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インド・チャトランガはアラブ・シャトランジでどう変化したのか(長さん)

 インド・チャトランガは、イランに伝わり、シャトランジと名前を変えたと
言われている。しかし、これがもう一回、インドに逆輸入され、インド・シャ
トランジとなったが、大内延介将棋九段著書の「将棋の来た道」に文中に記載
されているように、結局の所、現代では、古典的アラブ・シャトランジか、西
洋チェスと、2通りの意味に使われている。
 さて、アラブ・シャトランジにも、前回述べたように、中国シャンチーと、
ほとんど構成駒の動かし方のルールが、等しくなったとみられる、西暦800
年頃までの間に、何らかの変遷が、無いとは言えないと考えられる。ただし、
この点に関する情報は、少ないと認識する。すなわち、このシャトランジの前
史に、更に歴史があるかどうかは、チェス史の学習が足りない私には、今の所
よくわからない。前回述べた内容からすると、インド・チャトランガは、アラ
ブに伝来してからしばらくの、西暦800年~900年の頃には、1段目駒の
動きは、

玉駒が玉将、副官駒が玉駒近似で金将かも。象駒が飛車の動きで、桂馬が桂馬
かも。車が跳ぶ猛牛の動きかも、という事であった。

なお、この動きと、当時のアラブのシャトランジ駒のルールは、違うはずであ
る。なぜなら、増川宏一氏「将棋Ⅰ」によると、上記のインドチャトランガを
記録した人物が、アラブ人のアル・アドリだからである。チャトランガとシャ
トランジが同じなら、アル・アドリは、

「自国のゲームと、ルールは同じである。」と、記録すれば良いだけ

だろう。私に言わせれば、インドのゲームよりも、自分の国の将棋のルールに
ついて、アル・アドリには、詳しく書き残してほしかったように思う。
 以前書いたように、

(1)インド・チャトランガからアラブ・シャトランジに移行するときに、副
   官駒は、例えば金将の動きから、士の動きになった

と、私は考えている。その他についても、全部、今に記録が残る、アラブ・
シャトランジに変化したとしか、今の所私には言えない。だから、変化の内容
は、恐らく次のようだったのだろう。

(2)象駒の飛車と、車駒の跳ぶ猛牛が先ず交換された。位置が元もとが、逆
   だったのかもしれない。
(3)象駒が跳ぶ猛牛から、縦横を斜めにする変化をした。つまり、跳ぶ猛牛
   から、跳ぶ後期大将棋の飛龍に変化した。
(4)インドのゲームの影響も受けながら、後に桂馬も桂馬の動きから、八方
   桂馬の動きに変わった。

なお、以上の論で、(1)・(2)は、駒の名称から来るイメージにあわせた
もの。(3)は、木村義徳九段の「持駒使用の謎」に、賛成して同じ考えを、
示した。特に(1)と(2)が、インド・チャトランガの、たとえば西暦
600年~800年の間の変化によるものなのか、アラブ(イラン)に伝わっ
てからの、西暦800年頃までの変化なのかは、浅学の私には良くわからない。
 ただ、(2)の変化がアラブに特有の物であるとすれば、その後のインド・
チャトランガの変化に、アラブ・シャトランジは、追随しにくいので、遊戯の
歴史の流れは、説明が判りやすくは、なるかもしれない。一応今の所、
欧米のチェス史の研究の権威H・J・Rマレーと意見が一致しないが、
シャトランジ内部での変化説、つまり、日本駒名訳した”イランでのシャトラ
ンジ時代の飛龍駒の猛牛起源説”の方を、私はとっておきたいと思う。
(2017/08/07)

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