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天童将棋駒・遺跡出土駒の一乗谷102番メモ駒(長さん)

本ブログでは、日本の将棋が5角形なのは、
交易商人の一例周文裔が大理国原始小将棋の
ルール説明をした折に、博多の写経僧侶が
経帙牌に、筆でメモ紙と同じようにメモ書き
したのちに、同様のパターンで行為を繰り返
したが、経帙牌のオモテ面は、成以前の元の
駒名だけ、裏面は成駒の2字だけにし記載を
シンプルにして、元々はルール忘備のメモで
あったものが、ゲーム具の将棋駒へ早変わり
した結果出来た物品である為と説明している。
 その為、基本的には何でも筆記できる経帙
牌起源の将棋駒には、後世稀に、ルールの
ヒントが記載される事が有ると言う、他国の
チェス・象棋類には、余り見られ無い特徴が、
存在しているとの旨、言及/説明して来た。
 最近、そのようなルールを付記した、別の
表記例を、既知の文献の将棋駒の写真から私
は、また発見した。
 web上にも出ているが、一乗谷朝倉氏
遺跡の1983年を中心とする、多数の日本
将棋の将棋駒の出土は著名であるが、

その中の銀将の1枚に、第一字目の銀のヘン
の金が、5角形で囲われて、成が金である事
を示している

ように、私には見えるものが有る。
 遺物の番号は、天童の将棋駒と全国遺跡
出土駒のカタログが、最も普及しているので
その番号で言えば、第52ページの「46.
一乗谷朝倉氏(9次)遺跡(福井県)」の
中央段の遺物番号第102番の将棋駒がそれ
である。
 またその駒は、遺跡の付設博物館で展示す
る際、幾つかの別の出土将棋駒といっしょに、
日本将棋の将棋盤に並べて展示されており、
その展示物に関して、web上にも画像が有
るように私は記憶する。また以下の成書の、
第201ページ付近に「将棋盤に並べられた、
幾つかの出土日本将棋駒の写真」というパター
ンで載っており、よって、恐らく同一写真の
コマであって、ようするに前記第102番の
銀将駒らしき物品が、その中に写っている。
 成書名:「モノのはじまりを知る事典」、
木村茂光、安田常雄、白川部達夫、宮瀧交二、
西暦2019年、吉川弘文館。

一乗谷弘文館.gif

 上図のように、第1字目の「銀」のヘンが、
恐らくルール説明の為「5角形『金』」に変
えられている為、相当に読みにくくなってい
る。のでそれで逆に、本ブログの管理人は、
前記の作成者の、銀将の成が金将である事を
明確にするための「説明書き」の意図に気が
付いた。
 戦国時代までは、元々は束ねた一冊本相当
のお経の内容を、説明するための経帙牌が、
日本の将棋駒の元だったという記憶が、かな
り広く、未だ残って居たのではないかと私は、
この駒の様子からも、冒頭説明した仮説を信
じて、依然として疑っている。(2024/03/14)
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