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今昔物語29巻末備話記事で時刻計算よりの成立時期(長さん)

次に、摩訶大将棋(摩訶大大将棋)の成立年代の
特定に関連して、今昔物語集の成立時期特定に関し
ての考察結果を書く。
 以下では今昔物語集で最後に近い時期に書かれた
とみられる部分の、成立時期について考察している。
原本は、鈴鹿本だけを頼りにする事にする。結論を
書くと、

29巻第39話(/40話)の時間から時刻を換算
しているとみられる表現から、
鎌倉時代中期以降~戦国時代までになる。

では、論を開始する。前にも述べたように、今昔
物語集の鈴鹿本は、原本に近い書写本とされ、
第29巻まで残っている。ので、今昔物語集(全
31巻)で最終成立したと確認できるのは、第29
巻の末備部分であろうと推定できるだろう。
 そこで29巻を見ると、第39話と第40話が最
後であり、そこには”悪行を働く蛇を題材”にした、
対の話が書かれていて、同一人物作のように、私に
は思える。それでその巻が終了している。ここでは、

第39話を問題にする。

題名は「蛇見女陰発欲出穴当刀死語第・・」である。
 第・・なのは、鈴鹿本に番号記載が無いからで、
編者が最後に39~40話を、持ってこようとして
いるための、ナンバリングの抜けのようである。
つまりこの話は、全集本を完成させるための即興作
だったようにも私には見える。表題は官能小説風で
あるが、辰の時に発生して、その4時間後の午の時
に異変が通報されたとする事故話のようであり、一
種の急病人の処理に関する話であるようだ。ちなみ
に、最初に目撃した子供が、事故の時間経過解明に
活躍している。
 ここで注目するのは、今述べたように事件発生か
ら発見までの時間差を、物語中ではっきりと、

4時間である旨、ダメ押し表現した下り

である。つまりその結果、時の奏のやり方が、
鎌倉時代後期型であるとの旨の、ボロを出したよう
に私には見えるというのが、本ブログの論法である。
 それでは説明を開始するが、平安時代には、太鼓
と鐘を鳴らす等して、時刻が少なくとも京都市内で
は、知らされていたとされる。が問題は、平安時代
末頃までなら、時刻は、28分48秒ごとか、また
は、30分00秒ごとに太鼓と鐘で示されるので、
”辰の時”と表現しても、実時刻(地方時)が、

7時00分ないし、8時55分12秒までの範囲で
曖昧

なはずなのである。
 つまり文中では、
”辰の時許(ばかり)の・・”と表現されていて、
値域が0~4範囲の補助単位である刻(点)表現が
無い為に、これがもし平安時代の感覚だとすれば、
事故発生が7時00分から、8時55分12秒と、
巾を持った、どこかという表現になっているという
意味である。だからその、

2とき(時)後つまり4時間後は、11時00分前
後ないし、13時過ぎ程度なので、平安時代感覚
では「午”どき”ないし、未”どき”」のはず

なのである。ところが、物語中では、”2とき(時)
が経ちであるから(4時間後は当然)午の時(に成
りにけり)”と誤って決め付けてしまい、平安時代
とは別の感覚だと、バレているという訳である。
 これは、この物語りの作者が現代人と同じで、
辰の時の鐘は、辰の正刻つまり8時00分に撞くし、
午の時の鐘は、午の正刻つまり12時00分に撞く
と決め付けていると考えると、何故間違えたのかを
説明しやすい。
 つまり、第29巻第39話に書かれた時間から時
刻へ換算する感覚が、

平安末ではなくて、鎌倉時代中期以降感覚だから、
29巻39話の成立は、鎌倉時代中期が古い限度

だという論法が成り立つのである。
 ついでながら、鐘を正刻に打つのは、たとえば
鎌倉時代なら、寺が読経の時刻を決めているので、
その合図で、寺の鐘を撞くのを、時刻を知る目安
にしている場合等が考えられる。
 それは平安時代の街の時の奏が、鎌倉時代中期以
降は衰微しているので、代わりに大寺院の時の鐘を
時刻を知る目安にしているというような、ケースで
ある。

だから、少なくとも今述べた第29巻第39話は、
平安時代に成立した話としては不自然で、実際には
鎌倉時代中期以降に成立した

ように、私には思える。
 実際には、時の奏の無い中世に、平安時代も同じ
だったと勘違いして、

辰の鐘の2時間後程度は、平安時代でも午の時で
あると、決め付けたのが敗着手だった

のではないと、私は評論しているという意味である。
 思えば、鎌倉時代後期から南北朝時代の頃ではな
いかと私には疑われる今昔物語集、第29巻39~
40話の作者は懸命に、物語りを平安時代に見せか
けようとしたのかもしれないが。恐らく、半日に当
る時間巾で、物語りを表現して充分な事故発生・発
見処理間の時間経過描写に、「4時間」という表現
や、午どき(時)という表現を、ことさら細かく持っ
てきた所が、失敗の始まりだったと思う。だから、

物語の作者は中世に、大寺院の鐘撞きを、担当した
事が有った者なのかもしれない

と作者の素性まで、淡く見えてしまっているのでは
ないかと私は疑う。
 以上の事から、「蛇見女陰発欲出穴当刀死語第・・」
は、時の鐘を、寺院で読経の時刻の目安にする目的
で、たとえば正刻に一回鐘を撞くようになった、
”時の奏”制度の崩れた、平安時代とは別の時代の
ものであり、よって

鎌倉時代後期から西暦1446年の間頃に成立した
もの

であると私は考える。そしてそれは平安時代の時刻
表現を、第29巻第39話の作者が不完全に理解し
ている事から、その事が起こっているのではないか
と、私は現在疑っている。
 同じ鈴鹿本の山姥関連の話(第27巻第15)を
含めてその他の話が、これと大きく成立年代が違わ
ないとすると、

今昔物語は西暦1440年代より、はるかに以前の
話であるという通説には、やはり疑問を感じざるを
得ない。

以上のように、私には結論されるのである。
(2020/09/21)
参考文献:岡田芳朗編”暦の大事典”、朝倉書店
(2014) 

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