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ヴァルダナ期の将棋文化とインダス期は繋がるか(長さん)

言うまでも無くインドバルダナ朝は7世紀の
事であり、同じインド・パキスタン領域で
有っても、はるかにそれ以前の、紀元前20
00年より、更に前のインダス文明期とは、
全く時代が別であり、民族も同じで無いとみ
られる。
 しかし、互いの関連性がゼロとまでは言い
切れないという考えについて、今回は論じる。
共通性について何を見るのかと言うと、

数学的な美しさと、現実として存在する物の
特性の表現の的確性とで、どちらを優先させ
るのか

という点について、議論を集中させる。

中国文明とギリシャ文明イスラム、更に西洋
文明は前者、インド中世は後者の疑いが強い

と、ここでは見る。イスラムシャトランジの
象、馬、車駒が、飛龍、八方桂馬、飛車であ
り、実体よりも前後左右対称性という、幾何
学的美しさを優先させているのに対し、本ブ
ログの論では、少なくともインド2人制古
チャトランガ系列の、宝応将棋(本ブログモ
デル)で、象、馬、車駒が、飛車、桂馬、香
車であり、図体からくる強さと、走りの性質
を表していて、各文物の現実的な特性を写し
ているように見えるからである。
 ではモヘンジョダロと、ハラッパ遺跡で有
名な、同じインド・パキスタンで、バルダナ
朝の2500年前のインダス文明期の文物に、

チャトランガ系の象馬車の現実重視と同一パ
ターンの性格を、示す事物があるのかどうか

というのが今回の論題である。回答を書くと、

ある。それは、モヘンジョダロ遺跡から出土
のサイコロである

という事になる。では以下に、論を続ける。
 一般に、現在使用しているサイコロと、
インダス文明のサイコロとは、1~6までの
目があり、立方体である事で共通だが、
1の裏が2、3の裏が4、5の裏が6である
点で、今の合計で7になる、ギリシャ起源と
も言われ、欧州伝来かとも思われる、今の
サイコロとは違う。重要な点は、

インダスサイコロの方が、イカサマがし難い
という点で、むしろ今のよりも優れている

とみられるという事である。
 我々はサイコロと言うと、ランダムに1か
ら6まで、公平に目が出るという風に、教育
された思想に基づいて、

西洋式”美しい数学の感覚”で捕らえている。

また、上下の目の合計が7なのが普通なため、

その他のパターンのものは、旧式と決め込む

傾向があるように思う。しかし本当に、

インダスサイコロより、今の方が優秀なのか。

というのも、よくよく考えてみると、
コインで表裏どちらかが出やすい程度の精度
で、力加減を調整する練習を、イカサマ氏が
何年にも亘って、訓練し続けるとしよう。今
のサイコロの方が、インダスのサイコロに比
べて、

4、5、6、のどれかの方が1、2、3のど
れかよりも、かなり出やすくできる

ように、私は認識するのである。なぜなら、
合計で目が7になるサイコロは、必然的に、
1,2,3が互いに一定の頂点に対して隣接
し、4,5,6も、同様に互いに一定の頂点
に対して隣接しているからである。上記の合
計目数が偏ったどちらかの頂点を、それとな
く一定方向に向けてから、適当な力加減で、
一見ランダムに、個人の癖と”長年の熟練”
で、外見上はさも尤もらしく振って落すよう
に見せかけて、その実は、全体として、1~
3までが、4~6までより、出易さが違うよ
うに、何年もかけて練習するとする。そう
すれば、特定のゲーム、たとえば盤双六で、
勝ちやすい傾向が出るように、サイコロ目が
出せる程度にまで、イカサマ・サイ振りする
事は、

現実として可能

なのではないのか。つまり、裏表の合計目数
が同じラッキーセブンになるという、数学的
賛美性よりも、イカサマを現実として、どう
やって防ぐのかという、

現実を見る目が、現代の我々にさえ無いのだ
が、古代のインド人には有った疑いがある

という意味である。
 そしてどのサイコロの頂点も、3方合計目
数で最低が9、最大が12のサイコロを作り
出した結果が、今のサイコロの構造との違い
という疑いがあるのではないか。以上のよう
に、私には思える。なお、例えば盤双六で、
系統的に、あるときには全体として小さい目、
また他のときには全体として大きい目が出る
と、勝ちやすいという事に関しては、私は

前に、最終回の遊戯史学会で、口頭で草場純
氏から聞いている。

私は、盤双六やバッグギャモンはしないので、
よく判らない。が、たぶんこれらのゲームに
ついて、草場氏の言う事は、本当の事なので
あろう。実際には、小さい目を出せるように、
コントロールできるイカサマが、仮に出来た
とすると、勝ちの確率が増えると結論出来る
ような事を、草場氏は遊戯史学会の最終回講
演のときに、言っていたようだ。
 たまたま、偶数か奇数ではなくて、目の大
小が、勝負の勝敗を決めるゲームが有るので、
インダス文明のサイコロの少なくとも一部は、
上下定数7方式にしないように、工夫してい
たと考えれば、説明できると言う意味である。
 以上の事から、

インダス期の1の裏2の目等のサイコロと、
象が強く、より弱い馬、車が前方動きの将棋

とは、現実的な物の機能性、このケースは、
乱数を発生させる道具として、出来るだけ
欠陥の少ないものにするという事を重んじる
古代インド人という、現実直視という共通イ
メージが、チャトランガの駒の動かし方ルー
ルにも、サイコロの目数の配置にも、どうも
有るように、私には思える。
 なお、将棋の駒とサイコロは、11世紀に
はインドで成立していた四人制チャトランガ
のどちらも道具であるという点で、強いつな
がりのある物品である。だから今回の考察は、
かけ離れた概念の物品同士の、たまたまの例
の論理的な結合とは、必ずしも言えないと私
は見る。
 以上の事から冒頭に述べたように、紀元前
20世紀のインダス文明と、7世紀頃の、
バルダナ期のインドの文化とは、

つながりが全く無いと、言い切れないケース
が存在する事は確か。

以上のように、私は結論するのである。
(2019/12/21)

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