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岩手県久瑟市源道遺跡で平安期奔土墨書土器(長さん)

今回は祭祀用の土器と明らかに思われる遺物
に「土」と彫ってある疑いが有るが、隣に
「奉」と書かれているように見え、「奉土」
であって、いかにも地鎮祭祀用に見える墨書・
刻書土器の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
138668_1_源道遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
源道遺跡発掘調査報告書、西暦1989年、
(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭第2ページ付近の「遺跡の
位置と環境」によると遺跡の場所は、岩手県
久瑟市源道第13地割11-2。遺物が出土
したのは、冒頭第1ページ付近の「調査に至
る経過」によると西暦1988年前後の事の
ようである。
 遺物の成立年代は、遺物は遺構外から出土
し、発掘報告書の第189ページ付近に、
遺物番号第312番の類では無いかとの旨書
かれ、後者の類似出土遺物はN13住居跡で
発掘され、平安時代成立と同ページ表から考
えられているように、私には読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第89の
第3段目中央に有り、遺物番号第408番と
の旨、ナンバリングされている。底の丸い
土器で第2字目は刻書のように私には見える。

源道奔土.gif

 上図のように、発掘報告書では「九万」と
読んでいる。その可能性が高いが「九万」の
部分は、「土彡」の意図かもしれ無いと私見
する。本ブログの管理人は、発掘報告書流の
読みの墨書の形は、以前から「寺」と解釈し
ていた。神仏習合の寺院や祈祷所の類が、付
近に古代に在ったのではないかと、私は疑う。
 そして更によく見ると、

その左に「奉」と今度は墨で書いてあるよう
にも見える。

平安時代の地鎮用の祭祀土器で、仮に「奉土」
なら、それにふさわしいと私見する。蛇足だ
が、遺物番号第312番の物品は将棋駒名と
はつながらない。
 後者は「万」と発掘報告書ではなったが私
は、「月」かもしれないと疑った。類なら、
やはり「寺」だ。(2024/03/21)

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