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兵庫県川西市栄根遺跡で4C奔王墨書土器(長さん)

以前、表題の兵庫県の遺跡で、漢字で、
いっけん「奉金山」と書かれているよう
に見える、弥生時代から古墳時代初の3~
4世紀前後に成立したとされる、墨書遺物
を紹介し、兵庫県の地元の領主に金を奉じ
た漢王朝時代~六朝時代の中国人が居て、
元々鉱脈探査の為に、来日したものである
等と論じた。
 しかしながら、奉じる領主が居たかかど
うかは、この墨書の語句の内容からは実は
不明解である。しかし今回は「奉金山」
墨書土器と同じく住居跡4-b最下層から
出土した土器中に、実は表題の将棋の駒名
の奔王に似た「奉王」と読める、奉じる相
手の存在を示す別の土器が有るのを、本
ブログの管理人が、見逃していたのに気が
ついたので、以下に紹介する。
 出展は同じ発掘報告書である為、
以下の通りである。
 発掘報告書が、奈良文化財研究所発掘
報告書データベース、全国遺跡報告総覧に
登録公開されているとの事であった。
 pdfファイル名は以下の通りである。
20169_1_栄根遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告書第14冊永根遺跡、
西暦1982年3月、兵庫県教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の
場所は、兵庫県川西市栄根2丁目。遺物が
出土したのは西暦1979年前後。
 「奉王」墨書土器は「奉金山」墨書土器
と、同一箇所のやや深い地層から出土して
いる。深さの差は、成立年代の差に、この
ケースは、響か無かったようである。
「奉金山」土器「奉王」土器の成立年代は
発掘報告書の第57ページ付近に、遺物は
住居跡4-b下層か最下層で出土したが、
畿内第Ⅴ期様式の土器出土層で、その成立
年代は、発掘報告書第60ページ付近の
記載によれば弥生時代後期~古墳時代初期
の、3~4世紀頃と見られているとの事で
あった。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
60:”第6次調査”(上)住居跡4-b
最下層出土土器・(下)住居跡4-C出土
土器”の上カラムの第2段左に在り、
遺物番号で、同4-b住居跡出土遺物の第
39番との旨、ナンバリングされ、杯型の
土器の底を裏から見たような写真のように
私には見える。

永根奔王.gif

 上図のように、第1字目の「奉」が、
やや不自然に細長いが、縦に「奉王」と、
2文字書いてあるようにも見える。同一
地点から出土した、以前の第19番土器と
組み合わせると、渡来人は鉱産物を、王、
つまり領主に奉じた事が推定できるように
思われる。
 更に、この回のこの遺跡の発掘では、
鉱物探索が山岳部で行われた事を、「山奉」
という別の出土土器が示している。即ち第
3の遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
79:”第5次調査;大溝出土土器”の
上カラムの、第2段右から2番目に在り、
遺物番号で大溝出土遺物の第30番との旨、
ナンバリングされ、壷型の土器の破片の、
口元の写真のように私には見える。

永根山泰.gif

 上図のように、写真の左側やや下に、縦
に漢字で「山奉」と読めるような暗い模様
が見える。
 なお、大溝の成立年代は、発掘報告書の
第9ページによると、古墳時代の中期、
5世紀頃と、やや前の2個の土器に比べて
下る。が、鉱物探査をした結果、山岳信仰
がこの地に定着したとすれば、鉱脈は山岳
部で捜索されたのであろう。
 以上のように追加で本ブログの管理人が
気がついた、2個の古代よりも遡ると疑わ
れる2個の、墨書を疑わせる遺物土器から、
以前結論したように、大陸中国から渡来人
が、兵庫県川西市に3~4世紀に渡来し、
地元の領主に、鉱脈から発掘した鉱産資源
を、奉じるといった行為が有ったと考えざ
るを得ないように、私は個人的に、依然と
して疑っているのである。(2023/02/28)

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