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水無瀬兼成三升踊駒の中世鎌倉中将棋存在不知(長さん)

本ブログでは、神奈川県鎌倉市の御成町で
発掘され、よみがえる中世 武士の都鎌倉
に掲載された、今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡中将棋木札を根拠に、南北朝時代に、
少なくとも鎌倉では、狛犬駒の有る中将棋
が指されたとの見解を取る。また恐らくだ
が、原因は師子に関する特別な規則が原因
で、刃傷沙汰が有り、”御遊び”が原因で、
死人が出たのを問題視したためとも推定し
ている。要因は、鎌倉武士が気が荒いため、
勝負の些細なトラブルで、刀を抜いての斬
り合いが有ったであろうと考えたのである。
これは逆に言えば、トラブルがあっても寛
容なため、京都の貴族の間ではゲーム性が
優先されて、

狛犬の入った中将棋は指されなかった

とも、推定できよう。怪しい勝ち方を相手
がしても賭けた物品は出すような雰囲気が、
先祖伝来も含めて物資を豊富に所持する公
家の間では、普通だったのではあるまいか。
 よって、安土桃山時代末期に関西在住の
人間であって、一族内にトラブルを抱えて
いたとはいえ、自分もまた公家の仲間であっ
た水無瀬兼成には、

狛犬駒が摩訶大大将棋より下位のゲームで、
現われなかったと誤解されても仕方が無い

と推論も出来る。今回は、将棋纂図部類抄
の序に、以上のような推論の証拠が書かれ
ているのを発見したので以下に紹介する。
ずばり、

其図者逸失、其法欽籍茲綮従”縦横三三之
秤目”泊于摩訶大大之陣面横兵馬行列
於解卸。

と後ろから4~5行目に書いてある。つま
り、水無瀬兼成は、

3升目踊り駒が有るのが、摩訶大大将棋
以上の将棋の特徴と思っていた事が、この
部分から判る。

 以下私の心象だが。水無瀬兼成の時代に
残っていた将棋のゲーム種に関する史料は、

現代と、余り変わらない所まで減少

してしまっていたようだ。上の一文は、そ
の事をも、述べているとも取れる。
 少なくとも近畿地方では、”トラブルに
なるから、『師子に関する特別な規則』の
有る中将棋を避ける”という行為は、歴史
的に見て不要な為、ほとんど行われた事が、
無かったのだろう。以上ように今の所、
将棋纂図部類抄位しか、まともな情報が無
い為、推定せざるを得ない状況だろう。
(2021/01/09)

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