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インド2人制チャトランガ序盤八方桂王手飛車は(長さん)

 以下、日本将棋にとって重要な、二人制古
チャトランガの馬の ルール問題について議論
する。
 以前述べたが、インド2人制古チャトランガ
を、西暦775年頃に、アッバース朝にて
イスラムシャトランジに転換した際、飛車動き
の象と、飛龍動きの車は、逆転させられたと見
られている。表題のように、序盤の王手飛車を
避けるためだったと、本ブログでは見ている。
 では、そもそも西暦600年から西暦775
年までの間、インドで、2人制古チャトランガ、
最下段、飛龍、馬、飛車、玉将、近王、飛車、
馬、飛龍配列ゲームを行っていた時代に、この
序盤の、王手飛車の多発による、先手必勝傾向
は、問題にならなかったのであろうか。
 ヒントをまず述べると、序盤で王手飛車は、
八方桂馬で狙うので、

775年までの、インド2人制古チャトランガ
の馬駒が、桂馬なら、問題は起こらない

と考えられる。逆に言うと、王手飛車問題が、
起こりそうであったにも係わらず、上の最下段
初期配列で、2人制古チャトランガが指されて
いたとすると、

馬は八方桂ではなくて、ただの桂馬だった事が、
推定できる可能性が、有ると言う事

である。
 では、実際に、インドで西暦600年から
少なくとも西暦775年までは指されていたは
ずの、インドの2人制古チャトランガで、馬駒
が、八方桂なら、序盤の王手飛車定跡が、存在
するのかどうかを、今回は論題とする。
 回答を書く。
 存在する。ただし、飛車一枚と、馬の2枚替
えに、インド二人制古チャトランガではなる。

そのため、いっきょに大きく、形勢が先手に
傾くことは無い

と考えられる。
 なお、それに対して、イスラムシャトランジ
では、

大臣を近王から猫叉動きに変えたため、飛車と
八方桂馬1枚の交換に、変わったとみられる。

それにより、この定跡の発生で、そのままでは、
プロト・イスラムシャトランジは、先手必勝に
なってしまったと、考えられる。そこで、

イスラムシャトランジが発生した時点で、問題
の象/車転換が、起こった

と考えられる。
 では、以下に論を続ける。
 ここで、動かし方のルールが判るように、
実際の駒名を、判りやすく変えた、インド2人
制古チャトランガの初期配列を示すと、以下の
通りである。

2人制古チャトランガ初期.gif

出だしから、王と大臣先の兵を上げ、八方桂を
中央に寄せる。ついで、飛龍が動けるようにす
る。以上のような、出だしの駒組を先後手同形
で作るとすると、以下のようになると見られる。

2人制古チャトランガ駒組.gif

次に、先手は左飛龍(チャトランガ車)を、
惜しまず切るように指す事が大切である。数手
進めると、以下のような局面に到達して、

王手飛車が成立する。

なお、後手のつられて”先手の飛龍を跳ぶ手を
真似た手”は、悪手である。正しく指せば、
この場合、先手の”王手飛車”は、成立しない。

古チャトランガ王手飛車.gif

ここで、インドの2人制古チャトランガは、大
臣が、八方歩みとみられるため、2枚目の先手、
黒色の馬で王手飛車が掛かり、王が逃げた後、
馬で飛車(インド2人制古チャトランガの象)
を取った後に、近王動きの、後手の大臣で、
取り返されると見られる。

だから、このケースは、後手は飛車で馬を2枚
替えているので、まだまだ指せる。

よって、

インドでは、西暦600年から775年まで、
そして恐らくは、それ以降、インドシャトランジ
が成立するまで、八方桂が有っても、致命的な
問題は一応起こらない

と考えられる。ただし王手飛車取りは、定跡と
してあったはずであり、馬を八方桂にしてしまう
と、ゲームは、つまらない方向へは進んだだろう。
 つまり、

インドでは2人制古チャトランガが指されていた
とき、馬が桂馬だったという説も、ただちには、
排除できない

とまでは、言えるのではないかと考える。
 なお、一番下の局面から明らかなように、後手
の右飛車を排除した、先手の左側の馬は、大臣が
斜め歩みの猫叉動きになってしまうと、後手は、
取り返す事ができない。

イスラムシャトランジが確立しつつあったときに、
この点が、大いに問題になったであろうとは、容
易に想像できる。

恐らく、今述べた類の手筋が発見された時点で、
ただちに、象と車のルールは、アラブ人によって、
ひっくり返されたはずである。(2019/09/10)

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