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埼玉県鴻巣市赤城遺跡で縄文晩期奔馬墨書土器(長さん)

今回は、埼玉県当時川里村赤城の縄文遺跡と
されている赤城遺跡で、発掘報告書に基づく
村史資料編の成書に、縄文時代後期~晩期
成立と表現されていると読取れる、奉馬と
奉山と墨書されたようにも見える、やや小ぶ
り土器が、1個づつ計2個出土しているとの
旨の、古い発掘調査結果の紹介である。

 古墳時代の祭祀用備品のようにも見え、
地名の赤城のように、赤城山崇拝の祭祀を、
土地の有力者を中心に行ったものであるよう

に、あくまで私見だが考える。
 今回の遺物の写真はweb上には多分無く、
発掘調査報告書を基にした、埼玉県の郷土史
成書の資料編に載っている。成書の名称は、
以下の通りである。
埼玉県北埼玉郡川里村(当時。現在の鴻巣市)
資料編Ⅰ~原始・古代・中世、西暦1984年
3月、川里村教育委員会、㈱ぎょうせい。
 遺跡の場所は正確には本ブログ管理人には
判らないが、現在の埼玉県鴻巣市の北端の、
赤城ないし赤城台付近とみられる。遺物が
出土した年代も、成書の出版以前であろうが、
正確には判らない。20世紀であり、かなり
以前だと見られる。
 遺物の成立年代は、成書の記載が縄文時代
の遺跡で、縄文後期~晩期の遺物の紹介とし
て書かれており、そのように発掘時は認識さ
れたと考えられる。祭祀行為は、古代まで続
いたように、成書に表現されている。縄文土
器も共出土している。
 遺物の写真は、成書「資料集」の第131
ページの第2段目に、たまたまだろうが、並
んで写っている。

川里奔馬.gif

 上記のように、左側に奉の字がはっきりし
ているが、その右下にぼやけて「山」のよう
にも見える模様の有る、大きさがはっきりし
無いが、やや小ぶりの模型土器のローソク立
てのようにも、私には見える土器と、右側に
ほぼ中央に、ズレているが薄くぼやけて、暗
い模様が漢字で「奉馬」のようにも見える、
花立のようにも私には見える、こちらも模型
土器のような大きさに見える、遺物土器があ
ると私見する。
 縄文が私には見当たらないし、花立が縄文
人の感覚とは違う、のっぺりした形の為、私
見だが古墳期頃の、地名の通り遠方の赤城山
を崇拝する祭祀を、その時代の土地の有力者
が行うために使った器物のようにも、私には
見える。成書には本編・資料編共に成立年代
の推定根拠が、詳しく書いてある箇所が今の
ところ、私には発見されてい無い。
 縄文土器が共出土するところから見て、
縄文時代から継続して古墳時代まで存続した
遺跡であり、祭祀を受け持つ神官自体が、縄
文人の血を引いているような人間だった為、
たまたま、このような出土遺物の様相を呈し
ているようにも、私には見える。
 古墳を作るような土地の支配層にとっては、
自身に従っていさえすれば良く、祭祀用の土
器を製作する者が、弥生人であっても縄文人
であっても、問題にし無かったという以前の
本ブログの説明を、裏書するような意味深い
史料の疑いが、有るのではないかと私は考え
ている。(2024/03/01)

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