SSブログ

千葉県光町篠本城跡から複数の仲人墨書土器(長さん)

以前茨城県石岡市鹿ノ子から平安時代成立、
佐賀県唐津市中原遺跡から古墳時代の仲人
墨書遺物をそれぞれ報告したが、茨城県の
隣の千葉県匝瑳郡光町の篠本城跡からも、
仲人と書いてある疑いの有る、奈良・平安
時代8世紀成立の墨書土器杯がある事が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている発掘報
告書から判った。web上にpdfファイ
ルで公開されており写真の出ているpdf
ファイル名は以下の通りである。
22011_2_千葉県匝瑳郡光町篠本城跡・城山遺跡
なお、城山遺跡は篠本城跡の現地の別名の
ようである。
 しかも、上記pdfには、杯の底の面に、
仲人と書かれている疑いの有る土器が、

1枚ではなくて、8枚程度載っている。

成立年代は、皆ほぼいっしょのようだ。
遅れたが、発掘報告書の名称は以下の通り。
財団法人東総文化財センタ一発掘調査
報告書第21集、千葉県匝瑳郡 光町
(そうきぐん ひかりまち)
篠本城跡・城山遺跡、千葉県企業庁・
財団法人東総文化財センター、2000年。
なお下の図は、一例として
図102奈良・平安時代遺物⑮41号住居
跡出土遺物の、上段右から2番目に載って
いる、136とナンバリングされた土器の、
底の写真である。

篠本城跡仲人.gif

その他、字がやや不鮮明であるが、
123番、137番、177番、229番、
230番、303番、339番の7枚にも、
底に仲人という墨書が有るようであり、全
部でこれで8枚になる。なお、仲人の墨書
について、

8枚共に、発掘報告書には指摘は無い。

墨は存在してもかなり淡いのは確かである。
ただし、番号304番の土器の裏に”四止”
と読める土器杯が有ると、発掘報告書には
記載されている。仲の字のニンベンを除く
と、淡くなると類似に見える字であり、何
か関連性が有るのかもしれない。
 なお、発掘報告書の本文中に、個別の遺
物や住居の説明は特に見当たらない。珍し
いことだが発掘報告書として、この遺跡の
分は、きちんと揃ってweb上に公開され
ていない。8世紀という点につき推定経緯
が、層序の説明も無く、発掘報告書データ
ベースに登録された情報だけでは、はっき
りしない。一応結論として、奈良・平安時
代のものとされている事が、本ブログの管
理人にも判る程度に、書いてあるだけのよ
うに、今の所認識する。ようするに、

本文編が”啓蒙書”風であって、”専門書”
的に書かれていない

という意味である。
 別の遺跡の所で前にも述べたように、恐
らくこの仲人は、紛争の調停者の中世の仲
人では無く、古代のスペシャリスト技術者
の意味の仲人だと思える。が、これだけ数
が有ると、8世紀の千葉の豪族の、

結婚式の仲人(なこうど)の器だったので
はないか

と、さすがの私も、心配になって来てしまっ
た。何れにしても、駒数多数日本の将棋の
仲人の存在を、この遺物が示唆していると
は言えないだろうと考える。(2021/02/21)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。