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島根県出雲市高浜Ⅰ遺跡P654出土駒は桂馬(長さん)

以前、23253_1_高浜Ⅰ遺跡.pdfとして、
奈良文化財研究所の発掘報告書のデータ
ベースの”全国遺跡報告総覧”の中にも
コンテンツのある、島根県教育委員会著作
の発掘報告書を紹介した。そして更に、そ
こに写真が出ている、室町時代出土将棋盤
に付随報告された島根県出雲市高浜Ⅰ遺跡
の2枚の出土駒の2枚目について、より判
りやすい写真の出ているサイトを、後に紹
介した。今回は、

23253_1_高浜Ⅰ遺跡.pdfの2枚目の将棋駒
の写真の、可視光写真の配列が逆なために、
駒名の確認を私が間違えた

事について報告する。結論から述べると、
1枚目は成り不明の口将とされるが、

2枚目は恐らく成り一文字金桂馬

のようだ。
 では報告する。以前は問題の発掘報告書
の図版37と表現されているページにある、
第2枚目の将棋駒”高浜Ⅰ遺跡P654駒”
の写真を、本ブログでは載せなかった。
 駒名が不明である上に、私には理解でき
ない配列だったからである。今回は以下に
写真を紹介する。

島根出雲高浜Ⅰ桂馬.gif

左から右へ順にオモテ可視、ウラ赤外線、
ウラ可視、オモテ赤外線と並んでいると私
は認識する。つまり赤外線写真を、誤って
逆に並べていると見られるのである。
 そして、本来はオモテ面のはずの

一番の右の赤外線写真の下半分に”馬”と
書かれている

ようだ。だから、高浜Ⅰ遺跡P654駒
(本ブログの言う2枚目)は、ひょっとし
て、成りの金の書体が今と違って、さほど
崩れていないのかもしれず、実際には全く
不鮮明だが、オモテは桂馬駒のようにも、
私には見えると結論出来るという事になる。
 以前にはこの発掘報告書を紹介した後で、
robounosasa氏の近況雑感ブログを本ブロ
グで紹介して、出所が新聞と見られる写真
を再紹介して議論した訳だが、その写真の、
”P654出土駒”の”裏”と表記された
面をよく見ると、駒の下半分が、やはり
”馬”のような感じがする。
 以上の事から1枚目が口将という、上記
発掘報告書等の主張は今の所、私には承服
出来ていないが。

むしろ、該発掘報告書で言及されていない、
2枚目は、桂馬駒の可能性がある

と、私は疑うようになったという訳である。
(2020/11/03)

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