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1978年辻遺跡出土駒は”金兵”か(長さん)

だいぶん以前に、表題の件について、天童
の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真に基づいて
本ブログでは”兵兵”と書かれているので
はないかと述べた。その後、前記成書に参考
文献として述べられている発掘報告書が、
web上に公開されているのに気がついた。
たびたび述べた、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、次の通りである。
13835_2_辻遺跡・浦田遺跡発掘調査概要.pdf
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に出ている
文献名をpdfファイル名にしただけである。
実際報告書の名称は、以下のようになって
いる。
立山町文化財調査報告書第3冊
辻遺跡・浦田遺跡発掘調査概要
(富山県中新川郡)立山町教育委員会
1987年。
 ただし以下のように、出ている写真は、
私が思っていた以上に、比較的鮮明である。

富山県辻遺跡.gif

”金兵”と読め、歩兵の書き方とは、独特
の続き字になって、い無いという点で、違
うように思える。兵兵ではなく”金兵”だっ
たと訂正したい。発掘者は、前にも紹介し
た通り、口兵と読んでいて、第1字目は謎
と見ているようだ。また発掘報告書に有る
ように、裏面の墨跡ははっきりとはしない
ようだ。
 なおこの遺物は駒の形の雰囲気から、
鎌倉時代の、もののように私には見える。
発掘報告書には、他の遺物の形状から逆算
して、特定の地層の遺物を、漠然と”中世”
と記載しているようだ。
 別に駒が、日本のどこかで出土しないと、
はっきりした推論は無理だが。この出土駒
については一般論として鎌倉時代に、新し
い駒名を、例えば歩兵と金将から、”金兵”
を作るといったようにして、

既存駒名の組合せで作るという事が、繰り
返し行われたと考えられる証拠となる史料

と見るしか、合理的な説明は無理なのでは
ないかと私は考える。大将棋が変化して、
15升目の後期大将棋が、後に現われると
いう現象の原動力を示す、

極めて重大な史料が、字が消えかかってい
たため、40年以上も埋もれていた可能性

が、全く無いとは、言えなくなったのかも
しれないと私は考える。(2021/02/03)

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