
アベックの相手」に変えても余りおかしく無いのは、
ひょっとすると、最初は3番まで歌詞が有ったのが、
新人用の歌だというので、有馬に詩の全体としての
長さを減らすように、私には詳細不明だが、何者か
上層部から、指示が出たからなのかもしれないと私
には好意的には察せられる。他方歌手の南や森高は、
1番の歌詞で、ヒットしたのは目に見えていたので、
スターになれれば自身には余り関係が無いという観
点から、結局誰も、歌詞の2番の「鴎ハラス」には、
頓着し無くなって、こうなったのかもしれないと私
は察する。
 何れにしても、強風のもとでの大気の流れの根本
的認識が、前世紀から今世紀に入り「近似的に層流」
から、解明にスパコンを持ち出すような「乱流」に、

運悪く大風のイメージが時代変化してしまったので。

 私はオリジナルの有馬の詩ではなく、ここで紹介
した3番まで有る『17才』、つまり「こんな感じ
の作詞の曲が、その時に唄われたようだ」と

他人には以降、情報伝達して、後世に「謎」を残さ
ないようにしたいと希望

しているという事になる。(2024/03/27 その2)

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